見出し画像

やっぱり版画だったのか(ちと長いです)

この記事は渋さ全開になりますので、歴史とかペンとか特に興味ない方はもう読まないほうがいいと前置きしておきまする<(_ _)>

読んだ本の内容と当方の頭の整理、を兼ねております。


注意タヌキ

別に、ぜんぜん悪い意味じゃないんですが、こうペン画を描いて上げていますと、マレに

「絵画のようだ」というお褒め

を頂きます。僭越なことです<(_ _)>。ただ…ただ何か心に引っ掛かるものが以前からありまして。上手く言えないのですが、その一部

絵画の技法でいいならあんなにしつこく線引っ張らないw

…というものです(笑)筆で塗るか、トーンを貼るほうが早いので。ペンで描いた以上は「いいペン画」「いいマンガ背景」と言われたい…のが本音ではある。そういう線がまだ引けなかったか、と思うところです。

(もちろん、頂いたコメントにどうこう言うモノではありません<(_ _)>当方の目指すトコロのお話です。

で、おとといからこんな本を読んでいまして。実に当方のこのモヤモヤをズバリ理論的に解消してくれました(._.)せっかくなのでご紹介しておこうと思います。図書館で借りた本、

画像2

『西洋版画の歴史と技法』アントニー・グリフィス 中央公論美術出版

これはこないだ描いた『ファブリカ』の記事で、(あ、まだの方はこちら…)

銅版画ってバカに線がキレイだな、と思ったので版画について調べようと借りたのですね。で、前々から薄々感じてはいたのですが、やっぱり

マンガは版画であった

ことがハッキリわかりました(笑)ざっと版画の技法の歴史を抜書きすると、

画像3

とっぱん。

画像4

おうはん。

画像5

リトグラフ。

画像6

写真製版(いまここ)である。

んで、これは現代マンガも全く同じようにして印刷されております。原稿を取り込んで(スキャン)デジタルデータとして量産されネットマンガになり、印刷すれば紙のマンガになるわけですが。

最初から量産を目的に作られているので、印刷物が「完成品」であり原稿は「版下」である。

という点において、マンガと版画は全く同じである。まあここまではちょっと考えればすぐわかるオハナシです。

ただもちろん違うところもあって、マンガには「彫り師」がいない(._.)

描いたものがそのまま写真製版に回せるからですね。逆に言えば、マンガ(ペン画)は写真製版のおかげで成立しているジャンルである。それが証拠に、いわゆる「ペン画」が芸術の1ジャンルとして発達したのは写真製版の登場した19世紀の後半です。ウソじゃないですよwちゃんと『ペンで描く』(グプティル)にそう書いてあるんだから。

画像7

(左の本ですよ)

それまではペンで描いたのは下書きで、それを彫師さんがいっしょけんめい木や銅板や石に彫っていたわけですね。で、ここが面白いところですが、

彫れないような絵は版画として発達しない

わけだ(笑)当然。彫って刷ってキレイなのは(ハンコでも同じですが)もちろん線がハッキリ出る(印影が濃い)こと。西洋ペン画の技法は明らかに版画の影響を色濃く受けてますね。

で、同じくペンで描いて印刷に回す、日本の

マンガの技法にもそれがなんとなく輸入されている(._.)

と感じます。たとえば『西洋版画の歴史と技法』にある、技術をちょっと見てみると、

・エッチング

・エングレーヴィング

・クレヨン法、スティッブル法

等は、それぞれ

ペン線(エッチング)と入り抜き(エングレーヴィング)その掛け合わせであり、あとの効果は点描(クレヨン・スティッブル法など)に非常に近い。版画の技法はマンガの技法に翻訳可能です。写真製版から出てきたハーフトーンブロック(網版)、がマンガのスクリーントーンに相当します。

マンガ原稿というのはいじらしいほど版画にそっくりだ(笑)

(※これは学者でもなんでもない当方の妄言ですが、日本のペン線が入り抜きを異常に重視するのは「銅版画の時代がほとんどなかったから」ではないかと思います。細かい入り抜きの効いた線を「彫る」のは気の遠くなる作業です(^_^;)ので、もし銅版画の時代が長かったらもっとマットな線になったと思う)

で、当方がなぜペン画にこだわるか、もっといえば好きなのか。これはただ単に好みの問題というよりは、ハッキリと理由があります。

マンガって雑誌や単行本で感動できる

んですね。何をアタリマエな、と思うかもしれない。でも比べてみてほしいんですが、モナリザでもなんでも、

名画を雑誌や印刷物で見て感動できるか

というと、そういう経験はほとんどないです。よっぽど好みであるか、いい画集(高いw)で見れば別ですが。で、たまに感動したとしてもそれでも名画は本物の方がだんっぜんイイわけで、美術館に行けばそれは明らかです。大きさや見る距離など、実物と対峙なければ受け取れない情報がとても多いですね。

マンガなんか印刷物なのにしょっちゅう絵に感動する(笑)

ここが「最初っから印刷用に発達してきたプロ」である版画・ペン画・漫画の訴求力だと思います。(もちろんマンガの生原稿にはまた独特の魅力もあるんですが、その話はおいといてw)

ここは当方の言葉より、アントニー・グリフィスどののオコトバを引用したい(._.)


写真製版による絵画の複製というものは「そこそこ満足な」程度のものであるのに対して、版画を写真製版で複製したものは、驚くほど精巧な質に達するのである。木版画をラインブロックで複製したもの、エングレーヴィングやエッチングをフォトグラビアで複製したものなどは、刷りの工程の点でもインクと紙という材料の点でも、版画本来の方法と同一であるため、原作から見分けることが非常に難しいことがある。(アントニー・グリフィス『西洋版画の歴史と技法』p12)

当方はこの一文を読んだとき、ハタと膝を打ちました(笑)これはマンガのことではないかいな、と。

(この段 余談)

余談なのですが、こういう意味で「マンガは最初からデジタルであった」と思うのです。元の版画では「インクが紙にくっつく(1)かくっつかない(0)か」で絵を作るわけで、当方何度も記事にしているように中間色というものがない。中間がない0か1かの制動を普通「デジタル」と言うのであります。だから当方の絵を「アナログの魅力」と言っていただけるのは大変嬉しいのですが、「手で描いている」=「アナログ」ではない、理屈から言えばデジタルな作業なのです。細かいこと言えば

当方のは「アナクロ」(時代遅れ)が正しいw

と思うのですが…余談終わり。

ペン画描いて「絵画みたい」といわれたときの嬉しいけどもモヤリンコはたぶんここが原因だな、と思った次第でありました…お、ちょうどいい文章があった、これも引用しておこう(._.)

もし、ペンのもつ特徴とか制約を無視して製作すれば、それは不自然なものになろうし、たとえ技術的に成功はしても、芸術的な成功とはならないのだ。(グプティル『ペンで描く』p12

当方のは「ゲージュツ的成功」などという高みは目指していませんが、要するにこういうことですね。まだまだペンの魅力が出せていない。もっと線の力を前面に押し出して、

スマホで見ても「良い線だぜ!」とわかるモノ

が描けるよう、頑張りたいと思いまする。

…しかしこの『西洋版画の歴史と技法』はいい本であります。

買おうかな(._.)…


お粗末様でした<(_ _)>




たくさんのサポートを戴いており、イラストももう一通り送ったような気がするので…どんなお礼がいいですかねえ?考え中(._.)