人工的な美しさは自然の美しさにどうしても勝ることができないのではないか という疑いが常に私の中にある
勝敗などなくどちらも互いに良いが、どうしても

それでも今回、生み出すことを求めて、一度も話したことのない相手であるにもかかわらず声をかけたのは自分が感じた心の動きや興奮が本物だと時間をかけて確信したからである

日常のなかにある、『なんかいいな』という心の動きや喜怒哀楽、見た夢、それ以外のものを忘れることも、残そうとしないことも、忘れたことに平気でいるひとがいることも恐くて、音楽や文章、絵、料理、ダンス、花束、バレエ、漫才など 何かを創ること表現すること、それを続けることの大切さを自分自身に訴え続ける

創造 はそれがうまくできるひとだけに与えられた行動なんかではないはず
何かに感動した瞬間に誰もがしていい、すべき行動だと唱えたい もっと、本当は気軽に、私もやりたい

取り繕ったものだけが美しい ではないし、かといって、作品をなんかそれっぽい で片付けてもならない
汚れていく靴、枯れていく花、老化していく肌 どれも時間の経過の象徴だから良い

美術館での心の動きよりも日常にある心の動きの方がはるかに多いはずなのに、美しむために行った場所でしか感動できないのはもったいない

かといって、よくわからない作品も、問題は作品や作者ではなくその魅力に気がつけない自分にあるのだとつねに考える いつかわかるようになりたい と
自分の変化や成長が楽しみになる

堅苦しくなってしまったが、おしまいにする
私はまだ誰の何でもないけど、誰か一人がこれを読んで何か考えるきっかけになれば、と厚かましい欲望がある
こんな堅苦しく長ったらしい文章や、直接的な表現ではなくほんとうはもっと、違うかたちで表せたら良い  その訓練をし、日々模索する必要がある

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