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胸を刺す衝撃を浴びてしまったから

はじめに

※この記事は劇場版 再生産総集編「少女☆歌劇レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」のネタバレを含んでいます。ネタバレを回避したい方は映画を鑑賞後お読みください。





















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 鑑賞直後の私

 2020年8月7日20時半頃、私はつい30分前に映画館で観終わった映画の最後のシーンについてぐるぐると思案で頭を一杯にしながら最寄り駅から自宅への道をゆっくり歩いていた。"胸を刺す衝撃を浴びた"のだ。あのシーンを見た瞬間、文字通り胸がズキンと痛み、感動的なはずのエンドロールをマスクの上からハンカチを押し当てながら、荒くなる呼吸を抑えることしか出来ないまま見送り、トドメのラストシーンと特報をぶつけられた。思考を整理しようと頭が必死に動いているのは突然の動悸や息苦しさの理由を早く解明したいという本能によるものだろう(ちなみに熱はないし味覚嗅覚障害もない)。つまり私は分かりやすく取り乱していたのだ。いやだって、取り乱すでしょう?

年齢制限無しの映画のラストシーンで血塗れで倒れている主要キャラクター達を見たら、誰だって取り乱すでしょう……?

勿論その映画とは上記の注意にある通り、『劇場版 再生産総集編「少女☆歌劇レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」』である。

ちなみにTV版劇伴には同名曲があるが、重要な場面で流れる1曲なのでここも是非抑えて欲しい。


  少女☆歌劇レヴュースタァライトとは

  そもそも「少女☆歌劇レヴュースタァライト」とは?という方はGoogle先生に聴いてみて欲しい。これから語る内容が多過ぎるのでその辺りは公式に委ねたい。YouTube先生は1話を無料で公開してくれている。

  私は2018年夏季のテレビ本放送終わりかけの時期に友人に薦められ、放送後の秋YouTubeで行われた全話無料配信の際にドハマりし、Blu-RayBOXと舞台版円盤を購入、2ndLIVEはディレイビューイングで観て、その後から実際の舞台やLIVEの現場に行くようになった。今やそこそこ立派な舞台創造科(ファンの公式俗称)である。中でもまひるちゃんメイン回の5話で自らの経験と重なることがあり大号泣。以来まひるちゃんの女、まひリストとなった。

  今作は総集編。TVアニメ各話の代表的なシーンを映画館の大きなスクリーンと音響で観られるということで情報公開された3rdLIVEからずっと楽しみにしていた。だがしかし、あの「スタァライト」である。キネマシトラスである。古川監督である。どーーせただの総集編じゃないんだろーー?なんかまたしんどい新規カットとかあるんだろーー??と身構えて(ただでさえ豆腐なメンタルにネギと生姜を載せた程度の強度を誇る構え)映画館のふかふかの座席に着席した(始まる直前に別の人の席だったことに気付いて謝りながら正しい席に着席したところを見るに身構え過ぎていた)。

ワクワクの始まり

   さぁ、何から来る。どう攻めてくるんだ。そう思って数秒、画面が真っ赤になる。


…………バンク…………だと…………?


  スタァライトの特徴の1つである数多の機械が緻密な動きで衣装や武器を用意していく独特の変身バンクから物語はスタートした。

  パンフレットの古川監督と編集担当の黒澤さんによる対談でこの初っ端バンクについて言及があった。詳しくはパンフレットを購読していただきたいが早い段階で決まった演出だという。あのバンクシーンはスタァライトの象徴。確かにあのバンクを映画館で見られるのかーとは期待していたがまさか初っ端だったなんて。

総集編……?

  そしてななの新規シーン。いきなり呟いた言葉は前述でも私が言葉を借りていたTV版主題歌「星のダイアローグ」の歌詞"あの頃には戻れない何も知らなかった日々"。誰かを待っているなな。そしてそこに誰かが来て……1話の華恋の口上シーンからの、タイトル。

  もう既にタダの総集編では無いということを察した私は1話冒頭のシーンが映ってやっと少しホッとする。合間のシーンを省きつつ順調に進んで行くストーリー。次に違和感があったのは最初のレヴュー後、ひかりが華恋を諭す2話のシーンが出た直後。


あれ、突然の天堂真矢……?3話誇りのレヴュー?


  おいおいジョークは舞台装置の名前だけにしとけよ?(いやまじで鳥バード2018って何)2話の渇望のレヴュー及びThe Star Knowsはどこにいっちまったんだ?"再生産"総集編とはいえそんな切り貼りしてミートパイにでもするのか?と思わず心の中のアメリカンホームコメディの青年がオーバーリアクションを取ってしまった。3話で華恋は真矢に敗北、ひかりちゃんに頬を叩かれてしまう。そのまま4話の追いかけっこシーンは削られ東京タワーでの約束の再確認シーンへ。8話のひかりのロンドン滞在時代の回想も挟まれる。純那の……そして俺達のまひるちゃんのレヴューはいつ……と思いきやここで一旦ななの新規カット。またレヴュー曲の一節を呟く。

その後だった。2話のレヴューが始まったのだ。

その最中には純那の再生産新規カットが。これはもしや全員再生産新規カットあるのか!?と期待していたらなんとメドレー状態で5話嫉妬のレヴューがスタート。

ちょっと待って♪

  なんともうひゃあな気持ちで始まった5話……だが。イントロから数秒、何度も聞いた5話レヴュー曲恋の魔球からあるはずのないノスタルジックな電子音が聞こえ始めた。やがて伴奏はその音に侵食され……Aメロに入る頃には


8  b  i  t  ア  レ  ン  ジ  に  な  っ  て  い  た  。

  

まひる「ちょっと待って♪」

私(いやこちらこそちょっと待って)

  誰がそんな予想出来るか……推しキャラの野球モチーフ曲がファミスタ寄りになっていたなんて(この編曲、大好き)(ちなみにサントラってどちらで販売されてるんですか?)(えっまだない?そんな……ばなな……)……しかも舞台装置「魔☆球☆盤withスズダル」ってなんだよ!かわいいな!いい加減にしろ!!もうええわ!ありがとうございました!!!心の中ではそんなコントまがいの葛藤をしつつしっかりセリフで号泣して5話のシーンは終了。曲の終わりはフルオーケストラに戻ってまひるのモヤモヤが晴れて伸び伸びと生まれ変わったまひるを描き出してるのかなと感じた。しかし心の1番奥底は冷静にこのアレンジについて考えていた。なんならその前の誇りと驕りも、The Star knowsも短縮という手は加えられていたのだが恋の魔球はガッツリと編曲されていた。

楽曲までも再生産しているというのか……?

という気持ちが沸々と沸き上がって来る。

かーらーのー6話!ふたかお幼少期!

双葉と香子の幼少期のやり取りがしっとり目な6話レヴュー曲花咲か唄のアレンジがと共に行われていく……のだが、なんとそのままのテンポで本編に突入。今まであった夢芝居感と石川さゆり感を50%ずつ増した編曲。ここまで編曲されてきたどれよりも強いアレンジに5話のシーンを見た時の胸騒ぎが確信に変わる。

今作で我々が見せられている物語はTV版12話を後から足し引きしてアレンジした再編集版か、全く違うパラレル世界の彼女達だな……?

大場ななが繰り返してきた過去の中で確かに行われていたレヴューオーディションではあるけども、私達がTV版で見せられていた"回"とは別の"回"のレヴューオーディション。それが今作……?

そう思い始めているうちに始まったのはななの独白。第99回星翔祭のきらめきの眩しさにあてられてオーディションに参加した経緯とその結果繰り返された1年について。この物語の核とも言える大事なシーン。そして始まるそのループの終わりの始まり、8話の孤独のレヴュー。RE:CREATE前半部分は歌なし、少し省いて後半から歌を付ける、というアレンジ。続く9話絆のレヴュー、ななの再生産シーンの音、演出があまりにも怖い。カット無し、そのまま終わる……と思われた次の瞬間、最後のフレーズ

繋がったの星の絆いつまでも守るよ

を、華恋ではなくななが歌ったのである。

  またしても出てくるTV版との違い。いつまでもって、いつまでなの……?ななの再演は途切れたけれどもまだまだ続く……ロンド、ロンド、ロンド……な、レヴューオーディション。次は10話の運命のレヴュー。曲は勿論名曲、Star Divi……


Star Di…


Star…………Di……Diamond……?????


ストリングスが来ると思っていたのにピアノソロが聞こえた。その瞬間に頭が真っ白になった。


ついにTV版曲のアレンジではなく、全く別の曲が扱われたのだ。


Star Diamondは好きな曲なので嬉しい。嬉しいが、10話の為にクロちゃんパートの歌詞が書き換えられたStar Divine-フィナーレを散々聞いて育った舞台創造科なので寂しさと、言い様のない不安が勝る。新規カットも素敵だし真矢様のソロパートもかっこいい。でも、違うのだ。ここでこの作品がTV版の総集編なのではなく私達が知らない再生産された彼女達の物語であるという考えが一層強くなる。

ちょっとした違い

  続く11話の華恋の翻訳シーン。そこでの一言

演出や脚本のちょっとした違い。

世界中で公演される「スタァライト」について華恋はこう述べたが、観ている我々が感じているモノとそれは合致していた。今作とTV版との間にある、脚本や演出のちょっとした違い。最終的にはそのちょっとした違いを逆手に撮り光ちゃんとスタァライトを演じた華恋であるが、我々が観ているロロロはTV版とのちょっとした違いでどこに行き着くのか。そこから不安を超えて恐怖心が増してきた。

そして訪れた終わりの時

  翻訳シーンと舞台少女心得幕間はカット無しで繋がっていく。12話でのシーンも私達が知っているように繋げられていく。だからこそ私の恐怖は増していた。ここまでずっとTV版の様であって違う演出。なのにここに来て全く同じ演出。つまりこの先に待っているのは、ちょっとの違いを積み重ねた結果出来上がった全く知らないラストなのではないか。感動的な華恋とひかりと7人の舞台少女達による物語の結末を見届けた後……そのシーンは訪れた。

  赤い星に滴る赤い液体。びちゃり、と音を立てて滴ったその先は……血濡れの上掛け。華恋の剣で純那の舞台装置であった星に留められている上掛けの後ろには…………


血塗れの華恋。


次々と現れる"血塗れで倒れる死せる舞台少女達"


キリンは舞台少女の死、と明確に言った。

それをどこか冷静に聞くなな。

 今作のストーリーテラーの1人と1頭だけが冷静に語り合うあまりに強烈な狂気とも言えるシーン。キーワードはワ(イ)ルドスクリーン・バロック。

何故ワ(イ)ルドスクリーン・バロックと表記したか。それはこの昨年発表された新作劇場版の特報映像にそう書いてあったからである。

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特報映像時に既に出ていた今作のキーワード。きっと新作劇場版でもキーワードになるに違いない。その狂気をシャットアウトするように現れるロゴ。そして始まるエンドロール。

とても綺麗な主題歌、『再生讃美曲』を映画館の音響で聴くのを楽しみにしていたのに何故か……いや、当然私の心音は落ち着かないし背筋や体の先が冷たい。そしてほんのちょっと残っていた冷静さがまた残酷な現実を引き出す。そういえばそうだった。


讃美歌は葬儀でも歌われるんだ。


まずい。なんだこれは。今私は何を見せられた?いや待て、恐らくまだこのあとに……まだ知らないシーンが……多分来てしまう……

そんな悪い様な良い様な予感は当たる。


キリンと対話するなな。レヴュー服のスカートから落ちるいくつものボタン。

そして冒頭に流れたものと同じシーン。誰かを待つなな。誰かが来て喜ぶなな。視線の先には……ひかり。

そして来年上映予定の劇場版の告知映像が流れ、終演。

  体感1時間。とても不思議な気持ちだった。血塗れの舞台少女達に狂気を感じたのに特報を見た後の気持ちは"高揚"そのもの。でも早く考えねばならない。あのちょっとした違いを。彼女達の遺体を。考えねば。

  帰路の電車に乗った頃、まず降りてきたのは死にゆく者が見るという走馬灯だ。もし彼女達が本当に死せる舞台少女なら、燃え尽きる前の怒涛の日々も勿論走馬灯に入っているだろう。

  以前より最終話のひかりが石を積んでは崩される光景は賽の河原に似ていると思っていた。走馬灯は同じく死に関連するモノである。

  我々は死せる舞台少女達の2時間ちょっとの走馬灯を見せられていた。これなら少し省かれているのも納得は出来る。しかしそれであるならばTV版との違いの意味は?

  そこで考察その2。我々がTV版で見たのは舞台少女が死なない世界線の物語。今回ロロロで見たのはあの世界線でレヴューによって燃え尽き、命を落とした少女達の走馬灯。これはかなりしっくりくるというか、違和感が少ない。いや世界線てなんだよと思ってしまうがそれを言ったらきらめきってなんだよ、とか言いたくなってしまうので置いておく。

考察その3。皆再生産前に死んでいるのでは。これは初回を観ただけではまだ材料が少ないので甘い考えではあるが、死せる舞台少女として血を流して倒れていたのに復活したひかりを見る限り、皆再生産をする度に一旦死んでいる可能性がある……ということである。死んでいる、から、再生産。自分で言ってても良く分からない。またきらめきを取り戻してあれだけの改変をやってしまったのだから代償はヘビーである→死ぬ と考えられそうではあるが雑が過ぎる。クロちゃんが言っていた「情熱は血」に則ってアレは溢れ出した情熱だったのでは?とか考えればきりがないが……この辺りは二度三度見てから練り直したい。

  2つだけ確実に分かったことといえば、キネマシトラスは末恐ろしいカンパニーであるということと、古川監督は庵野監督作品が好きだということだけだ。テロップめっちゃ使ってきたしフォントも似てた。庵野作品愛好家に観て貰って感想を聴きたい。

 行き場のない私の情熱

  というわけで胸を刺す衝撃を浴びてしまった私はあれからこの文章を書き続け、今は8月8日の3時。書き続けた理由はシンプルです。この行き場のない情熱を誰かに見てもらいたいだけ。

こんっな文とも言えない文を読んでくださった方、いらしたらありがとうございます。

是非あなたの情熱も行き場が無かったら見せてください。


……え?長すぎた?


分かります。

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※追記(8/8)再生讃美曲について

  一晩寝て起きて思考を再整理した時、浮かんだのは『再生讃美曲』の歌詞だった。

選ばなかった過去達へ静かに捧ぐ讃美歌を

  讃美曲は葬儀の際死者に対しても歌われる。あの時映ったのは選ばなかった過去達→死んだ舞台少女ではないか?選ばなかった故に死んだ過去の彼女達へ贈られた讃美歌、それが再生讃美曲なのではないか。

何を燃やして 生まれ 変わる

  よく命は炎に例えられる。生まれ変わる際に燃やしたのは自らの命の炎なのでは。その炎の燃料は情熱である血。血液を消費しながら生きるのは人間としては当たり前のことではあるが、舞台少女の血とは情熱であり、きらめきそのものなのではないだろうか。

「こぼれてく未来があの子のきらめき」              あくまでも仮定

ななの印象的なパートであるこの一節を聞いても血液=きらめき説は頷ける者がある。彼女達の身体から溢れ、赤い星を染めて滴り落ちた血液は本来選ばなかった過去の彼女達が未来を生きる為に燃やす筈だったもの。血液は未来に必要であるので血液=未来とも受け取れる。こぼれてく未来(血液)があの子のきらめきなのではないか?ななを通して紡がれた今作はななの視点こそ我々観客の視点とも言える。彼女はこの仮定を同じく観客である我々にも投げかけている。

そう、今作で挟まれる新規カットではななはひたすら眺めていた。時たま台詞を繰り返し、本番にも出演してはいるがどこか第三者的な視点を持っている。観客であり演出家であり出演者……それが今作のななの立ち位置なのでは。観客がいなければ舞台は出来ない。終焉しても観客が望むなら終演には出来ずにカーテンコールに答えなければならない。我々が、キリンが、ななが続きを望んでしまえば舞台は終わらない。終わるはずの物が終わらないのは異常以外の何物でもない。

いつか誰かその言葉でその温度で私を救うの

  最初に聞いた時これはななに対し多くの言葉を使い、優しく抱きしめてくれた純那に対してのことだと解釈した。そうやってななが救済される様を描く作品だと思っていた。しかしこのラストで果たしてななは救われたのだろうか?否、まだ我々が知らない苦悩の内にあるように見えた。それでもあの一時、純那がななの心を救ったようにこの苦悩もいつか必ず誰かが救ってくれる。なながそう希望を抱いている……映画鑑賞後の今ではそう考えてしまう。新規カットでななの元に訪れたのはひかり。彼女がななを救うのだろうか。星々の絆で皆をいつまでも守ると歌ったななを、さらに守る存在とは誰なのか。新作劇場版に期待したい。


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