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絶望という名の救済

絶望していた。

ダンスしかしてこなかった私にとって、踊れなくなってしまった自分にはもはやなんの価値もないと、本当にもうどうでも良くなってしまっていた。

(そのいきさつについては「ダンサーになりたかった」でどうぞ。)

https://note.com/umetigiri/n/nd3655aff5836

物理的に踊ることが困難なのだからどうしようもない。
仕方ない、仕方ないと自分に言い聞かせる。
でも、頭で考えるほど単純なことでもなくて、理屈とは裏腹に私の心はものすごく踊ることに執着していて、その感情は自分でも「えぇぇぇ…」と思うほど醜かった。

テレビやステージで踊っている人を見るたびに、羨ましくて妬ましくてキラキラしている姿を見るのが辛くて、どうして私はあそこにいないんだろうと涙がこぼれた。

そして、私だって同じように踊れたはずなのに、なんでなんでなんでなんで…と呪いのような思いが渦巻いていた。

いや、本当に呪いだったんだと思う。
それは、自分をその暗闇にとどめておくための呪いだったんだ。

辛く悲しい闇の中は、その時の私にとって必要な支えだったのかもと今になって思う。

その暗闇には私を守るための沢山の言い訳が詰まっていた。
そこにさえいれば、踊れないことも思うようにいかないこともすべて足のせいにして逃げることができる。

私はあえてそこにどっぷり浸かっていたのだ。
そんなふうに自分の「不幸」をしっかりと実感する時間を持ったのは、考えてみればその時が初めてだった。

私がちゃんと落ち込むことができたのは、介護福祉士の勉強をしていた時の、ある経験があったからかもしれない。

ある日の臨床心理学の講義の時だった。
まだ30代の若くてシュッとした清潔感のある男の先生は、結婚こそしていたが女子の学生にとても人気のある人だった。

しばらく休校が続いていたけれどさほど気にしていなかった私たちは、久々に先生の講義があると知りみんな楽しみにしていた。

時間になって教室に入ってきた先生を見た瞬間空気が変わった。
元々細身の先生だったが、スーツのサイズを間違えたのかと思うほど、心配なくらい痩せた姿で現れ、傍らには携帯用酸素ボンベを携えていた。

「ずっと講義ができなくてごめんね」

先生はそう言うと臨床心理の講義を始めた。

患者が自分の病気を受け入れるまでにはいくつかの段階があるということ。

喪失感から始まり、拒絶、葛藤、怒り、折合、受容というように、時間とともにその感情は揺れ動いていくということ。

だれしもそう簡単に現実を受け入れられるはずもなく、受け入れるまでにはとても沢山の感情の変化があるということ。

でもそれは心の回復に必要なプロセスで大切な経過だということ。

そして先生は、授業の最後にこういった。

「僕は癌になりました。末期癌で余命数ヶ月だそうです。抗がん剤治療もしているけどどうなるか分かりません。幸いにも副作用がなくて髪も抜けなかったから、本当かな?と思うかもしれないけど、本当です。

これから治療が進めば後期の講義はしばらくお休みです。僕には奥さんも、小さな子どももいます。残して死んでいくのはとてもとても悔しいし心残りです。でも、臨床心理を今、僕は自分自身で経験し実感しています。

大きな喪失感、受け入れたくない思い、葛藤、怒り、そして最後はそのすべてを受け入れること。僕が身をもって君たちに教えられることはこれが最後かもしれない。

これから君たちは現場でこんな場面に沢山直面すると思う。そんな時はどうか見守り寄り添って欲しい。
葛藤をしながらもいつか自分の力でそれを受け入れ、本人が今を生きる覚悟ができるようになるまで。

苦難に直面して悲しんでいる人を見たとき、怒っている人を見たとき、あぁ、今この人は大事なプロセスを実感している最中なんだなと。
そして君たちも今を大事に生きて欲しい。たくさん悩んで葛藤して苦しんでその先の人生を楽しんで欲しい。

それが僕からの最後の課題です。」

そんな内容だった。
先生は泣いていた。
私も泣いた。
周りの学生たちもみんな泣いていた。

学校で学べることは書物やインターネットでも得ることはできる。
でも、文字からだけでは伝わらない学びがそこには沢山ある。
人から人へ直接伝えられた熱量はその時その場でしか得ることのできない、自分の中にだけ残る確かな記憶としての学びなのだ。

こうして先生の最後の講義が終わり、もう二度と先生が学校に来ることはなかった。


絶望はどうしようもない深淵の、ひとりぼっちの孤独さでしかない。
でも、その絶望も必要なプロセスなのだと思えたのは、この先生の命をかけた講義があったからだと思う。

気が済むまで落ち込んで
気が済むまで泣いて
気が済むまで怒りをぶちまけて
気が済むまで悩んだら
もうそんなことどうでもよくなって
今を楽しむことの方が大事だって思えて
ポンコツな自分だけど
これはこれで好きだと思えるようになって
そういう心の変化を言葉にできたらなと
ふと思った。

私が書く言葉は誰かのためじゃない。
自分のため。
自分の救済のため。
励まし認め、応援するための呪文。

呪いも祈りも同じ心が作るもの。
私の心が私を呪い
私の心が私にすがり
私の心が私に祈り
私の心がそれを救う。

負の感情は自分自身をどんどん腐らせていくように思えるけれど、腐っていくことで再生されるものもある。

小さい頃から負の感情を抱くこと自体が悪のように感じ、前向きにポジティブにと誤魔化しながら頑張ってきたけれど、それを無いことにしてきたからこそ苦しかったのだ。

人はそもそも、いろんな感情を持っていて当然で、その感情が出ないようにすることなど無理に決まっている。

いつの間にか伸びてくる芽はどうすることもできない。

でも、その芽を育てるかどうかは自分次第で、憎しみの芽も、苦しみの芽も、いつか枯れて希望の肥やしになると思えばそれすらも大切な欠かせない芽吹きなんだと思える。

自分という大地に出た芽はすべて、自分の養分をすって伸びていくものなのだとすれば、そこにあるすべてが今の私そのものなのだ。

とにもかくにも、それからの私は相変わらずドロッドロの深淵に、ふやけて原型もなくなるほどにたっぷりと浸かったおかげで、あたかも千と千尋の神隠しのお腐れ神様が湯屋で泥を落とし名のある大河の神としてその真の姿を現したかのように(そんな大それた事ではない)
私もいよいよその泥を洗い落とすときがやって来たのはケガから13年、手術から6年が経った28歳の時だった。

小さい頃からずっとダンサーになりたいと思っていた私は、この時
「物書きになりたい!言葉で誰かに希望を与えたい!」
という新たな思いを胸に人生の大きな転機を迎えようとしていた。

はたして
ちぎり絵作家への道のりは…

この時点では、私にもまだ1ミリも見えていない(笑)




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