夏のフロッグ (小説記事)

暑い。
営業周りの午後3時、東京都A区とT区の境目N駅の坂で、私は不覚にも膝をついてしまった。汗が冷たい。熱中症かもしれない。
坂を登りきったところに公園があるのは知っていた。何とか公園のベンチまで這いずっていき、木陰を選んで横になった(古い公園で、ベンチの真ん中に仕切りがないのが有難かった)。

目が霞んで、視界に白いモヤが広がった。

「おい、大丈夫か」

…親父の声だった。あれ、なんでこんなところに親父が?まあいい助かった…。

「だから無理をするなと言ったんだ。35にもなって体調管理くらいできなくてどうする。」

ああ説教は後にして欲しい。

「休みの日もスマホばかりいじって、ゴルフもしない。身体がなまって当然だ。飲みも麻雀もせずクソ真面目やってるからだぞ。」

…だんだん腹が立ってきたな。そりゃ親父の時代はそれで良かったろう。終身雇用、年功序列、バブルだってあったんだからね。こっちはそれどころじゃないよ。給料も社会保障も何もかも目減りして増えたのは税金と非正規雇用だけじゃないか。好き好んで無茶やってるんじゃないぞ。

「親父からもなんとか言ってやってくれよ」

…ん、親父のやつ何を言ってるんだ?親父の親父…?

「だいたい、あのクーラーってのがいけないやなあ」

おじいちゃんの声がした。
中学に上がる前に死んだおじいちゃんの声だ。田舎はG県で、何度か遊びに行ったことがある…。

「ワシらの時はそんなもんなかった。夏は日の出のウチに起きて、暑い午後は日陰で休んだ。夕方また少し働いて、涼しい夜にはウチで手仕事をして…暑いものをムリに冷やして余計働こうなんて、欲深な事じゃ…」

…いやおじいちゃん。それは農家で、そういう時代だったからでしょうが。戦後すぐとかでしょ。今そんなわけに行きませんよ。欲かいてるわけじゃないんです。

「それを言ったら、あの電灯ってのはなんなんだ」

さらに別の男の声がした。知らない声だ。親父が小さく「あ、じいちゃん」と言ったのが聞こえた。

「ワシの頃はあんなものなかったぞ。ランプじゃ。石油だってもったいないから夜は寝た、直ちに寝た。その代わり朝は早いがな!お前らは電気なんぞつけて夜まで働く。孫のことが言えるのか?」

なんだ。どうなってるんだ。私はとっくに気を失って、これは夢の中なのか?

目がおかしい。視界がボヤっと白い。耳だけが妙に冴えていて、色んな男の声が聞こえてくる。また別の男の声がした。

「この子は(私のことらしい)この暑いのに、なんじゃこの格好は。革の靴?なんで長いズボンを履いとるんじゃ?田にも入れん。暑けりゃ脱げばええのにのう…」

さっき親父に「じいちゃん」と呼ばれた男の声で、さらに「じい様」と聞こえた。頭が回らないが、大正とか明治の人だろうか。ご先祖さま、いま東京で裸になったら、それだけでお縄になるんです…。

「道を石で塗り固めちまって、これじゃ暑くて当たり前じゃろうが」
「ナニ、家まで石?で、クーラーとかいうのでムリに冷やしてる?そうしないと死ぬ?デンキ代とか言うのをお上に取られてか。なんじゃそりゃ。囚人じゃのうまるで」

私が返事をできないので、ご先祖連中は親父がおじいちゃん辺りに「令和」の事情を聞いているようだ。おじいちゃんの情報はもうかなり古いが…というか、あれ今思い出した。親父だって6年前に死んでいるはずだ。65歳、大腸癌、病院では早死と言われたことも覚えている。じゃあこれは夢どころか、あの世?

「すると我らが子孫は、デンキとかいうもので夏も冬も無くしかつまた昼も夜も無くし、しかして四六時中カネの心配をしているわけであるな」
「なんだかちっとも羨ましくないのう」
「業の深いことよ」

だいぶ時代がかった言葉遣いが混ざってきた。江戸か、鎌倉か、もう驚きはしないがあまり勝手なことを言われっぱなしでは悔しいではないか。だいたいこんな世の中になったのはご先祖さまにも責任があるんじゃないですか?言ってやりたい。何とかひとこと言いたい。

私は無理にでも目を開けようとて、思い切り擦った。メガネが落ちた気がする。視界はピントが合わないながらも、何かの形を写し始めた…。

「だから恒温動物なんかやめろ、と言ったんだ!」

視界に飛び込んできたのは、理科の教科書で見た「原始人」みたいなヒゲモジャの男だった。…これもご先祖さまだろうか。だいぶ飛んだなあ。だがいま喋ったのはコイツではなく、この原始人が両手に抱えている「カエル」であった。

「オレか。オレはまだお前らがそういう形になる前の、ずーっとずーっと古い先祖だ!」

…偉そうなカエルだ。しかしいくらなんでも飛びすぎではなかろうか。

「昼も夜もない、夏も冬もない!そうなると思ったよ、お前らが『常に体温を高くして、素早く動けるようにしようぜ』…なーんてバカなことを言い始めた時にな!オレたちはずっと暖かいとき動き、寒い時は休み、環境に合わせて生きてきたんだ。それがお前らと来たら寒熱を無視する。体温をいつも同じにしたがる。自分が他より有利に動きたい為にだ!え、それでどうなった?常に高い体温を維持するため、食ったものの2%も身につかない。大食いの貪欲動物に成り下がってしまった。いつもいつも食い物を探してウロウロ、他人と会えばケンカばかり。腹ペコと奪い合い、それがお前らの全てだ。自分さえ良ければいい奴の末路!どの時代のお前らも、え、そうじゃないか?浅ましい!オレは先祖として情けない、嘆かわしいよ!」

そこまで一気に言って、カエルはゲコゲコ鳴いた。いや、「泣いた」のかも知れなかった。

まあそう言われればその通りだが。食べ物、カネ、エネルギー、どれだけ時代が下ってもそれは有限でありパイの取り合いではある。しかしこのクソ暑い中一生懸命働いているこのイチ子孫(つまり私)にはあまりにも大きすぎる手に負えない問題ではなかろうか。一体私にどうしろと、どうしたらいいと言うのか。

「寝ろ!」

突然泣き止んだ先祖カエルが大声で叫んだ。

「哀れな子孫よ。空腹な二本足よ。あまりに気の毒なお前に、オレの力をひとつ授けてやろう!思い出せ、暑いときはどうしたらいいか。オレたちはそういう力をちゃーんと持っていたのだ。カエルのだ。先祖の力にカエレ!」

…全て霧になって消えていくようだった。



「あ、起きた」
…またもや知らない男の声だったが、今度は目がはっきりしていた。医者のようだ。場所は…なんだ、自分の家である。医者の後ろから家人が心配そうに私を見つめている。

そうだ、記憶の途切れたのはN駅近くの公園だった。医者が不思議そうに、体温計やら血圧計やらを出しながらした説明は大略以下のようである。

「ええ、あなたはN駅公園のベンチで倒れているのを発見されました。熱中症だと我々も思ったんです、てっきり。それがおかしい。病院で検温したら熱くないどころか、全くの低体温症と言ってよかった。20℃くらいしかないんです。それでいて死にもせず、こんこんと眠り続けた。一応折を見て点滴はしましたがね…低体温でエネルギー消費も抑えられていたようですね。それ以外は何もできることがなかった。ご自宅に引き上げて貰って、往診という形にしました。それで今お目覚めになったのです。」

こんこん…一体どれくらい眠っていたのか?医者はスマホを見ながら言った。

「今日が10月の4日。搬送が7月29日ですからまる2ヶ月ですね。…まるで冬眠、いや失礼…」

医者は軽いバイタルチェックと、様子を見ながら消化のいいものを少しづつ食べるようにとだけ言い残して帰って行った。

…冬眠。いや、夏眠。そういえば聞いたことがある。カエルの仲間には暑すぎる夏を眠って過ごす種類があることを。
あのカエルが「授ける」と言ったのは、この夏眠能力のことだろうか?

とにかく、夏は去った。

私は爽やかな秋風の中をまた営業に歩きながら(仕事中の急変ということで2ヶ月以上急に休んだ会社も復帰を認めてくれた)、ほんの少し前、あの恐ろしい暑さの中をムリに働いていた自分を…一生懸命ではあったが…やはり何かおかしかったと思うようになってきている。

辛いときは無理して働かない。
働かなきゃ食えないから、寝る。

極端ではあるが、これもある意味「人間らしい」生き方ではなかろうか。いや、青臭い理想論であることは分かっている。だが理想を切り捨てて現実をとって、それで暑さで倒れたってどうせ生きては行けないではないか…。

そして私は既に、次の冬のことを考えている。多分もう2ヶ月もしたら、11月の終わりごろにはまた眠くなるに違いないのだ。

…家人に、会社になんと言えば分かってもらえるであろうか?



(夏のフロッグ  終わり)




たくさんのサポートを戴いており、イラストももう一通り送ったような気がするので…どんなお礼がいいですかねえ?考え中(._.)