夕暮れ_多摩湖公園_sunscreen

子供たちの初恋を、大人たちが守る日。槇原敬之さんと崖の上のポニョ

あるブログが出てきた。

今よりもっと中途半端だった11年前の僕が、たった13回の投稿でやめてしまったブログだ。空地に放置された粗大ごみがそのうち雑草に隠れていくように、検索にかかることもなく、記憶からも遠ざけていたものが、何の因果か今頃になって、いま手元にある。

ブログとしては、自分でみても恥ずかしいようなショボい遺物。自分のお客様向けの内容でいくはずが、各記事の方向がとっちらかり(今もそんなに変わってないけれど)、肝腎の伝えたいテーマは、ほとんどまだ前書き部分といっていい記事で途切れている。しかも半分ほどが、お客様へのテーマから脱線した記事。

脱線したその中にひとつだけ、ある個人について書いたものがある。

それが、槇原敬之さんのことについてだった。

当時、僕はある理由から、彼が次の曲で書いてくる歌詞が気になり、秘かに待ち望んでいた一時期がある。

あれから11年、いま彼は再び重大な過ちを犯した疑いの渦中にある。未だ、伝え聞く情報は様々で、今後どういう展開を迎えるのかはわからない。

一方、今日2020年2月24日現在を日本に生きている人は僕も含めて、この日本に、そしてやがて世界にまで大きく広がるかもしれない、目に見えないウイルスの恐怖に少なからずおびえて生活をしている。

そして僕は、11年後の今の、自分の中のある変化に気づく。

あんなに「槇原さんは次に、どんな歌詞を書いてくるんだろう。」と心待ちに動向が気になったあの3か月が嘘のように、槇原さんの今の情報に無感情になっているのだ。正直、槇原さんどころではないと、どこかで思っている自分がいる。

ひとつには、あれから最近に至るまで、仕事で依頼されたりする時の、人々の悪い習慣を変えていくサポートの難しさを経験したり、地域の安全を守る方たちの地道で過酷な活動を知ることになったりした事も変化の理由にあるのかもしれない。

暑さ寒さの中で町や人に目を凝らし、探し、丁寧に声をかけ、時には罵声や批判もあびながら毎日毎日それを続けている。身近にそういう姿を目にしていくうちに、真摯に僕らを守ろうとしてくださっている人たちには、余分な仕事をできるだけさせるべきではないとも思うようになった。

見つけるのも難しいような小さなモノを、しかも見つけても、喜ぶどころかため息や怒りが出るような結果に向かって日々努力をし続けなければならない仕事をしている方たちの大変さは察するに余りある。そこに加えてさらに、ウイルスという大きな敵の出現。

11年前とは、明らかに視点も価値観も変わっている。

そう思いながら、見つけたその槇原さんについての旧い文を読んでみると、そこには今の僕とは違うけれど、槇原さんのある変化や歌詞を起点に、素直にさまざまな世の中の事に思いをはせている昔の自分がいる。

11年も前だけど、そこにありありといるのだ。そして、その時の自分の切なる思いに、いまの違う自分が立ち止まり考える。

昔の自分の思いも尊重しつつ、現在の自分の考えも裏切らず大切にするならば、ひいては周りの人達とも、擁護だ糾弾だと対立を煽らず、できるだけいろいろな立場の人の声に耳をふさがず、短期的に長期的に、どうしたら今よりは敵とか味方とか関係なく皆にとって良いのか、誰とでも共に考えたり動いたりできる人間になりたい。

以下は、そんなことを改めて考えさせられた、11年前の槇原さんについての僕自身にも忘れられていたブログの一文である。駄文ではあるけど、これを読む方に、たとえお一人でも何かを思う、または思い出すきっかけにしてくださればと引っぱり出した。

これを書いたのは2009年の3月に入った頃で、その前年の夏と秋の槇原敬之さんについて述べている。

もしかすると、読者の方の中に、僕と同じように槇原さんのある変化に気づかれた方もいらっしゃるかもしれない。

きっかけは11年半前の8月、ポニョの女の子、大橋のぞみさんだった。

==================================

『  子供たちの初恋を、大人たちが守る日。』(一部追記・改訂版)

3月に入って これから約1か月  日本中の子供たちの小さな胸は

今年もまた たくさんの出逢いと別れを経験する。


ゆうべ 夕食をとりながら ふとTVの画面に目をやると

去年 誰もが一度は口ずさんだ あの「ポニョ」を歌った女の子(大橋のぞみさん)が、ふたたび出ていた。

たった半年で 少し大きく成長したその子を見て TVの前の僕たちはちょっと驚いていた。


あれから 半年。

僕は、僕ら大人たちに小さな変化が起きた、

半年前の夏の、あるシーンを思い出す。


ミュージックステーションという音楽番組だった。

出番のアーチストが歌の前に、司会のタモリさんとトークをしているその後ろで

他のアーチストが 話に耳を傾けているスタイル。


その日、のぞみさんは

主題歌をうたう話題の映画、崖の上のポニョへの、

日本中の興味・関心を一身に背負い

子供なりに できる限りの振る舞いで

おそらく初めてと思われる生放送に出ていた。

緊張して大人からの質問に答えている彼女をみて

後ろに並んだアーチストたちは

彼らもまた画面のこちらから「見られている」ことを

一瞬 忘れてしまったかのように

つくりのない優しい笑顔で見守っていた。


歌がはじまった。

幼い 初恋の歌だった。

軽い興味で聴いていたものの 驚いたことに

あるフレーズで 予想もせず

不覚にも 涙がこぼれそうになった。


「いっしょに笑うと ほっぺがあついよ」

「あの子が大好き」

(崖の上のポニョ  作詞 :近藤勝也  補作詞 :宮崎 駿  より引用)


というフレーズだった。

よくあるセリフ。明るい曲調。

その時点で まだ映画は観ていない。

こみあげてきたものが 何なのかわからず曲が終わった。


曲が終わって 画面が他のアーチスト席に切り替わった。

席には槇原敬之さんもいた。

そこで 彼の ある変化に気がついた。

「…泣いている。」


たまたま録画しておいた番組だったので 思わず巻き戻して確認してしまう。

生放送の照れ臭さもあったのか

すぐに 表情を整えてはいるけれど

確かに 彼は

泣いていた。

(後日、他の番組でも 別のアーチストが画面の隅で、涙を一生懸命こらえるのを見ることになる。ミスチルの鈴木さんも怪しい 笑)


彼が僕と同じフレーズに泣けたのかはわからないが

同じ反応を生でしてしまった 妙な親近感とともに

彼がこれからどんな詩を書くのか 気になった。

3か月が経った。

季節はたしか秋。

同じ番組に また槇原さんが出ていた。

3か月前、ポニョの歌に人知れず

急いで泣き顔を隠した 槇原さんの歌。

「君の後ろ姿」  というタイトルだった。

それは大人になった「僕」が、

本当の気持ちを うまく伝えられない という歌だった。

大人になると誰もが 身に覚えのある そういう歌だった。


聴き終わったとき、僕は

3か月わからなかった、

あの時 こみあげた「きもち」の正体が

少しだけ わかったような気がして

今度は 本当に

涙が こぼれた。


街の多くの人が ついつい

ポニョの歌を 鼻歌にしていた去年のあの頃

その軽やかなリズムとは裏腹に

僕や槇原さんのように

その曲に なぜか深く心打たれる「大人」が

日本中に たくさんいたにちがいない。

でも 最初 僕は それが

その声や 愛らしさや

「子供」という小さき者のチカラだけで

成されているのかと 単純に思っていた。

でも 違った。

本当は、

いじらしくて、

一生懸命で、

不器用で、

よわくて、

臆病で、

優しくて、

愛すべき者たち、

それは「大人」たちの方だったのだ。


「遠くの無邪気な子供の笑い声
 
 初めて恋したあの頃とよく似た

 ぎこちない夕暮れだ」

「振り返らないことを 願うけど

 一度も振り返ったことなんてない」

「君の後ろ姿を見送るときだけ

 嘘をついてない僕でいられる」
                      

(以上  君の後ろ姿   作詞 : 槇原敬之  より引用)

素直に向かい合って

「大好き」といいあった ポニョと宗介くん。

僕たち大人こそ ぎこちない。

家族や 恋人や 夫婦や 友人や、

ときどき 相手の後ろ姿に

かけたい言葉を飲み込んだり、

心配してくれる想いに気づかぬまま

後ろ姿のまま立ち去ったりする。


自分のことについては

そんな弱い僕たち大人だけど、

「あの子が大好き」と歌う子の瞳のむこうに

ポニョだけでなく 不特定多数の

日本中の いや 世界中の

ちいさな子供たちのイメージをだぶらせて

彼らが人生ではじめて出会う、

キラキラした「初恋」の感情を、

大人たちは 

自分たちの現実的な苦しさを 一瞬 脇においてでも

応援したくなるのだと思う。


僕たち大人も かつて通った感情。


「あの子が大好き」の「あの子」は

現実には、大人になると きっとほとんど誰もが

そばにいなかったりするだろう。


それはわかった上で、

また、大人に近づけば近づくほど

素直な気持ちでいることにさえ ぎこちなくなることもわかった上で、


せつなくも けわしくもある 「感情の長い旅」の

始発駅みたいな「初恋」に出会えた子供たちを

それが どこの国の どんな子供たちであっても

大人たちは、

いつのまにか ついつい

心のなかで 祝福してしまう。


「子供は宝」だと世間で言われているからだとか

「未来を背負って」もらわなければいけないから 子供たちを守るとかじゃなく

僕たち大人もたどってきた、 

つらくも楽しくもある 自由に選んできた「感情」。

彼らが自由に選ぶ「感情」を守るのだ。

そんな愛おしい大人たち。

きっと もっと素敵になれる日本と世界の大人たち。

天使の声と瞳を持っているのは子供たちだとしても

まだまだ 平和な世界をつくれるのは

よわくて つよい 大人たち。


でも

かつての歴史がそうだったように

もしも また 大人になっても

自分の都合や欲望で

戦争や犯罪に

子供たちの感情の自由を奪ってもしかたないさ、と

思うようになってしまった人がいたとして

そんな人に対して、憎しみと無関心の選択をせまられそうになったら

僕たち大人が

その人の両肩に 

何人もの体温のある手のひらを置いて、


『 いま あなたが ナイフと銃を置いて 

  こぶしをほどいて思いとどまることは

  ひとりの子の命だけでなく その親だけでなく

  あなたと同じ 数え切れないほどの大人たちの

  数え切れないほどの想いを救うことになる、

  ものすごく ものすごく 価値のあることなんです。』


と 自然に、

何度でも何度でも 伝えられる、

そんな世の中をつくる一人でありたいと思う。

================================

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

umepink


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?