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ダウンタウンは古いテクニックを駆使して漫才をアップデートした

島田紳助がダウンタウンの漫才について語ったことを前回引用しました。1985年の発言です。ダウンタウンの漫才をひとことで言うと「ワイン造り」。つまり、とても熟成していておいしいけど、「飲むやつがおらへん」という状態。時代と合わないってことかな?
 
一方、ビートたけしは、ダウンタウンの漫才を「進化だ」って評価したわけだよね。これは前々回に引用した。
 
ということは、ダウンタウンの漫才は、一方では昔ながらの技法でじっくり作り上げている、他方ではマンザイブームのときから進化させている、ということになる。これって一見すると、反対の方向に向いているような気がするわけです。
 
古いテクニックを駆使して、漫才をアップデートする。これが、ダウンタウンが成し遂げたことなんだ。以前にダウンタウンと松竹芸能について書いたけど、彼らがベースにしているのは、マンザイブーム以前の古い漫才なんだよ。だから、松本が松竹芸能に入ろうとしていたっていうエピソードは、実によくわかる。

彼らが子どものころは、音曲漫才とか古典的なスタイルの漫才がまだまだ主流だった。それに、彼らがデビューした直後は、京都花月によく登場していたわけだけど、古い漫才師が現役だったんだ。
 
京都花月のことは『放送室』でよく語っている。マジカルたけし(桂枝雀の弟)のこととか。これはこれでかなり面白いんで、機会があれば聞いてほしい。
 
また、このあいだの『ガキの使い』で放送された「山-1グランプリ」で、私が一番興味をもったのは、ショウショウが登場したときのこと。彼らの師匠である音曲漫才の「二葉由紀子・羽田たか志」を、ダウンタウンが知っていたことです。
 
同じ舞台に立っていたんでしょうね。浜田さんが「アコーディオンが邪魔だった」と笑っていたのは印象的です。やっぱり古い漫才、よく知っているんですよ。こうした古いものを、自分たちのテイストに合わせて「リユース」する。これがダウンタウンの特徴のひとつです。
 
ちなみに、コラムニストの森卓也さんも、「師匠を持たぬ新人類の古典的芸風」(1986.2.18)というタイトルのコラムで、こう語っています。

〔ダウンタウンとシティボーイズの〕二組の共通点は、ボケ(こっけい)役がニコリともせず、会話の”間”で笑わせることである。こうした古典的な芸風が、師匠を持たぬ新人に表れ、まくし立てる一方のテレビの中で成立していることは、笑芸界近来の”事件”ではあるまいか。

森卓也著、『森卓也のコラム・クロニクル1979-2009』、トランスビュー、2016、p. 164

だから、私の考えもそれほど的外れではないかなと思います。もうひとつ、私の説を補強する引用をしておきましょう。

ハイヒールと同期で人気のトップを走るダウンタウンの笑いに、放送作家の織田正吉は「古典の笑い」を見ると言う。
「松本君は古いお笑いを凄く研究しているし、浜田君のツッコミも漫才で鍛えている。二人はきちっと漫才の基礎ができているんです」と分析する。

読売新聞大阪本社文化部編、『上方放送お笑い史』、読売新聞社、1999、p. 373

今回は、ダウンタウンの漫才には古い漫才がいっぱい詰まっている、これを元手に漫才をアップデートさせた、という話でした。

では、また次回。(梅)

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