スピリチュアル童話『わたしはかみさま』
きがつくとわたしはそのくうかんにいた。
くらくてつめたくてだれもいない、まっくらなくうかん。
さみしい。なにもない。ただのくらやみ。
あいたい。だれかにあいたい。
そうおもったとき、まっくらなそこからひとつぶのひかりがしみだした。
わたしがみつめると、ひかりはますますおおきくなった。
つぎのしゅんかん、ひかりはまっくらなくうかんをつつみこまんばかりにひろがった。
まばゆい。
しかし、たったひとつだったひかりはかぞえきれないほどにぶんれつし、あちらこちらでかがやきだした。
しろ、あか、きいろ、そしてあお、いろとりどりのまたたきだ。
わたしはしばらくそれらをみつめて、うっとりとした。
まっくらなくうかんがたくさんのひかりでかざられて、わたしはさみしさをわすれた。
でも、しばらくすると、やっぱりさみしくなってきた。
はなしあいてがほしい。そうおもうと、
やあ、こんにちは。きみのなまえは?
ひかりがわたしにはなしかけてきた。
いや、ほんとうはちがう。わたしがわたしにはなしかけたのだ。
でも、わたしがわたしにはなしかけているだけだとおもうと、ものさびしい。
だから、わたしはだれかがはなしかけてくれているとおもいこむことにした。
ねえ、きみはどうしてひかっているの?
さあ、どうしてかな? きっとひかりのもとになっているほしのおかげかな?
ほし? ほしって、ああ、あのたいようのことかな?
そうそう、あのたいようのこと。たいようがぼくたちをてらしてあたためてくれる。
なるほど、そういうしくみか。
たいようにてらされたほしにはさまざまなめぐみがうまれるんだ。
めぐみだって?
そうだよ、そのほしはうつくしいみどりとみずでおおわれているんだ。
へえ、そんなにうつくしいならいってみたいね。
いってごらんよ。どうせぜんぶきみのひとりしばいなんだから。
そう、これはぜんぶわたしのひとりしばい。
でも、ひとりしばいだなんておもいたくはない。
だから、わたしはなるべくこれがひとりしばいであることをわすれるようにしてみる。
やあ、みどりくん、はっぱがあおあおとおいしげって、げんきそうだね?
なーに、ぼくがみずみずしくいられるのも、おみずさんのおかげだよ。
あらやだ。どっちかっていうと、だいちちゃんのおかげだとおもうわ。
いえいえ、たいようさんがあたためてくれるおかげですわよ。
はっはっは、たしかにぼくはすべてのいのちのみなもとだからね、かんしゃしなさい。
たいようさんはすごいな。みんなにめぐみをあたえるばっかりなんだから。
みんなはくちぐちにたいようさんをほめたたえます。
といっても、ほんとはぜんぶ、わたしのひとりしばいなんですけどね。
でも、はなしあいてがふえてくると、ますますたのしくなってきました。
おかげでわたしはこれがひとりしばいだってことをときにわすれてしまいます。
ねえねえ、でもわたしたちだけじゃなくて、もっとちがういきものがいたらいいとおもわない?
いきものだって? それはなんだい?
じぶんのかんがえでうごいて、ごはんをたべて、しそんをふやして、そしてさいごはしんでいく、でもやがてまたかたちをかえてうまれてくる、そんなかんじのものかな、きっと。
なるほど、それはおもしろそうだ。ではいきものってやつをこしらえよう。
こうしてわたしはむちゅうになっていろんないきものをつくりだしました。
まずはどんなかたちなのかをかんがえたら、そのとおりにこしらえます。
そしてさいごにいのちのもととなるいぶきをふきこむと、いきものがぶじにうまれます。
ほほう、これはおもしろい。もっといろんないきものをつくってみようか。
さいしょはたんじゅんないきものだけでしたが、わたしはさまざまなものをかけあわせたり、よりうまくいきのびていけそうなかたちをかんがえて、それらをかたちにしていきます。
そのうち、いきものどうしがけんかをはじめました。
といっても、ほんとはぜんぶ、わたしのひとりしばいなんですけどね。
でも、はなしあいてがますますふえて、そのうえ、いきるかしぬかのかけひきまでうまれてきて、わたしはこのあそびがもうやみつきです。
あるいきものは、よりちいさいいきものをたべることでいのちをつないでいきます。
ときには、ちいさいいきものがおおきないきものをうちたおしてしまうこともあります。
でも、むやみやたらと、ころしあいをするわけではありません。
ただ、みんな、いきていくためにひっしなだけなのです。
そうはいっても、ちいさないきものがたべられてしまうのは、やはりかなしくもありました。
わたしは、だんだんだれにもたべられないいきものをつくりたくなってきたのです。
そうだ、そうしよう。このほしのだいひょうとなるようないきものをつくろう。
わたしは、そのいきものをにんげんとなづけることにしました。
ほかのいきものより、かれらはちえをもっている。
だからからだはちいさくても、ほかのいきものをしたがえていきていくことができるんだ。
いやあ、にんげんってたのしいな。
やっぱりたべられないいきものだからひいきにしちゃうな。
でも、そんなにんげんも、ちえがあるばっかりになかまどうしであらそいをはじめました。
なわばりだったり、かんがえかたのちがいで、ときにはころしあいさえするのです。
といっても、ほんとはぜんぶ、わたしのひとりしばいなんですけどね。
でも、もうこのころになると、わたしのえんぎりょくはばつぐんにじょうたつしてしまい、わたしはにんげんになっているあいだ、じぶんがひとりしばいしていることをかんぜんにわすれてしまいます。
それでけんかするにんげんどうしをぜんぶひとりでえんじわけているのです。
もちろん、それぞれのやくになりきっているので、あいてとじぶんはべつじんなのだとおもいこむことができています。
そうおもえばおもうほど、にんげんはあらそいをうみだしていきます。
あー、ほんとうはぜんぶわたしのひとりしばいなんだけどな。でもえんぎりょくがたかすぎて、もうわたしはわたしじしんをかんぺきにだましてしまうことができるのです。
だから、あるにんげんは、いつもあるひとびとをけぎらいしていました。
そのひとびともまた、けぎらいしてくるにんげんたちをてきとみなし、にくんでいました。
おもしろいですね、にんげんというものは。
ほんとはぜんぶ、わたしのひとりしばいなのに、わたしのえんぎりょくがすごすぎるばかりに、もうみんなかんぜんにこれがわたしのひとりしばいなのだということをわすれています。
そのうち、にんげんたちはころしあいをはじめました。
ころすほうもころされたほうも、ほんとうはぜんぶわたしなのにです。
でも、このままいくと、わたしのおきにいりだったにんげんがぜつめつしてしまうかもしれません。さすがにこれはまずいとおもったわたしは、にんげんたちへてがかりをあたえることにしました。
すると、このてがかりをもとに、すこしずつしんそうにきがつくものたちがあらわれてきました。そんなにんげんたちは、じぶんたちがいきるせかいのほんとうのすがたや、ひととして、どういきていくのがただしいのか、といったことをひろくとなえるようになったのです。
けれど、どうじに、かれらにたいこうするせいりょくもうまれてきました。
じぶんたちさえよければ、それでいいとかんがえるひとびとです。
そして、そのなかでも、もっともあたまのきれるひとびとは、わかっていてあえて、にんげんたちどうしにあらそいがたえないようにしむけたのです。
だって、そんなふうにしたほうが、じぶんたちがあまいしるをすいつづけることができますからね。
こうして、じぶんたちさえよければいいグループと、みんなのちょうわをとなえるグループ、それからじぶんのかんがえがよくわからず、とりあえずうえのひとたちにしたがっていきるグループへと、にんげんはわかれていきました。
ええ、ほんとうはぜんぶ、わたしのひとりしばいなんですけどね。えんぎりょくがすごすぎて、もうかんぜんにみんな、これがおしばいだってことをわすれてしまっているのです。
わたしは、いつかこのせかいのひとびとが、しんじつにきづいて、ちょうわしてくれることをねがっています。
ほんとうは、このせかいは、たったひとつのわたしなのだということを。
もしそんなひがきても、もうわたしはさみしさをおぼえてしまうことはないでしょう。
だって、わたしのなかには、たくさんのひかりであふれているにちがいないのですから。
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