産んでやったんだから感謝しなさい。

時に触れ折に触れ、母が私に言い続けた言葉。
感謝するしかない存在から、感謝するよう強要される事はある意味で暴力に近いと、私は思うのです。

話は、一度、私自身の事になります。
私は実家に住んでいた長い間、様々な体調不良に悩まされ続けました。
キッカケは、関節痛でした。
階段を降りるにも膝が痛くて曲げられない事に始まり、ベッドから起き上がる時に体のほとんどの関節が痛む、寝返りを打つと激痛で目が覚める、指の関節が痛くてペンが持てない、手首が痛くてドアノブも回せない、などなど。それから体を動かす事自体、苦痛で仕方がなくなりました。

平日は無理やり体を起こして出勤し、休日は泥のように眠る。
不眠と過眠を繰り返し、体や精神もを蝕んでゆきました。
なんとか治そうと、整形外科、内科、免疫内科などを色んな病院で受診しましたが、全く原因はわからないままでした。
この体でずっと生きていかなければならないのかと、途方に暮れて泣く事もありました。

ある時「慢性腰痛の原因は、精神的要因かもしれない」という記事を見かけ、もしかして自分の体に出ている症状は、精神的要因なのではないかと考え、勇気を振り絞って、心療内科を受診してみました。

今まで体調不良に悩まされていた事などを相談し、担当医から「内観療法」を行うよう言われました。
ご存知の方、試された方もいらっしゃるかもしれません。
この方法を否定する気はありませんが、私にとってこれは地獄でした。

「まずは、一番身近なご両親などにしてもらった事、お返しした事を書いてください。」と、担当医が説明するのではなく、研修ビデオに指示されて、部屋で一人実践する。

一人静かに母の事を思い出すと、自分の理性では抑えようのない激しい衝動がやってくる。怒りなのか、悔しさなのか、これだと言い表せる言葉が見つからない。どう頑張っても、母の事が考えられなかった。

してもらった事(というよりされた事)を思い出す。

「産んでやったんだから感謝しなさい」という母の言葉が、ふと思い出される。

次々に母が私にしてきた事を思い出す。

言葉にできない衝動に耐えられず泣く。

いやいや、これじゃダメだ、してもらった事にだけ集中しよう。

してもらった事を思い出す。

・・・・・
以下、エンドレス。

今はまだ冷静になれていますが、当時の私はかなり重症だったと思います。

母につけられた火傷の跡も未だ残ってる。
今も思い出される事はありますが、当時の私は生々しい情景と共に思い出され、本当に苦しかったんだろうと思います。

感謝は強要されるものではありません。
母がしてくれた事に、感謝できる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
今の私ではまだわからないですが、感謝できる日が来れば感謝すればいい。
今の私は、そう思っています。

さて、それから。
内観療法は、私には無理と諦めました。
体の関節痛は完治せず。
むしろ、痛みと上手く付き合っていく事にしました。
「痛み」を取り去るのではなく、どうすれば「痛くない」かって事に集中する。
「痛み」もひっくるめて、これが私なのだと思えるようになりました。

その後も様々な体調不良に悩まされますが、また他の機会に。

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