97冊目:高瀬舟/森鴎外

こんばんは、Umenogummiです。


今日は森鴎外の短編集です。


徳川時代に京の罪人が遠島(島流し)を申し渡されると、罪人は高瀬川を上下する高瀬舟に載せられました。護送する同心は、罪人の親類を一人同船させることを許しており、そばで罪人と親類が語り合う姿を見、ことこまかに悲惨な背景を知ることができたのでした。

同心の羽田庄兵衛はある日弟殺しで遠島となった喜助という男を護送するため、高瀬舟に載せます。この喜助という男がどうにも、庄兵衛の目にはほかの罪人とは違って見えます。先に書いたように、罪人や同船する親類の多くは悲痛な面持ちで船に載っているのに対し、喜助は物見遊山にでも行くような、楽しげな表情をしていました。

庄兵衛はたまらず、「何を思っているのか」を問います。喜助の口からその理由、そして弟を殺したわけを聞くことになります。


喜助の話の前半、何を思っているのか、という部分では「知足」がテーマになっています。「足るを知る」ということは、多くを求めず、分相応のところで満足するという言葉です。庄兵衛は喜助の話にこの言葉を思い浮かべ、同心とはいえ苦しい自分の生活と比べます。そして人の一生について思いめぐらせます。

後半は変わって「安楽死」がテーマになります。喜助が弟を殺したいきさつが語られ、庄兵衛は喜助が犯した罪について考えます。



中学・高校生のころ、国語の時間が大好きで、どうしてかといえば、教科書を読むのが好きだったんですね。授業でやらなかった作品や、やっていない先のページを読むんです。

高瀬舟は確か、高校生の頃の教科書に載っていたと思います。その頃は、貧しくて弟を殺してしまったかわいそうな男の話、くらいにしか思っていなかったのですが(読解力が残念な生徒でした…)、今読み返してみるとだいぶ印象が違います。

短編でありながら、人生について考えさせられる深い作品です。
とくに「知足」の部分については、資本主義・物質主義の現代社会において忘れていることを思い出させてくれるような感覚になります。

初出は1916年と古いものの文章は読みやすく、15分もあれば読める短い作品ですので、一読することをお勧めします。


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