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Q. 留学すれば必ず話せるようになる?

A. なる、ただし留学中に「快適空間」からとびだせば
 
かつて筆者は留学生としてドイツ語圏のある国に滞在していた。留学先は日本からの留学生を受け入れるような国際大学で、当然他の日本国内の大学から渡欧してきた学生たちも複数名いた。
 
こうして集まった我々外国人学生は、セメスターの正規授業が始まる前、ドイツ語訓練講座の受講を勧められる。ドイツ語の運用能力に一抹どころではない不安があった私は、一も二もなく受講をきめた。クラスメイトには、国籍でいえばフィンランド人から中国人まで、職種であれば大学講師からカフェの店員まで実に多種多様な面々が揃っていた。
 
そんな講座の初回授業が終わったときのことである。毎日の授業は午前中で終わり、午後からは自由時間であった。クラスメイトがお互いに親睦を深めようと銘々声をかけあって街に出かけるのを尻目に、私は他のクラスに配属されている日本人留学生たちとカフェに出かけることを選んだ。
 
理由は簡単、日本語話者と一緒にいた方が楽なのだ。母国語だから意志の疎通も早い。何より知らない街での集団行動は安心感が違う。
 
だがひとたび日本人で固まってしまえば、そこには極小とはいえ「日本社会」が立ち現れ、内輪の論理が起動し、周囲を行きかうヨーロッパの人々に対する目も「訪日外国人」と大差ないと錯覚してしまう(外国人なのはむしろこちらだ)。これ以降、極力日本人とつるむことを止めたのは言うまでもない。
 
このように留学生が内輪で固まるのは何も日本人に限ったことではない。日本に留学している欧米系学生と思しき面々が、流暢な英語で会話しながらキャンパスを闊歩し、英語開講の授業を受け、英語でゼミ報告をこなし、英語でレポート・論文を提出し、単位を獲得して帰国する。その情景はさながら「キャンパス」ではなく「campus」と言うのが適切だとすら思える。
 
かつての私を含め、こうした面々は何をもって「現地で学んだ」と言えるのだろうか。現地に行った経験だけなら観光で十分だ。自分がすでに知っている言語や習慣に閉じこもりたいのなら、「異文化」を行き来する意味はどこにあるのだろうか。そうして内輪にこもった留学生が現地語に熟達して帰ってくる可能性は限りなく低いのではないだろうか。
 
ただ人間海外にゆくと心細いというものよくわかる。昨今のコーチング理論や心理学界隈で耳にする「快適空間(Comfort zone)」という言葉を聞いたことはあるだろうか。心身へのストレスであるとか不安がなく、落ち着いた心の状態でいられる場所を指す言葉である。
 
人間はこの快適空間がなければ安心して社会生活を送ることはできないし、快適空間がなく四六時中気を張っていなければならない暮らしを数か月送れば我々の精神は早々に擦り切れてしまうだろう。
 
ただあなたが語学力を成長させる留学をしたいのであれば、留学を経てあの人に「○○語が上手くなったね!」と言われたいのであれば、この快適空間をぶち破って外に出なければならない。人間が成長できるのは、この快適空間のひと回り外に位置する「最適発揮空間(Optimal performance zone)」と呼ばれる場所に身を置いている時だからだ。
 
適度なストレス(難易度、緊張感、疲労感etc.)が我々に成長をもたらす。
 
自戒を込めて断言する。留学中であれば、何を差し置いても「日本人とつるまない」、これに限る。目の前の面倒くささや孤独に背を向けたいのは理解できる。だが留学先で「Kommst du mit?(一緒に来ない?)」と声をかけてくれた異国人のクラスメイトの、快適空間からでるチャンスをくれた相手の勇気と心意気を無下にしてはいけないのだ。
 
快適空間を出た先に、文字どおり新たな世界は広がっている。留学してまで外国語を勉強する醍醐味はここにこそある。これを読んだあなたが快適空間を飛び出す留学に出会えるように切に願う。
 
結論:留学中は快適空間を求めるな。
 


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