生まれました

私という物体。


私は大阪の泉州で産まれた。
治安悪いんじゃない?と言われるけどそうでもないけど、車のナンバープレートが曲げられていたりヤマト宅急便のおじさんが勝手に部屋に入ってきたり、自転車がパンクさせられていたり、母が駅前でカツアゲされていたり、今思うとヤバイかな?

泉州といえばだんじり祭りが盛んですが皆さんの予想通りその辺です。
幼き頃、だんじりを引いてやり回しで転けて泣きながら引きずられてズボンが破れて膝がぐちゃぐちゃになっても「綱を離さなかったの偉い!女前!」と褒められる世界である。

家にはだんじりの写真がズラーっと並び、秋になると家が殺気が走る。
だんじり祭りは試験曳き、本曳きなどの3日間ほどしかないのに、我が家では1年365日がだんじりなのである。

そんな環境で育ったのでだんじり大好き娘に…なるのではなく私はオタク活動にのめり込んだ。

とにかく二次元に恋をしていた。

学校でモテなかった訳ではない。
そこそこ告白もされたしアプローチもされた。
しかし男の子が苦手だったのである。

思春期に入り私は一つのことで悩んでいた。

胸が、大きくなりすぎた。

小学6年生の私は胸の膨らみが急成長してしまい成長痛でリレーで全力走ることができなかった。

リレーで全力で走れなくて、勝てなくて、凄く悔しい思いをした。

中学に入ると属性が「巨乳」になるくらい学年で一等賞の巨乳ちゃんに成長した。
カップ数でいうとE、Fくらいだろう。
中学生にして母の乳をこえてしまった。

身体の成長は早かったけど心の成長が遅かったので男子たちの視線に気付くのも遅かった。そんなことよりもオタ活の方が大切だった。

私の意志とは関係なく胸が成長し、パッと見るだけで胸がデカすぎる二次元体型になってしまった。
ここまでデカくなるとさすがに嫌なことも多く、歩くと痛い、ブラがすぐに小さくなる、体操服が似合わなくなる、学生にして肩こり、制服がパツパツになる等の問題点が発生してきた。

ある日学校に来ると机の中が荒らされていて、美術のノートに、とにかく「ヤリタイ」といった卑猥な内容の落書きをされていた。

性的な絵も描かれていた。
全然芸術じゃないやつ。

初めて、あぁ、私ってそういう目で見られてるんだ…と感じた。嬉しいや悲しいの感情はなく、ただただ怖いなと感じた。

その後もほぼ毎日下着をチェックされていたり、私のパンツの柄が歌になってクラスの中で流行っていた。

そうするうちに男子と話すことは自然となくなり嫌悪感を抱いてきた。プールの授業も中学3年間入っていないし、体育も胸が揺れそうな授業は見学。自分の身を守るために男子のいない進学先も選んだ。

今コスプレでしぬほどスク水を着る機会があるけど、リアル中学生高校生の頃にスク水を着たことがない。
しかし制服や体操服スク水のコスプレは大好きなので、今私は当時できなかった青春を取り戻そうとしているのかもしれない。

大人になり、色々な巨乳ちゃんと交流するにあたって巨乳にはだいたい大きく分けて2パターンの傾向があることに気付いた。

一つ目が、巨乳ということを武器にし男を網羅する明るい女の子。

二つ目が、巨乳にコンプレックスを抱き、男性不審になりながらも自衛をしっかりしている女の子。

グラビアアイドルの女の子は前者が多い気がする。
上手く自分を武器にして立ち回っている。
偉い。

私は複数人の飲み会が大嫌いで人付き合いも苦手でそんなことよりも家でスプラトゥーンをしている方が幸せだった。

事務所に入っていたグラビアアイドル時代はわたしが陰キャだったから逃した仕事もあるけど全く後悔はしていない。
当時の社長から「〇〇してくれたら表紙の仕事できるよ」と言われた時も即帰宅した。

グラビアは大好きだけど、汚いおじさんは嫌いだ。

グラビア業界の闇を書きたいのだけどまだまだグラビアの仕事があるのでここではまだ書かないでおこう。

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