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【小説】藤巻くん、北上する(第二話/全三話)

 意外にも男の家は一軒家だった。
 「広い部屋」と聞き、藤巻は1LDKや2LDKのアパートを想像していた。
「これ、賃貸ですか?」
 男の車の側にレンタル車を止め、藤巻は男の家を見ながら質問する。
「うん。いいだろ? おまえもこっちに越せば、これぐらいの家あたりまえに住めるぞ」
 それも悪くないなと藤巻は一瞬思って、でも、声の小さい自分は焼き鳥屋では働けないと思う。
「あら、お客様」
 男がインターホンをならすと、ドアがガチャガチャと乱暴に開錠され、片目だけばっちりメイクした女が、開いたドアの間から顔を出した。
 瞬間、YouTubeで見た半顔メイクの動画を思い出す。
「いらっしゃ~い」
 女はベテラン芸人の口調を真似して、二人を玄関に招じ入れる。
 古いと藤巻は思った。 
「ごめんね、出かける前でちゃんと相手できないけど」
 女はリビングのローテーブルに置いた鏡の前に座り、顔をいじくり続ける。
「いえ、すみません、いきなり」
 藤巻は広いが雑誌や新聞や脱ぎ散らかされた洋服で荒れているリビングに入りながら答えた。
「あの人に無理やり連れてこられたんでしょ? 東京の人みつけると、すぐに連れてくるんだから」
「わかります? 東京って?」
「わかる、わかる。東京っぽいもん、にいさん」
「そうですか。福岡の出身なんですけど」
「そうなの? 東京でなくしちゃったね、九州スピリットを」
「はあ」
 そうなのかもしれない。っていうか、そんなスピリット、もともと自分にあったのか。
 藤巻は地味に女の言葉に翻弄される。
「できたっ! どう?」
 女が立ち上がって藤巻を振り返る。安っぽい生地のワンピースを着た女の顔はばっちりメイクされ、片目だけ三割ほど大きく見えてしまっていた状況が改善されている。
「あ、いいと思います」
「ありがと! じゃあ、行ってくるね。家のもの、なんでも好きに使ってくれていいから。テレビもデカいでしょ? あと、冷蔵庫のモノ、適当につまんで。冷凍食品しかないけど」
「ありがとうございます」
「じゃあねー」
 ひらひらと蝶のように手を振り、女がリビングを出ようとする。
「なんだ、もう行くのか?」
 トイレから出てきた男が女と向き合う。
「店の女の子から男の相談されてんのよ。で、その男と会うの。三者面談。一人じゃ別れ話できないって言うからさ」
「あ、栞ちゃんって子?」
「そう。あの子、かわいいんだけど、男見る目ゼロだからさ。三回も殴られてんのに、でもお、次の日はすっごいやさしいんです、なんて馬鹿な事言うから、さっさと別れさせろって店のママからも指令が出てさ」
「そうなんだ」
 男が苦笑する。そうすると、妙な色気が出た。女と並ぶと急にいい男に見える男がいる。気づかなかったが男はそのタイプなのかもしれない。
「めんどくさい男なら電話しろ。すぐに行ってやるから」
「ありがと」
 女が男の頬にキスをする。二人とも中の上の容姿なのに、妙に絵になっていてエロい。
 熟したエロスが漂っていた。
 毎日のようにしているんだろうなと藤巻は思った。
 女が出ていって一時間もしないうちに男も仕事に出かけていく。
 藤巻はスマホをとりあげ、時間を確認する。六時四十二分。二人は何時に帰ってくるのだろう? それまで何をしていれば。とりあえず、テレビをつける。テレビでは、地域のニュースを見たこともないアナウンサーが伝えていた。

 テレビにも飽き、目についたのは女がさっきまでいじくりまわしていたメイク道具だった。
 藤巻は女がしていたように、フローリングにぺたりと座り、鏡に顔を写す。
 もともとぼーっとした顔だったが、働き続けるうちにさらに意志のない顔になったと思う。
 三割ほど大きくなっていたアイメイク終了後の女の目を思い出す。
 自分の目もあんなふうにでかくなるものだろうか。藤巻は試してみたくなる。
 勝手に化粧品を使ったら女は怒るだろうか。女は家のものはなんでも使っていいと言っていた。アイメイクに興味があった藤巻だが、とりえず使い方がはっきりしている口紅を手にとった。
 女より男が先に帰ってきた。十二時前だった。
 藤巻の顔を見た男は、爆笑した。
「なんだ、お前、その顔」
 藤巻がYouTubeを参考にしながらメイクを施した顔を見て笑い続けている。
「うけるわ。真面目な顔して、そんなふざけたことして」
「どうですかね?」
「どうって?」
「アイメイクを頑張ってみたんですけど、目、でかくなってますかね?」
 マスカラのつけすぎで束になったまつ毛をバタバタさせながら、藤巻が男に尋ねる。
「でかくなった、でかくなった」
 男が再び爆笑する。
「どうです? 一緒に」
 男を誘ってみる。
「え? 俺も?」
「いいじゃないですか。受けますよ、きっと」
「そうかあ」
 言いながら男がキラキラと安っぽく照明をはね返すゴールドの口紅を手にとる。中にはショッキングピンクの練り物が詰まっている。 
「座ってください。俺がやってあげます」
 藤巻は男を鏡の前に座らせた。
 笑いながら目を閉じた男の顔にファンデーションを伸ばしていく。
 人の顔をいじるのは緊張したが、自分がした失敗をしないように男に施したメイクは、自分の顔にしたそれよりずっと上手くできた。
 男は意外にも藤巻よりずっとメイク映えした。
 自分のように笑えない顔になった男を見て、藤巻は内心舌打ちする。 
「おっ、結構いい女じゃない? ってゆーか、こーゆー女、いるよな? な?」
 男が歓喜する。
「そうですね」
 藤巻は適当に答えた。
「へえ。なるほど。こんなに変わるのか」
 女の変身を毎日見ているだろうに、男はしきりに感心している。
 そんなことをしているうちに、一時近くなり、女が帰ってきた。
 二人を見た女が爆笑する。
「何やってんの、あんたたち。バカじゃないの?」
 化粧がはげかけた女はリビングに入ってきたときは年相応の疲れた顔になっていたが、笑うと一気に若さを取り戻した。
 笑うと女は小さな草花ほどの明るさを放つ。
 この女は結構男にモテてきただろう。男もそうだ。
 自分とは違った人生を歩いてきただろう二人を前に、藤巻は小さくなる。
 どう見ても二人のほうが楽しそうだし、幸せそうだった。
 丸の内にある東証一部上場の大手企業と福島のスナックと焼き鳥屋。選びなおせるとしたら、自分はどっちを選ぶのだろう。
「あーあ、こんなにマスカラ塗りたくっちゃって。おいで」
 女が藤巻を鏡の前に座らせ、アイメイクをやり直していく。
 片目が終わって目を開けると、左目だけ普段より四割ほどでかい自分の顔がそこにあった。

 パチンコ屋で出会った男とその女と別れ、藤巻はさらに北上する。
 進める車は秋田に入っていく。
 ずいぶん遠くに来たな。
 就職してからは帰省以外は旅行をしてなかった藤巻は小さな達成感を得る。
 朝に別れた男と女の顔が浮かぶ。
 長く東京に居たという男と女だが、都会に生きる人間の焦りや対抗心や荒みや歪みや意地悪さや変な自分ルールをもっていなかった。
 福島に移ったからだろうか。
 自分も東京を離れれば、あのように無防備に親切になれるのだろうか。
 いや、そうではないだろう。自分にはあんなパートナーがいない。並んでいるだけで、お互いを二割増しに魅力的に見せることのできる相手が。
「そっちを探すほうが先か」
 さっき通りすぎた福島はまだまだ自分には遠いと藤巻は目を細める。
 藤巻は車を止めずにひたすら前に進んだ。
 福島のカップルが相手をしてくれたおかげで、有給に入ってから秘かに体に溜めこんでしまっていた人恋しさがすっかり消化されたのだ。
 本来、藤巻はひとりでいたいタイプなので、誰とも話さない時間はちっとも苦痛じゃない。
 それでもやっぱり腹は減る。
 藤巻は夕食をとるために、どこかに店はないかときょろきょろする。
 県を貫く国道沿いにはホームセンターやパチンコ屋が出てくるばかりで、適当なファミレスやファーストフード店が現われない。
 今夜はどこかに宿をとらないといけないだろう。そのまま車で入れるラブホテルでもないか。藤巻は周囲に目を配りながら、運転を続ける。
 やがて、古いドライブインが見えてくる。
 ガストとか吉野屋とかないのかよ。
 ひとつ舌打ちして、藤巻はその古いドライブインの駐車場に車を止めた。

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