見出し画像

電話メモワール

ある令和の午前中、最寄駅までの道程。店舗が数軒しかない小さな商店街をいつものように歩いていると、懐かしい高く響く音が聞こえた。
『ジリリリリーン』
僕の記憶では、その音は黒電話の着信音だった。

黒電話。
人の顔の大きさは様々だが、耳から口までの物理的な距離をカバーする長さの受話器を、コードがついた方を下に(口の側にくるように)最初に片手に取る。コードがついて無い方が耳の側、スピーカーだ。
手のひらを広げたくらい大きなダイヤル。目的の数字が書かれた位置の、指先が入るだけの小さな穴に指をかけ、軽く力を込めて右端まで時計回りに動かす。右端までいったら指を離して元の位置に戻るのを待つ。この1回を1桁の番号として、電話番号の桁数分だけ繰り返す。
何桁まで回したか忘れてしまったり数字を間違えた場合は、受話器を元の電話に置き戻してからやり直しだ。液晶のような入力した数字が表示されるものは何も無いから、間違った番号にかけてしまう事も多かっただろう。

ダイヤルを回すという動作からは、小林明子さんの恋に落ちてという歌をよく思い出す。昔に流行した歌という事もあって聴く機会が多かったのだろう。僕はメロディーや声質が好きで、令和のいま聴いても良い歌だと思う。
子供心に歌詞の意味は詳しく分かっていなかったものの『ダイヤル回して 手を止めた』という行為は理解できた(もちろん心情も含めて理解できたのは大人になってからだが)。
電話番号を全て入力し終えるまでにある程度の時間がかかるため、このままかけて大丈夫かと躊躇ったり、昂った気持ちが少し落ち着き冷静になるまでには充分だ。
もしも今風に置き換えてみるなら、『LINEを送って すぐ消した』や『未読の間に すぐ消した』かも知れない。こういった表現も30年後には通じなくなっている可能性を考えると趣深いものだとしみじみ思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?