器の話

こんにちは、日曜なので生き生きしてるうめちよです。

今日は器の話をさせていただきます。

食器の器じゃ無くて、人の器量だとかそう言った概念の話ですね。

人にはそれぞれ様々な器があって、本来器を使い分けて感情や概念を器に移していきます。それは無意識的に行われていて、後になってみて『器がいっぱいになった』と実感できたり、今は満たされていないと侘しくなったりします。

元々人は生まれながらに器を持っていますが、それを認識できていないと器を大きくする事は出来ません。

そして器の形は人それぞれで、小さく細長かったり、大きくひらべったかったり、底が欠けていたりします。

私の子供時代の話をしましょう。

当時10歳そこらだった私は、両親が毎日喧嘩していて、親父が毎日兄弟みんなを殴ったり怒鳴ったりする家庭でした。

私や兄弟は親父に怯えて家にいるのが怖い日々を送っていて、母さんも疲弊してました。

そしてしばらくして16歳ごろに両親が離婚し、家族は一度バラバラになりました。

私はその頃かなり歪んだ性格をしていたはずなんですが、人にはとても優しかったです。

本来なら誰彼構わず当たり散らして自分の置かれた家庭環境に辟易して、自分の弱さ故に無作為な報復運動なんかしていてもおかしくなかったと思います。

ですが、私は母さんに愛されていました。とても素晴らしい愛をくれて、心配しながらも私がすることの全てを許容してくれました。

だから怒鳴り散らされようが殴られようが全然気にしてなかったです。

それと私は14歳頃、ほとんど家に帰らなかった事も捻くれなかった要因の一つだと思います。

大体幼なじみの家に行ってそこの家のうつ病のお母さんのケアを毎日していました。私の人生の中でもかなり大きな核の一つですね。

母さんは家に帰らない私のことも許してくれていましたし、教育を上手くしてやれないと考えていることを両親からも感じ取れたので外で勝手に色々学んでました。

そうして兄弟と決定的に変わったところは、私は圧倒的な社交性を身につけてしまったのに対して兄弟たちは対照的に内向的になってしまいました。

私はやることなすことすべてに自信を持って取り掛かる変態傲慢野郎なのですが、これまでの選択全てがその性格を形作っていると思います。

そして器の話に戻ります。

同じ血を引いている兄弟と私でどうしてここまで大きな差が出たのか、それは選択の数が圧倒的に私の方が多かったからでしょう。

器を大きくするには、挑戦と選択を幾度とこなしていくことが一番シンプルです。

私は小僧のうちに家族から離れ、自分で選んで人んちに転がり込んで、自分の存在意義をアプローチしてメリットを与えて居場所を作りました。

そして他人から教育を受け、外からしか学べないことを学んで着々と器を大きくしてきました。

その間兄弟たちは家で毎日親父から怒鳴られていたかも知れません。そうして内向的になってしまったのかも知れません。

私は18歳ごろ、親父と腹を割って話しました。

その頃には親父のことを恐れる気持ちはとうになくなってましたし、むしろお互い映画が好きだったこともあってよく語り合っていました。

きっとそれは親父が心から望んでいた息子と腹を割って話をするという行為だったでしょうし、私としても当時の話を親父から聞けたのは嬉しかったのです。

そこに至るにはまず親父の器よりも大きな器を作らなければならず、過去全てを変えられるほどに器を満たさなければいけません。

なのでまず、自分が環境に苦しんでいたらまずは環境を捨てて器を育ててみるところから初めてみてください。

それは挑戦であり、選択です。器を大きくするための行動です。

今の自分には非難したり、悔やんだり、状況に対して文句を言うくらいしか出来ないかも知れない。

でもちゃんと行動すれば、自分が想像していたこと以上の結果に繋がって、考えもしなかった嬉しいことに巡り会えちゃいます。

さて、今回は私の体験の話を交えた器の話でした。

じゃあまたね


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