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カサブタとルビー

私が生まれ育った場所は山間の小さな集落で、小学校も遠く離れていたため歩いて通えず、学校までは毎日スクールバス登校をしていた。

学区内には大きな工業団地があったこともあり、学校全体の児童数は決して少なくなかったが、私の住む地域には同級生は一人もいなくて、他の学年の子も1人か2人ずついればいいほうだった。

放課後になるとみんなグランドで遊んでから帰ったり、友達の家に集まって遊ぶ約束をしたりしていたが、私たちスクールバス組はグランドで遊んでいる同級生たちを横目に、昇降口を出るとすぐ目の前に待機しているバスへと乗り込み自宅まで強制送還される毎日。

遊び友達は学年や性別関係なく近所の友達数人。
幸い周りは車も来ないような山の中だからそこらじゅうが遊び場になる。
かくれんぼやおにごっこ、木登りや川遊び、危ない遊びをしていれば野良仕事をしている大人たちから「あぶねーぞー!」と声がかかるが、すっころんで肘や膝をすりむくなんてしょっちゅうで、私たちはいつも傷だらけになって遊んでいた。

そんな私の密かな楽しみはカサブタ剥がしだった。
跡が残るから剥がすなと何度怒られても、あの剥がす瞬間が気持ち良くて
端っこが浮いてくると待ちきれず爪で剥がし、そのカサブタを手のひらにそっと乗せると鼻先がつくくらいに顔を近づけてその色や形を楽しんだ。

そしてその勲章のような、私の分身のようなカサブタをすぐには捨てられず、ティッシュにくるんだり肝油の空き缶に入れたりして、まるで宝物のように時折出しては眺めていた。

そんなある日、当時親が定期購入してくれていた学研の付録にハンディ顕微鏡なるものがついてきた。
学校の理科室にあるような大掛かりなものではなく、万華鏡を小さくしたような筒状の顕微鏡で植物の表面や布の繊維など、身近なものを観察して楽しめるシンプルな作り。

急に特殊能力を手に入れたような気持ちになった私は、とても嬉しくなってさっそくいろんなものを観察し始めた。
身の回りのものをある程度観察しても、まだまだ見たい気持ちが収まらず、髪の毛や皮膚、爪など自分の体にまで顕微鏡をあてて観察し始めた。
皮膚を突き破るようにして生えている毛にゾワゾワと鳥肌が立ちそうになったその時、キラッと光るものがレンズの隅に入ってきて消えた。

ん?
今のはなんだ?

私はその正体を探した。
キラキラした砂でもついていたかなと思い、レンズから目を離して直接自分の体を確かめてみたが、それらしいものは何もついていない。

その代わり、カサブタを剥がしたあとのウミのかたまりがあった。
まさかと思い私はそのカサブタの痕に顕微鏡を乗せてみた。
すると突然目の前に黄色い結晶が飛び込んでいきたのだ。

光の入り具合でキラキラと輝きを変えるその結晶は、まるで宝石のようにきれいで言葉を失った。

そしてもう一度自分の膝小僧を裸眼で確認した。
でも、そこには何度も転んですりむいたカサブタだらけの膝があるだけ。

私はその時、ものすごい衝撃を受けた。
擦り傷だらけで汚いだけの私の膝にまさかの宝石!

それからの私は、身体中のカサブタに顕微鏡をあて、キラキラと輝く結晶を楽しんだ。

黄色い膿の塊はきれいなイエローダイヤモンドのようだったし、どす黒く固まったカサブタはまるでルビーのように深い赤だった。
そして乾いた鼻くそはオパールのようにまろやかだった。
(もちろん鼻くそもほじっている)

私は夢中になっていた。
なりすぎていた。
変態だったと自覚している。

それでも、私は一見汚いだけのものも、見方を変えるとこれほどまでに美しいのかと思った瞬間に、世の中の全てがひっくり返るような感覚を覚えた。

そして、私たちが普段美しいと思って見ているものは、もしかしたら巨人たちのカサブタや鼻くそで、実はなんの価値もないものかもしれないと思えてきて、そんなことを考え出したら今まで見ていたものが急に違う世界に感じられてワクワクしながら一人で空想を広げていた。 

そんな幼少期を送っていた私も、それなりに成長し大人になると、さすがにカサブタを作る機会もなくなって顕微鏡の存在もいつのまにか忘れていった。

そして、年頃になるとそれなりにアクセサリーにも興味が出て、今でこそ子育ての邪魔になるからと何も付けていないが、その当時はピアスやネックレスなど色々買い集めては毎日身につけて楽しむようになっていた。

そんなある日、結婚したばかりだった私は、夫とお互いの幼少期の話題になった。
そしてこの時のことを思い出し私は夫に
「カサブタはまるでルビーみたいなんだよ!」
と熱く語ったのだった。
あの顕微鏡はどこに行ったのかなー、本当に宝石みたいに綺麗だったんだよ、見せてあげたかったなーなんて話した気がする。
夫も興味津々だった。

私は、夫から婚約指輪をもらっていなかったが、毎日身につけるわけでもないし、無いと困るものでもないから特に必要もないかなと思っていた。
それでもどこかにわずかばかりの乙女心があって、指輪のプレゼントに憧れているところもあった。

でも、だからといって趣味の合わないものを貰っても、なんて高い無駄遣いをするのだと思うに違いないし、素直に喜べないだろうことも十分に予想できたので、やっぱり必要ないなと思っていた。

そんなある日、東京出張だった夫から電話が入った。
その日は私の結婚後初めての誕生日だった。
「今から帰るね。プレゼントがあるんだ。」
彼は声を弾ませていった。
「え?なに?」
私はいつもと変わらないトーンで聞き返したが、控えめに言ってもとても期待していた。
私の誕生日に出張が入るなんて…とガッカリしていた私の気持ちは、ギュン!と一気に膨らみテンションが上がっていた。

「とても喜んでくれると思うんだ。楽しみに待ってて。」
彼はとても嬉しそうにそう言った。
「分かった。気をつけて帰ってきてね。」
彼が乗る予定の新幹線は最終便だったから自宅に着くのは真夜中。
でもそんなことはどうでも良かった。

誕生日、しかも結婚して最初の記念すべき誕生日に、私が喜ぶものをたずさえて帰ってきてくれる夫のことを想うと、今日はなんて幸せな記念日なのかしらと心躍っていた。

指輪かな、それともペンダントかもしれない。
やっぱりダイヤかな…
「遅くなったけど、婚約指輪だよ」
とか言われちゃう?
それとも私の誕生石のアメジストかも…
そういえば以前にムーンストーンが好きだと話したことがあったから
覚えていてくれてたりして…
でもアクセサリーは一緒に選びたいって言ったことがあるから、もしかしたら私の好きそうなオシャレな観葉植物かな…
ガーデニング用の雑貨とかもいいなぁ…
私が喜ぶものをと考えて選んでくれた時間が、何より嬉しいプレゼントだなぁ…

夫が帰宅するまでの3時間弱の間にあらゆる想定を考えながら、彼が選んでくれたものならなんでも嬉しいに決まってる!と、ワクワクしながら到着を待っていた。

「ただいま!誕生日おめでとう!」
彼も早く私にプレゼントを渡したかったのだろう。
玄関に出迎えた私の目の前に彼が紙袋を差し出した。

その紙袋には「gakken」のロゴが入っていた。

ん?
どういうこと?

予想もしていないところから玉が飛んできて、反応できないままアウトになったドッヂボールみたいに、私はぽかんとしてしまった。

あ、これはあれか、打ち合わせ先の誰かにもらったのかな?
これを先に渡してからのジャジャーン!ってプレゼントを出して、サプライズにするつもりなんだな、きっと。

静かな時間が流れる中、返す言葉も見つけられないまま、頭の中でグルグルと猛スピードでこの事態を処理しようとしつつも、分からなすぎて目眩がするのをこらえながら彼の顔を見た。

そこには飼い主に褒められたい芝犬のように、キラキラした表情の夫がいた。

間違いない。
これが彼のいう「私が喜ぶ」だろう代物だ。

変な汗が出て体が重くなっていくのを感じた。

「えー、なにかなー」

もはや棒読みのような、感情のかけらもないセリフを吐くのが精一杯だった。指輪なんか入ってるわけがない。
gakkenだぞ。
gakkenて、教材出してるところじゃないのか?
それともなにか?
私が知らないだけで、今やgakkenも結婚最初の誕生日に、嫁がもらって喜ぶものをなにか売り出し始めたのか? 

混乱と動揺でうまく喜べない。
おそるおそる開けてみると、そこに入っていたのは

観察・実験キットと書かれたハンディ顕微鏡
植物の発芽観察キットだった。

まぎれもなくgakkenが誇る素晴らしい商品である。
gakkenに罪はない。
有罪なのは夫である。

現実を受け入れられないでいる私に彼が言った。

「宝石みたいなカサブタがまた見たいって言ってたし、それに植物も好きだからいいかなと思って。これでまたカサブタ見れるね!それ見つけた時、オレすごいって思ったんだ!どう?」

もう返す言葉もない。
申し訳ないがありがとうすらも言えない。
目の前がキューッと暗く狭くなっていく。

彼が選んでくれたものは何でも嬉しいに決まっている、と思い込んでいた自分はもうどこにもいない。
どう?ってなんだ。
今、これいる?
ちっとも嬉しくないのよ。
これじゃない。
そもそも顕微鏡が欲しいなんて一言も言ってない。
子どもの頃の思い出とともによみがえった、あの懐かしの顕微鏡は今どこにあるのかな、もう一度見てみたいな、という郷愁にも似たもっと繊細な話だったのだよ。

いや、百歩譲って何でもない日にこの顕微鏡をもらったら、それはきっと喜んだでしょうよ。
「わぁ!うれしい~!」なんて素直に口から出ただろうし、あなたと二人で体中のカサブタ探して、あははおほほと楽しく人体観察できたと思うわ、ほんと。

でもね、あなたは沢山の間違いを犯したの。
妻の誕生日に
結婚最初の誕生日に
家で一人さみしく誕生日を過ごしていた妻に
プレゼントがあると
きっと喜んでくれるはずだと宣言までしてからの…コレ。

この日私は、何か大きなものを失った。
それは、私の中に思い出としてずっと残っていた、あのキラキラしたカサブタだったのかもしれない。
あるいは、夫に対する期待(←どう考えてもこっち)

いずれにしても私が手に入れたのは、カサブタを宝石に変えるまやかしの筒(いや、素晴らしい道具です)と、発芽の様子を観察するための学習キットであり、綺麗な指輪でもオシャレな観葉植物でもなかった。

そしてあれから15年経つが、それらは未だに届く気配はない。

ちなみに結婚15年目は水晶婚式というらしいが、それを知ればあの夫のことだから、占い師が持っている大きな水晶玉を嬉しそうに差し出しかねない。

金婚式、銀婚式くらいしか知らなかったので、この機会にといろいろ調べてみたら結婚40年目はルビー婚式なのだとか。
どうせならあと25年後、またカサブタとルビーの話をしながら二人で笑えたらいいなと思う。

その日が来るまで、プレゼントしてもらった顕微鏡は、大事にしまっておくことにしよう。


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