見出し画像

僕という人間~何故好きな地元を離れ宮古島にきたのか~

「僕は弱い人間で自分の都合が悪くならないにはどうしようかと考える卑怯な人間」

僕は30年間神奈川県の茅ヶ崎という街で育ち過ごしてきた。

たくさんの友達にも恵まれたくさんの暖かい人たちにも出会った。

冒頭に書いた自分を客観的にみた時に自分自身で思った一件マイナスな部分。だけど、地元にいればこのマイナスである部分ですら周りの人に支えてもらって、むしろ時にはプラスにすら変えて活かしてくれる友達。

このままでも地元にいれば安定した生活だったり楽しいことだったりが当たり前のようにある幸せがあるのも何となくだが分かっていた。

幸せなことだけど、30歳になる時に、ふと周りをみたら、結婚して家庭を持ってる人、家族を守る為に日々働いてる友達、子供、旦那の為に仕事をしつつ、家庭を守る為に日々頑張ってる友達、仕事で結果を残して上の立場にいる友達。自分も前職で店長を勤め、お店を守る為に、人気店にする為に、自分の成長を見てもらう為に、どこまでちゃんと意識してやれてたかはわからない。やっていた自負はある。もっとできた、こうすれば良かったなんてことは振り返った分だけたくさんある。

そう考えた時に周りに恵まれた環境でやってきた僕はちゃんと自分の足で立てているのか。将来のこと明確に描けているのか。

出来ていなかった。自分でも分かるぐらい成長した証はある、けど将来を考えた時に目標はある、けどその目標に向けてのビジョンが何も出来ていない、そう、環境の良さに甘えて自分自身居心地のいい方に流れぬるま湯に自分から浸かっていたんだ。

だから考えに考え、ちょっと変えただけでは30年生きてきた習慣みたいのはそんな簡単に変わるものではないし、覚悟を持って0からスタートをするにはどうしようかと考え、たどり着いた結論が

「知り合いのいない、簡単に帰って来れない場所」に身を置くこて。

正直全国で場所を探した。海外も考えた。

労働条件も含め適した場所が沖縄県の宮古島だった。

今まで宮古島には来たことないし、宮古島バブルなんて言われてるのは知ってるけど他は海がキレイなイメージしかない。

もう後は動くだけだった。いつもなら何かと理由をつけて諦めていたけど、変わるんだという覚悟、動かないことには何も変わらない、自分の夢を明確なものにするんだ。その気持ちだけは絶対にブレてはいけない。

「僕は弱い人間で自分の都合が悪くならないにはどうしようかと考える卑怯な人間」

こんな自分を人生一度きり、悔いのない人生を送る為、自分の夢を確かなものにする為、自分自身の更なる成長をするため単身宮古島に来たわけです。

長くなりましたが、こんな感じで決心した気持ち、やりたいこと、生活、悩み、夢にむけてをつたない文章で順々に追って書いていければと思います、ありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?