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やすし・きよしの漫才は「名人芸」だったのか?

このところ、横山やすし・西川きよしの漫才を見直す(聞き直す)機会があった。ネタ的には重複もあるが、彼らの漫才20本弱を再見した。今回はその感想を書こうと思う。


「やす・きよ漫才」の代表作は何か?


いろいろなネタを見直してみて、「やす・きよ漫才」の代表作はどれかと改めて考えてみると、実はよくわからない。これはかなり重要なことだと思う。
 
たとえばダウンタウン、あるいはいとし・こいしやダイマル・ラケットなどの漫才では、「これ」という代表作がいくつか挙がる。ダウンタウンであれば「誘拐」「クイズ」「あ研究家」などなど。
 
これに対して、やす・きよの場合、織田正吉作のネタ「同級生」といわれてもピンとこない。実際に見直してもあまり記憶に残らない。
 
この「同級生」というネタは、1980年のマンザイブームのきっかけになった番組『花王名人劇場』同年1月20日放送の「激突!漫才新幹線」で披露されたものである。

小学館から発売されたDVD付きマガジン『よしもと栄光の80年代漫才 昭和の名コンビ傑作選 第1巻 横山やすし・西川きよし』に収録されているので、気軽に見れる作品だ。
 
このマガジンには、芸能史研究家の前田憲司による解説ブックレットが付属している。ここから少し引用しよう。

コンビを組んで15年、35歳と33歳という2歳違いのふたりが、バスの運転手やスナックのママ、ストリッパー、パイロットなどさまざまな職業・職種の同級生をネタに話は展開。医者と患者が同級生というコント仕立ての漫才では、ネタと現実を行ったり来たりして笑いを徐々に膨らませていく。
後半、きよしに顔や頭をベタベタとなで回され、トレードマークのメガネを外されると、「殺すぞ、ワレ!」とキレるやすし。しかしどこか愛嬌を残し、最後はやすしが「ええかげんにせ」と突っ込んで場を締める。

『よしもと栄光の80年代漫才 昭和の名コンビ傑作選 第1巻 横山やすし・西川きよし』、
小学館、解説:前田憲司、p. 7

このネタ「同級生」は、新進気鋭の漫才師、B&Bと星セント・ルイスを向こうに回して、東京・国立演芸場という大舞台で披露された。これをさしあたりやす・きよの代表作としておくとして、前田による解説からは気になる点がいくつか見つかるのだ。

「やす・きよ漫才」の面白さはどこか?


上に引用した前田の解説を読むと、ネタは前半と後半に分かれているようである。もちろん、もともとそういう構成の漫才ではなく、前半がきっちりしたネタの部分、後半はやす・きよのアドリブなんだろう。
 
だから、ネタといっても全体的にわりとゆるやかな作りになっている。事実、前田も「ネタと現実を行ったり来たりして笑いを徐々に膨らませていく」と書いているように、ネタから脱線していく部分がかなり見られるのだ。
 
それゆえ、やす・きよ漫才はいくらでも長くなりうる。たしか演芸番組プロデューサーの澤田隆治が書いていたと思うが、やす・きよには40分の漫才があるらしい。これはネタと現実(とくに後者)が大きく膨らんだ結果だろうと想像する。
 
これに対して、ダウンタウンのネタは異なる。ダウンタウンは、ネタをギリギリまで徹底的にそぎ落としていく。だから、無限に脱線・膨張を繰り返して行くということがない。いとし・こいしもそうだろう。
 
結局、やす・きよ漫才の面白さは、ネタ以外の実生活をもとにした膨張部分にあると推察できる。それゆえ、どこからどこまでがネタなのかよくわからなくなってしまう。やす・きよ漫才の代表作と言われても「メガネ」とか、そんなしつこい部分しか記憶に残らないのだ。

「やす・きよ漫才」は名人芸か?


澤田隆治が手がけた『花王名人劇場』が「名人芸」を紹介する番組であるとするならば、横山やすし・西川きよしは澤田のお眼鏡にかなった漫才師なんだろう。すなわち「日本一の漫才師」である。

ちなみに、このコンビは、文化庁の昭和55年度(1980)・第35回芸術祭で大衆芸能部門優秀賞を受賞している(「花王名人劇場第24回公演「やすし・きよしの漫才独演会」における振付・演技に対し」)。文化庁お墨付きの漫才師なのだ。
 
一方、やす・きよ漫才について疑問を呈する人もいた。先ごろ亡くなられた上岡龍太郎さんである。たとえば氏はこう述べている。

やすし・きよしの漫才についていうと、漫才ブーム(昭和55年)をリーダーとなって引っ張ったということで、すごく過大評価されていると思います。漫才の歴史ということでは、日本一の漫才と言われているのが少しね、

桂米朝・上岡龍太郎、『米朝・上岡が語る昭和上方漫才』
朝日出版社、2000、p. 184

つづいて上岡さんはこうも語っている。

やすきよは後半はコンビどうしのラリーが少なくなり過ぎた。漫才はね、お客にしゃべりかけるほうが楽なんですよ。「お客さん、知ってはりますか。こいつアホでっせ、この間、サカガミ百貨店といいまンねん。あら阪神やがな」「ほんならお前のこともいうたろか」。いってみたら二人漫談をやっているわけで、本来の二人の会話をこっちかいま見るという漫才とは違うわけですよ。

桂米朝・上岡龍太郎、『米朝・上岡が語る昭和上方漫才』
朝日出版社、2000、p. 185

漫才師批判というのは実に珍しいが、これを上岡さんが語っているので説得力がある。結局、やす・きよ漫才は二人漫談だという考えだ。見事な批評だ。

私も上岡さんの意見に賛同するわけだが、となれば「やす・きよ漫才=名人芸・日本一の漫才」という定説も見直さなければならない。また、こうした観点から言えば、いとし・こいしやダウンタウンの方がよっぽど名人芸だと言える。
 
あと、蛇足だが、この二人漫談のカタチに堕してしまっている漫才師として、以前、京都・祇園花月で見た矢野・兵動を挙げておく。二人の掛け合いがまったく見られなかったので残念だった。仲が悪いのか?

漫才界は名人を欲していたのだろうか?


おそらく、1980年に始まるマンザイブームは、一方で若手漫才師の進出を促したわけだが、他方でやす・きよ漫才=名人芸をいう理想を確立しようとした、複合的な運動だったといえるかもしれない。
 
前者についてはフジテレビの『THE MANZAI』が、後者については関西テレビの『花王名人劇場』が引き受けたのである。

だから、マンザイブームといっても、実はこのふたつの異なる潮流が組み合わさったものではないかと考える。もちろん、私の研究はここから始めないといけないわけだが…それはまた次回。(梅)

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