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なぜ小さな女の子はパン屋さんになりたがるのか

2020年以降、お金の価値がさらに低下した。

正直に言うと、貧富の差は拡大し、令和ならではの価値観も相まって、特に富裕層にとってのお金の価値は低下している。

「DIE With ZERO」を読んだことがあるだろうか。

読んでない人には全力でお勧めする。

この本を端的に要約すると「人間、死ぬときにもっと稼げばよかったと思う人はほぼいない。お金を稼ぐ活動よりも、使う活動。他者との時間にお金も時間も使うべきである」という話だと思う。

この本は、僕の価値観に大きな影響を与えた。

しょぼい話で恐縮ではあるが、スタートアップ業界のコンテンツを提供しておきながら、自らは自社株をM&AやIPOでEXITする事業モデルを構築しなかったので、経済的には「資産5億円」を早く作りたいと思っていた。

なぜ5億円なのか?超富裕層の定義が「資産5億円以上」だから。それだけ。

とりあえず、偏差値の最上位に行きたいだけであった。

5億円の目標を達成していない道半ばではあるが、5億円あれば運用だけで3-4%回して他に仕事しなくても生きていけるよね。ということをやりたいわけでもない。

別荘が欲しいわけでも、馬主になりたいわけでも、宇宙旅行に行きたいわけでもない。

なんとなく、5億あればいいだろ。という無目的な考えでしかない。

なんのためにお金を稼ぐのか。そしてお金を何に使いたいのか。

ますます、僕はわからなくなっていった。

そして、お金のために無理して働いたことは人生で一度もないけれど、売上が増えても税金が増えるだけだな。とここ数年感じていた。上手い使い道があれば、稼ぐ意味もあるのだろうが。

2020年の末くらいから、色んな人にお金の使い方を聞いていた。

投資商品以外で何に使いたいか。と聞いても、結局は「価値の保存」的な答えに行き着く人も少なくなかった。ゴールドのネックレスが欲しい(換金性があるから)とか。

ここでいきなりだが、小学1年生が就きたい職業ランキングの話をしよう。

下記の記事によると、女の子が将来就きたい職業ランキング1位は20年前から4回の調査で全て「ケーキ屋・パン屋」である。

僕はこんな記事を書けるくらいには甘党なので、ケーキ屋やパン屋についてはその辺の女性より詳しい自信はある。

そして最近は、パン屋っていいな。と思っている。

都内や旅行先のいろいろなパン屋に足を運んでいる。たまに女性から「あなた、パン好きすぎじゃない?(笑)」と言われることもある。

パンは太りやすいので、ジムでのランニングや夜は炭水化物を抜くなど、調整が必要である点は悩ましい。

パン屋も他の形態の飲食店と違わず、いやそれ以上に個性豊かである。

そして、小学1年生の女の子がパン屋になりたいというのは、単に「パンが美味しかったから」という経験があるわけではないと思う。

僕が思うに、良いパン屋というのは、直接的に販売しているものはパンであるが、間接的には「幸せ」を売っている。

「パン屋で体験できる幸せ」、パン屋の幸福感は、他の形態の飲食店とは全く異なる。

もちろん、それぞれのジャンルの良さや美味しさはある。

しかし、「幸福感」という観点では、パン屋に勝るジャンルはないのではないか。

しかも、パンは大体は安い。数百円で手に入る。4万円かかる予約が取れない鮨屋とは異なり、万人が平等に手にすることができる。人気がありすぎて、行列になっていることもしばしばあるが。

焼き立てのパンを味わうことは、パンの味それ以上の幸福を覚えるのではないか。

そして、小学1年生の女の子であれば、大抵は家族と一緒に食べるだろう。家族との幸せな体験をパン屋を通して記憶しているから、無意識に「パン屋さんになりたい」と言うのではないか。

パンというプロダクトに純粋に魅せられているわけでは、ないと思う。

個人的な意見として出来立てのパンを食べる幸福感が圧倒しているのでパン屋を例に挙げたが、ケーキ屋も花屋も、小学1年生の女の子にとっては同じロジックである。家族の幸せな体験の記憶があるから、そういう仕事に就きたい。と思うのではないか。

ここから話を戻そう。

なぜ僕が小学1年生の女の子がなりたい職業に着目したのか。

小学生のほとんどが、まだ資本主義経済を理解していないはずである。

よって「なりたい職業」を挙げる際に「お金持ちになれるから、この職業になりたい」とはあまりならないはず。

偏見と言われると困るのであらかじめ枕詞にエクスキューズを置いておくが、パン屋もケーキ屋も花屋も、一見とても儲かりそうな職業ではない。儲かる場合もあるが、一般論としては医者の平均年収よりそれらの職業の平均年収より稼げないだろう。

稼ぎたいからパン屋になりたい!とはならない。

そこはやはり上で述べた「家族の幸せの記憶」から、思い浮かんだのだと思う。

僕は今、ある種の「ポスト資本主義社会」を模索している。

お金の価値が低下し、お金を稼ぐための仕事。という概念がなくなっていくと、どうなるのか。

世の中には色んな仕事があるが、「幸せな時間を売る仕事」は素敵だなと感じるようになった。

そういった、何かの商品を通して、間接的に幸せを売る仕事は、特に小さいお店に多い気がする。働いている人の、幸福度が高そうだと感じる。それは、接客を受けていてそう感じるのだ。

大企業だと色々なしがらみもあり、末端の従業員に魂がこもってないと感じられる割合の方が多いと思う。オーナーではなくただの雇われであれば、構造的に、仕方ない。

エッジのあるニッチな商品を作り、インスタで集客して、住宅街に週1しか開店しない店舗を持って、STORESで通販もやる。

そういうビジネスが、令和時代の理想のロールモデルになりそうだと感じている。

他にもきっと、幸せを売る仕事はあると思う。

利益の追求よりも、自分やお客さんの幸せを追求する人がイケてる。

資産数十億円持っている資産家は、それだけでは何の価値もない。

小学1年生の女の子は、「やまとなでしこ」の桜子さんのように、「お金持ちが好き」なわけではなさそうだ。

お金の価値が下落するとき、お金持ちの価値も下落する。

そんなことを考えながらも、日々の株価の値動きに、一喜一憂してしまう自分がいる。

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