見出し画像

寛容な触れ合いの中で、もっと生み出す力を身に付けたい。

数日前にFacebookに投稿した文章に、所属する会社から削除命令が下った。確かにプロフィール欄に所属会社を記載してしまっていたのは僕の気遣いが足りなかったことであるので反省したい。しかし、書いた内容が間違いであったとは思いたくないので、所属を明記していないnoteに転載しておきたいと思います。

======================
いろんな柵があるのでFacebookでの発言は控えて来ましたが、やっぱりそれはナンセンスだと思い直し、控えることを辞めることにしました。

東京五輪は早く中止いただきたいと切に願っています。

スポーツ観戦は大好きだしアスリートたちが勝ちを掴み取ろうとする姿には心動かされます。応援したい。アスリートに罪はない。自分の競技に全力を尽くすことが彼らの生業だから。

しかし、応援している場合ではない。もっと目を向けるべき場所がある。
アスリートを応援したいと思ってしまう気持ちも嘘ではない。でももっと支援しなくてはいけない人々と場所が在る。アスリートからどんなに勇気を貰っても、死んだら終わりです。貰った勇気は無駄になってしまいます。

世の中のいろんなことに目を向けてみると、全てのことが自分の身の回りのことに置き換えられることに気付かされます。目の前の仕事に囚われてばかりいても、ちっとも良い方角に進んでいきません。なんとなく事が収まって終わったような気がするだけ。いま上手くいってないことは、大体がその数歩、数十歩手前で間違っていたことが関係していたりします。そういう時に、片手間な応急処置でその場を解決した気になっても、抜本的な解決にはなず、また少し先に進んだ時に、更に大きな問題に行き詰まることになる。根底にある本質的な問題と向き合わないといけないと気付きます。

しかし、本質的な問題と向き合うためには、議論し合える仲間が必要なのだと思います。一人で向き合っても結局砕けいてしまうのです。体も心も壊れます。

特定の集団にいると、集団の方針と異なる思想を抱いたときに悩んだりします。真剣に集団と向き合えば向き合うほど疲弊します。魔法のように簡単に物事が解決できることはないのです。問題を解決できるのは、異なった考えを許容し本音で話し合える仲間です。そういう仲間を、一人一人と向き合いながら、これから探してゆきたいと思うのです。

寛容な触れ合いの中で、もっと生み出す力を身に付けて、必要とされたい人たちに、必要としてもらえるように力を尽くしたいと思う次第です。

何故か某記事を読んだら目が覚めてしまい、あまり関係のないことも書き連ねてしまいました。削除するのも野暮なので、そのまま投稿を残しておくことにします。程よく眠気がやってきました。

(2021/07/24 Facebookに投稿)
======================


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?