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2020/06/15(MON)

7時起床。息子のトーストを焼いてる間に米を研ぐ。米を研ぐとなんだか気持ちが落ち着く。学生の頃、実家の中華料理屋で父の手伝いをしていた時のことを思い出すから。今は畳んで店はもうない。一升分の米を研ぐのは大変で、ザク、ザク、という米が擦れ合う音、蛇口から注がれる、ザサー、という水の音。

7時半。学校に向かう息子と一緒に家を出る。今日はペットボトルのゴミ出し。久々の晴れ。梅雨らしく、朝からモワッとした空気が漂っている。

8時半。久々の出社。午前中から昼過ぎまで会社で仕事。

14時半。知人Aから招待いただいた新しいVRアミューズメントの先行試遊会に向かう。ただのドンパチするアミューズメントではなく、物語の下敷きがしっかりしていて、VR特有の没入感と、物語を味わった充実感。この技術をもっといろんな所に活かせないか、あれこれと思案したり、招待してくださった知人Aと話し合ったりする。どんな新しい技術も、下敷きとなる物語があることで、アミューズメントから芸術、芸能(学問や教養としての技芸)に昇華されると思う。

そのまま40分ほど歩きながら伏見ミリオン座へ。道すがら電話連絡や仕事のメールを送りながらウォーキングワーク。歩きながらでも仕事ができる時代だ。カウンターで会員特典の招待券を提示しチケットと交換。

映画館営業再開から1本目の映画である。この1本目にジャームッシュの新作「デッド・ドント・ダイ」を観られることに至極幸せを感じる。僕は十年以上のジャームッシュファンだ。新作は前作の「パターソン」前々作の「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」とも違った、初期作品から感じた人間の滑稽さや、「ブロークン・フラワーズ」(ビル・マーレイ主演)のような哀愁も匂わせつつ、また違ったジャームッシュの眼差し。この人の映画のキャラクターはどうして滑稽なのだろう。ただ並んで突っ立っているビル・マーレイとアダム・ドライバーを観ているだけで愉快なのだ。本作は「遊びすぎだ」「ストーリー性が全くない」などネット上で散見する評価は低迷しているが、関係ないのである。

「映画とは、何か」「映画は、こうあるべき」など余計なことを考えず(ジャームッシュはむしろあらゆるオマージュやメタファー、引用、風刺が多く難解でもあるが)、ただスクリーンの中に捉えられた人間の滑稽な姿を追って観ていると、ジャームッシュ映画の異質な面白さを味わえると思うのだが。

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そして今日は意図せず「デッドマン」のTシャツを着て行ってしまったので、きっと映画館の人にはただのジャームッシュオタクと思われただろう。まぁ、ただのジャームッシュオタクであることに、変わりないのだが。

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