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どこまできれいな自分でいるか

自分へのいいわけを戯言として。

最近、たくさんの人と関わるコミュニティを作ったため、初対面の機会が圧倒的に増えた。会った人の大半はきちんとした会社に入り、マナーを心がけている人ばかりだった。それはそうで、仕事での打ち合わせであろうと趣味で会うオフ会であろうと、一定の大人になるとある程度のマナーを携えて人と会うため、「天気の話」「ここまで来た話」「社会的な出来事」といった共通の話題になりやすい話から入り、打ち解けていく。

僕はこれがとても苦手で、いきなり本題に入ることが多い。もちろん、「いきなり何をいっているんだ、こいつ」と思われるように感じることも多い。時間の無駄とかそういう風に考えているわけでは少ししか無いが、それより本題を話す時間を増やしたい、から。天気の話は店員さんと話してもそれほど変わった答えはこないけど、会うことを約束して会った人とは、目的となる話をしたい。ただ会うだけなら、たぶん会わない。性分として。

活動の説明を一日に6回することもあり、それが何週も続いた。そのため、誰に何を話したかを忘れることもあった。初対面の相手だとおそらくそういったことは隠すのが礼儀なんだろう。でもぼくは「今日何度も話していて誰に何を話したか忘れてしまって」と必ずいう。もしかしたらこの言葉を聞いた人が「自分はその大勢の一人だから軽視されている」と思うかもしれない。しかし僕の考えは逆で、「話し忘れるのは僕の非であり、だからお詫びも兼ねて発言しているつもり」でいる。会った相手を軽視することなどない。その後の付き合いで軽視することは往々にしてあるが。

相手にはきちんと疲れている態度を見せる。6時間ぶっ続けで話していると疲労も麻痺してくるレベルになる。相手に気を使わせたいという意図ではない。自分のことを知ってもらう一つの形で、僕は自分の状態を隠したりすることはないという意志の表明としている。今回のコミュニティは特に必ずしも仕事になるとは限らないものであるが、仕事にもなりうるものである。その人達に参加してもらう以上、自分のことは知ってもらう必要があると思っている。だから仕事をする人にも基本的に自分の病気のことであったり性格であったりを知っておいてもらったほうがいい。もし合わないと思ったら離れてもらっても良い。お互いのストレスのためにも。僕だけが主体ではないにしても、僕のような人間が主体側にいてその上でストレスを抱えてもらうより、はじめから付き合いは「なかった」ことにしてもらったほうが良い。他のメンバーがどう思うかはまた別の話。

常識はもちろん大事で、それによって生まれる関係がほとんどであろう。なるべく身なりを整え、フォーマットに従った対面をし、本題に入り、落とし所をみつけ、結論を決めて解散する。それは本当に良いものなのであろう、きっと。

僕はそれが準拠できるほどきれいな人間ではない。やりたいことを押し出し、それに賛同して協力して貰える人と付き合いたい。もしくはやりたいことを押し出してもらって、それに賛同できるなら協力をする。それぐらいの付き合いで良い。協調性がない、の一言なんだろう。だから輪読会も苦手て、誰が一気に読んで説明し、それを指摘するゼミのスタイルのほうが良い。「仲良くやる」より、「やりたいことをやる」方がよい。それでないと、何かを成し遂げる以外にやらなければいけないことが増えてしまう。

自分をきれいに見せるのはとても苦手である。きれいではない、というのもあるが、諦めというより性に合わない。

フリーランスをしていますが病気で働けないことがあります。記事がなにか琴線に触れたら支援いただけるととてもうれしいです。