見出し画像

人のできないことにフォーカスするのはフラストレーションがたまるだけ

僕もたまにそれに陥るので自戒をこめて。

人は人に期待してしまう。「これをやってくれたらいいのに」とか「なぜこれをしないんだ」とか。これが顕著になると「自分はやっているのになぜやらないんだ」「自分はできるのになぜあいつはできないんだ」と。

これを考えることは時間と労力の無駄。そうかんたんに人は変わらない。なぜかというと、自分だって変わらないからである。上のようなことを考える人の大半は「自分は臨機応変に対応できる」と思っている。でもそれは臨機応変に変われる部分にフォーカスしているだけで、できてない部分が数多あることに自覚できていないか、自覚しようとしていないかのどちらかである。

僕が心がけていることの一つとして「人に期待しないこと」というのがある。これは言葉尻では人をネガティブにとらえられるかもしれないが異なる。言い換えるとすれば「人を自分の枠で捉えない」ということである。「自分の枠」とは自分の持つ性質や能力、価値観といったもので測る目安の「ものさし」である。その「ものさし」はあくまでも一つの尺度でしかない。分度器で長さが測れない、定規で温度が測れないように自分には持ち合わせていないものさしはたくさんある。自信家ほど「ものさし」を自分の経験で作った気になって人を測ってしまう。もちろん成功している場合がいいものの、そういう人ほどうまく行かないときに上で述べた

これが顕著になると「自分はやっているのになぜやらないんだ」「自分はできるのになぜあいつはできないんだ」と。

という思考に陥りってしまう。自分には測ることができないものがあるときちんと認識しておくが重要である。

「自分には測ることができないものさし」というものは、自分自身にも有効に働く。ここで、「自分には測ることができない」というのは単に「できない」ということとは異なる。「できない」というのは「できない」という認識ができている段階である種の「ものさし」ができていることになる。そのことを「できる」人を認識できるからである。ただし、この「できないものさし」は「天秤」のようなものでできるかできないかは認識できても「どのくらいできるか」は認識できない。それでもある種の基準にはなる。しかし「自分には測ることができないものさし」は言ってしまえば「認識できていないこと」である。現代の科学ではダークマターやダークエネルギーが「何らかの物質・自称があると思われるが我々は観測できない」ものであるように、認識できていないことは絶対に測ることはできない。しかし「ダークエネルギーやダークマターがある」と仮説することで様々な状態を説明できることと同じように、「認識できていないこと」を認識しておくことで、無意味に自分や相手を責める機会は減る。

人を責めることは大変労力のいることで疲弊し消耗する。無駄に疲れることはしないことが重要である。

フリーランスをしていますが病気で働けないことがあります。記事がなにか琴線に触れたら支援いただけるととてもうれしいです。