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がんになった父が死に際に何と言っていたのか分かった気がする【脳転移】

ぼくの父は、がんを患って67歳で他界しました。

最期はがんが脳に転移して通常の意思疎通が取れない状態になりました。

いよいよ脳に転移した、という知らせを聞き、父が入院する地元の大病院を訪ねた際のことは今でも忘れません。
そこには、もうこれまでとは異なる父がいました。

「あ、もうこれは今までのお父さんとは違うんだ」

と一眼見て思いました。

がんの脳転移がもたらす症状は本当に無残です。
病室を訪れた息子の姿に気づくと、やせさらばえた父はぼくの腕に力強くすがりつき、

「うおおおぉあああぁぁいいいいあぐぅうううえええぇぇおおおおお」

といった感じのうめき声をあげていました。
何かを必死に伝えているようにも見えましたけれど、単に脳が正常な働きをできず人体全部が言わばバグを起こしているようにも見えました。

こう言ってはなんですが、ぼくはそのときの父が怖かった。

もうなにか別の存在になってしまった父が怖かった。

意味のわからないうめき声をあげ、目線も定まらない父は地獄絵図に描かれる亡者のようにも見えました。

怖くもあり、悲しくもあり、哀れでもあり、本当にこのような状況が訪れてしまうのだなと現実の厳しさに絶句する思いでもありました。

うめき声を上げるばかりで人間としてブッ壊れてしまったかのような父は、どのような意識状態にあったのでしょうか。

実は本人の視点に立てば意識は明瞭にあるにもかかわらず、身体のコントロールだけがきかず、あのようなふるまいになってしまう状況だったのか。

それとも、やはり見た目通り意識はほとんど崩壊していて本人自身、自分が何をしているのか何を思っているのか理解することもままならぬ状態だったのか。

そのような悲惨な状態を経た末に父は亡くなりました。
ぼくが再度地元を離れてから間もなくのことでした。

葬儀後、遺品を片付けましたが、遺言だとか家族へのメッセージだとか、そういったものが残されている形跡はありませんでした。
自分はもっと生きながらえると思っていたのに脳への転移が思いがけず早く進行してしまったため、そのようなものを遺す猶予がなかったのか、そもそもそういうものを残すつもりがなかったのか、今となってはわかりません。

ぼくは思いました。
父は何を思って生きている人だったんだろうか。
どういう人生観の人だったんだろうか。
どうせ亡くなってしまうなら何かを遺してほしかった。
これまで父には人生の折々でさまざまな相談をしてきましたが、今後はそういうことができなくなってしまう。
これからはどのように道を見つけていけばいいのだろう。
もっといろんなことを聞きたかった。

しかし実際、そのような話は病人相手には、かえってしづらいものです。入院後まだ普通にコミュニケーションが取れる状況のときも、そんなことは聞けなかった。
なぜなら、

「お父さんはどういうことを大切にして生きてきたの?」

なんて聞いたら

「あなたは、もうすぐ死ぬのです。だから死ぬ前に息子に生きる教訓を残してください」

と言ってるみたいじゃないですか。

もちろんこれからも生きていってほしいと思えばこそ、そのような質問は何か縁起が悪い気がしてできませんでした。

父も生きるつもりがあったからこそ、人生を総括するような話をする気にはなれなかったのかもしれません。

そうこうしているうちに突如、意思疎通がとれなくなって他界してしまいました。

ぼくは父の死後も時折、うめく父の姿を想起しました。
何かを訴えていたようにも思えましたが、単に苦しみもがいているようにも見えました。それ以上のことは考えられませんでした。
父が亡くなってもう十年以上が経ちますが、ずっとそうでした。

しかし今日、仕事のことや昨晩見た夢のことを考えていたら、ぽっと父のうめきの意味がわかった気がしたのです。

夢見状態のときは、なぜか自由意志がないものです。
なぜか非睡眠時と同じような自由意志で行動できません。
ただ夢の中で展開される状況を受動的に体験するだけです。

それに対して非睡眠時におけるあらゆる言動・体験とは原則としてすべてが自由意志の上に立脚するものです。

そして、その自由意志がなぜ実現しているかというと、身体が精神の思うままに動いてくれているためです。

つまり身体(=潜在意識)の献身・協力によって自由意志が実現されているわけです。

それが「生きる」ということです。

「生きる」とは身体・潜在意識の協力なのです。

そして「死に近づく」とは、その協力関係が失われていくことを意味します。
ちょうど、がんが脳に転移した父が意のままに行動できなくなってしまったのと同様に。
やがて完全に身体と意識の連携が途切れてしまうこと、それこそが「死」の正体ではないか。

このことに気づいたとき、父がうめきながらぼくの腕にすがりついて何を訴えていたのかわかった気がしました。

「からだの自由がきく内に、やりたいことをやれ。生きるってことは、やりたいことをやれるってことだ。そして、お前の健康体は決して当たり前なんかじゃない。当たり前があるのは何より尊いことなんだ。そのことに早く気づくんだ」

父は死力を尽くしてそのように訴えていたのではないか?

そういう視点で考えると、ぼくらは生まれながらにして、すでにゴールへ到着しているわけです。

なぜなら、もとは身体の協力を得られない状態だったから。

そのような状態を長らく経た上で、ぼくらは生まれてきたのではないでしょうか。

身体の協力という大いなる愛の力によって。

だとするなら、もうこの身体を通して自由意志を難なく体現できること、それ自体が大変稀有なことであるわけです。

確かに自己実現できるに越したことはありません。
しかし今、健やかに生きている。それだけで、もう充分、素敵なことじゃないか、と改めて思ったのです。

ぼくらは今、何をしなくても、何をなしとげていなくても、どこにたどりついていなくても充分に満ち足りているのです。

生まれたこと、それがすでにゴールです。

そのゴールの後のボーナスタイムを、どう彩るのかというのが人生です。
つまらんという感情に思い悩むもよし、
どうしたらもっとと頭をひねるもよし、
深呼吸して空気の美味しさを感じるもよし、
体の脈動に感謝するもよし。

生きるということは、ただ、ただ豊かで喜びなのでした。

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