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アップルなんちゃら

私はアップルパイが大好きだ。
サクサクのパイ生地にゴロゴロと大きなリンゴが入った、素朴でシンプルなアップルパイが大好物なのだ。

ある日、東京出張の夫から電話が入った。

「これから帰るんだけど新幹線の時間までまだ少しあるから、何かお土産でも買おうかなと思うんだけど、何か食べたいものある?」

いつもは新幹線の時間ギリギリまで仕事をして、駆け込むようにして乗り込んでくる夫は滅多にお土産なんて買ってこない。

私は嬉しくなって
「もしあれば、おいしいアップルパイが食べたいな」
とお願いした。

夫は「探してみるね」と言って電話を切った。
しばらくして
「今新幹線に乗りました。アップルパイも買えたよー!」
とメールが。

私は東京から新幹線で運ばれてくるアップルパイを想像しながら、もう夜も遅いし寝る頃に食べたら体に悪いよなー
でもひと口でもいいから今夜のうちに食べてから寝たいなー
などとそれはそれは楽しみに待っていた。

「ただいまー!」

帰ってきた夫の手にはホールケーキの箱が。

「えー!こんなに大きなアップルパイ買ってくれたの?」

パン屋で売っているような小さなアップルパイを想像していた私は、その大きさに驚きながらもこんな大きなアップルパイを食べたことがあるだろうか、いや、ない!と大興奮。
すぐにその箱を開けて中からケーキを引き出した。

「あれ‥?」

思わず出た私の言葉に夫が焦って確認する。

「あれ?なになに?どうしたの?ちがった?
アップルパイって書いてあったのを買ってきたんだけど」

夫が激しく動揺しながら早口で説明をしている声も虚しく、出てきたのは、とても綺麗な波形の型で焼かれたアップルタルトだった。

「んー、これ、アップルタルトなんだよねー。
私がお願いしたのはアップルパイ」

「え!うそ!これアップルパイじゃないの?!」」

頭を抱えて混乱している夫の横で私はスーッと冷静になっていった。

いやいや、アップルパイ知らなかったのかい?
パイだよ、パイ。
あー、そうか、勘違いしたんだ。
たしかに私、タルトも好きだからね。
チーズタルトとかフルーツタルトとか、いつも食べてるもんね。
そうか、タルトと混同しちゃったのかな。

「お店の人にちゃんとアップルパイって言ったの?」

「あ、いや、ガラスケースに入ってたのを指差して
これくださいって言った‥」

あぁ、なんという失態。
擁護の余地なし。
今や私の口は、いや身体中を流れる血液までもが、アップルパイのために万全の態勢で待機していたというのに、いまさらアップルタルトだなんて、このままじゃ眠れないじゃないか。 

いや、アップルタルトはちっとも悪くないのよ?
むしろ素晴らしいアップルタルトなの。
パティシエの技が光る、それはそれは美しいアップルタルト。

あぁ、私がアップルパイが食べたいなんて言ったばっかりに、夜中に、1日の終わりに、こんなに大きな絶望感を味わうことになるとは。

私の期待に応えられなかった夫の落胆も見ていられない。

「また今度、アップルパイ見つけたら買ってきてね…」

と精一杯の言葉をしぼりだしながら、気を取り直して2人でアップルタルトを食べた。
それはそれは美味しかった。


そして次の機会はそう遅くなく訪れた。

「今度はどうかな。喜んでくれると良いけど」

夫が手にしていた袋を開けると、中から出てきたのは、私がよく知るアップルパイではなく、コロンと丸いもの。

「え?…なぁに?コレ…」

「りんごパイって書いてあったから買ってみた。
初めて見る形だったから、珍しいし良いかなと思って」

どう見てもパイの要素はかけらもない。
ふと袋の食品表示のラベルが目に入った。

「りんごパン」 

おい。
パンって書いてあるじゃないか。
どんな目をしてるんだ。
パンじゃない。
パイを探せ。
私が食べたいのはアップルパイ。
なんでりんごパンなのよ。
パイが食べたいの。
なんならどこにでも売ってるコンビニのアップルパイでいいくらいよ。
お願いだからまずパイ生地を選んでくれ。

そう心の中で毒づきながらも、そのパンを袋から取り出してみた。
コロンと丸い形をしたかわいらしいパンの上には、ポッキーの端っこみたいな芯がついていて、りんごを模しているんだろうなと見て取れる。

りんごパンというくらいだから、りんごの実が中にゴロンと丸まま入っているのかな?
それはそれで美味しそうだなと、初めての経験にドキドキしながら一口かじってみた。

りんご感はない。

まだ出てこないのかな?と思い、手で半分に割ってみた。

白い。

中はみっちりと白い餡が入っている。
この餡の中にリンゴが練り込んであるのかな?
それともリンゴの果汁が入ってるとか?
そう思いながらもう一口食べてみた。

うん、和だ。
これ、白餡だ。

りんご風味の餡なのかもしれないが、もはやアップルパイを食べたい私からしたら、これはアップルでもなければパイでもない。

りんごの形をした白餡の饅頭。

もちろん、何度も言うがこれはこれで素晴らしいのだ。
素晴らしいりんごパンなのだ。

アップルパイを食べたいと所望した私の脳が、もはや他を受け入れなくなっているだけなのだ。

夫に、もうこれ以上無駄な犠牲を出させないためにも、アップルパイは買ってこないよう伝えた。
何より私の精神状態がどんどん疲弊していく。

私が求めているものをいかにも手に入れたかのようは言動は、これからはどうか控えて頂きたい。
期待と裏切りの繰り返しですり減っていく心が、いつか私の中で音を立てて切れてしまう前に守らなければ。

アップルパイを買ってきたなんて言うから期待するんだもの。
アップルパイ発言禁止。

ところがなぜか夫の心に火がついてしまったらしく、それからしばらくアップルパイチャレンジが続いた。

カスタードとレーズンがたっぷり入ったアップルデニッシュ(惜しい!)

薄いリンゴが薔薇の花びらのように敷き詰められたゴージャスなアップルケーキ(もはや別物)

チーズケーキの上に煮リンゴが乗ったアップルチーズタルト(だからタルトじゃない)

もうね、わざと間違えてるんじゃなかろうかと思うくらいに、ちっともアップルパイが食べられないのだよ。

「いつも探してるんだけど、なかなかないんだよねー」
と夫があまりにも大真面目に言うので、もしかしたらもうあのオーソドックスなアップルパイは、このオシャレな時代には素朴すぎて生き残っていないのかも‥となかば諦めてコンビニのアップルパイを時折買っては、自分で焼いた方が早いかもなーと焼く気もないのに考えていた。

そんなある日。
たまたま出かけた地元のお菓子屋で、焼きたてのアップルパイが並んでいるのが目にとまった。
息子さんが作り始めたらしいそのアップルパイは、果樹農家のお友達から譲ってもらったというりんごが塊のままゴロゴロ入っていて、カットされた断面からこぼれ落ちんばかりのボリューム。

すぐに買って帰ると、今すぐ食べたいのを我慢して夫が帰ってくるのを待った。
そして帰宅した夫に
「ねえ、みて!私が言ってたアップルパイはコレなの!これが食べたかったのよ!」
と、これが目に入らぬかと言わんばかりの強い口調で伝えた。

どうしてアップルパイを買うだけなのに、あの人はいつも違うものを買ってくるのかしら、あの人のせいで私はいつまでたってもアップルパイが食べられなかったじゃない!
これよ、これ、これが食べたかったのよ!

そんな勝ち誇ったような気持ちでアップルパイを頬張った。 
それはそれは美味しくてホッとする優しさで、大事な人はこんな近くにいたのねと、今更ながらに気がついた運命の赤い糸のようで思わずふにゃ~っと笑顔になった。

「良かったね。あなたが笑顔だとうれしい」
私の顔を見ながら夫がいつものように笑った。

いつも私のためにと買ってきてくれるアップルなんちゃらに、その度にいろいろとケチを付けていた私は、夫に笑顔を見せることができていなかっただろう。

仕事で疲れた帰り足、きっと私が喜ぶ顔を想像して買っていただろうに、アップルパイじゃないじゃないかとガッカリする顔を見るたびに夫もガッカリしていたに違いないのだ。

なんて心の小さい人間だったのだろうと恥ずかしくなった。
そして大ぶりにカットされたリンゴの塊を丸ごと口に詰め込むと、フゴフゴと言葉にならない声で
「うん‥」
とだけ答えた。

これまで夫が買ってきてくれたいろんな種類のアップルなんちゃらは、本当に素晴らしくて初めて口にするものばかりで、どれもこれもとっても美味しかったな、こんなにたくさんの種類を食べることができたなんて私はとっても幸せだったんだな、と改めて実感した。 

そして今はというと、私の知らない新しいアップルなんちゃらを夫がまた嬉しそうに買ってきてはくれないかと、ひそかにとても心待ちにしているのだ。

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