見出し画像

居ないけれど在るもの

私がまだ独身で実家暮らしをしていた時のこと。

友人がふらっと私に会いにきてくれたらしいが、私は仕事で不在だったので祖父が応対してくれた。

「まぁだ仕事がら帰ってきてねのよ。そのうぢ帰ってくっぺがら、上がってお茶でも飲んで待ってでけろ」

祖父は友人を引き止めてくれたそうだが、さすがに祖父と2人でお茶を飲むのも気が引けた友人は

「また出直します」

と言って帰ろうとしたそうだ。すると

「わざわざ来てもらったのに悪りがったなぁ。んじゃ、せっかぐだから月見でげ」

祖父はそう言うと一緒に外へ出て庭先に立ち、しばらく2人で月を見上げてから帰ってきたという。

私の家は町の外れにあり、何かのついでに立ち寄れる場所ではない。

祖父もそれを重々わかっているので、友人がわざわざ足を運んでくれたのに私が不在にしていたことが申し訳なかったのだろう。

祖父にとっては、格段特別なことでもなく、何気ない一言だったかもしれない。

でも、友人はとっても素敵なおもてなしをしてもらったと、とても嬉しそうに話してくれた。

それからというもの私はこの言葉が頭から離れなくなった。

私はそこに居なかったはずなのに、祖父の声が、祖父の言葉が、私の中に繰り返しずっと響いていて、祖父の姿が、月を見上げたその横顔が、いつも私の中に在って、うまくいかないことがあったり、心に余裕が無くなったりすると決まって「んじゃ月見でげ」って言葉を思い出すようになった。

そしてその度に、そうだよなー、焦ったって急いだって、たいして変わらないよなー、せっかく今ここにいるんだから、今の景色を楽しめばいいんだよなーって思える。

自分ではどうにもできないことが起きても「んじゃ月見でげ」って空を見上げて、今をそのまま受け入れていけば良いんだなと、いつも気付かされる。

私はそこには居なかったけれど、祖父の言葉は今もここに在って

もう祖父には会えないけれど、祖父の存在はいつも近くに感じていて

あれから20年近くが経つというのに、私が歳を重ねるにつれこの言葉とともに祖父の温もりと大きな愛がどんどん膨らみ溢れ出している。

これは私が祖父から与えてもらった、生きていく上でこの上ない豊かさなのだ。

こうして祖父から与えてもらった豊かさを今度は私が私らしい方法で、また次の誰かへと受け渡すことができたらこれほど幸せなことはない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?