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戦争映画について話してみた(映画会座談会part1)



自己紹介


今井
20代後半、学生と社会人の狭間。
最近は深夜アニメより映画が好き。

小学生のときにみた『スター・ウォーズ エピソード4』と『ロード・オブ・ザ・リング』が個人的にクリティカルヒットし壮大なサーガ系作品にはまる。この頃から邦画との相性は良くない。

サブカル系では推理小説が一番好きだが、ミステリーを題材にした映画で自分にフィットするものがなく、仕方なくSF映画をみるようになる。
SFと神話構造の関係に興味あり。科学技術が高度に進歩しているにもかかわらず、古代や中世の世界観が展開されている作品はめちゃくちゃ興奮する。

好きな作品
アルフレッド・ヒッチコック『めまい』、アンドレイ・タルコフスキー『ノスタルジア』、クリストファー・ノーラン『インセプション』、ドゥニ・ヴィルヌーヴ『メッセージ』、エクトール・バベンコ『蜘蛛女のキス』、フランク・ダラボン『ショーシャンクの空に』、リドリー・スコット『エイリアン』、ロマン・ポランスキー『戦場のピアニスト』、アブデラティフ・ケシシュ『アデル、ブルーは熱い色』、ベルナルド・ベルトリッチ『ラスト・エンペラー』など。

自分の中での映画の位置づけは、観念的世界から現実の世界を引き算したときに残る、余り部分。自分の認識を揺らがせてくれる映画に出会いたいと願いながら、毎度作品を探している。

ゆず (Yuzu)
映画初級者。
学生時代は読書が好きで、映画は、たまに友達とその時公開されている邦画を観たり、金曜ロードショーや図書館のビデオを借りて観ていた程度だった。
もともと、映画という世界を深く掘り下げていなかったのですが、物語で自分の考えや感覚を伝えることにはずっと興味があり、参加させてもらっています。

子どもの頃はジブリ、ジャッキー・チェンのカンフー映画、『オーシャンズ11』、『ミッション・インポッシブル』といったアクション映画など。
中学生くらいの頃は『バッテリー』、『謝罪の王様』など。
大学以降は、『バケモノの子』、『シンゴジラ』、『エヴァンゲリオン』、『海獣の子』、『君と波に乗れたら』、『パラサイト』、『一人息子』、『お茶漬けの味』など。

並べてみるとアニメが多いですね。

あらゆる方法で表現をし合う存在が人間だから、映画をつくり、映画を見るのだと思っています。

三好
映画バカ一代!!というほど映画は見ていない。

高校生の頃に見た『2001年宇宙の旅』がずっと頭に引っかかり、大学生の頃に見た『アンチクライスト』に頭をガツンとやられ、その後生活圏に映画館が6つあるという稀有な環境の恩恵に与かり、IMAXから家の壁よりちっさいスクリーンまで色んな空間で映画を見る体験を得る。ホントハモットミタカッタヨ。

映画はどんよりとした人間の劣情を切り取った作品が好きだけど、「胸糞映画」や「鬱映画」みたいな呼び名で不幸を真空パックしたエンタメグッズとして消費するのではなく、もっと現実世界に違和感を覚える不穏なものとして味わいたいなと思う。一方で、虚構は虚構として独立存在したものと認識しなきゃなと思うことも多々ある今日この頃。

一押しの映画館はやはり立川シネマシティですね、あそこのポテトは冷めても美味い。

Mis.T
プロフィール
20代終わりかけ社会人女性 京都住まい

映画遍歴
高校生の時に進学校の模試ラッシュに燃え尽きて、映画をたくさん見るようになった。ガーリー映画『ひなぎく』の紹介を雑誌で見て、映像が綺麗な作品に興味を持って見始めた。社会人になってからは劇場で見るのは数ヶ月に一回ですが。
高校の時からミニシアターは1人で通うようになって、ヨーロッパの映画は特によく見た。お気に入りの監督はビクトル•エリセで、お気に入り作品も『ミツバチのささやき』。まあ初見寝たけど。子どもの眼の解像度から見た世の中が凄く説得力あるように描かれてるなあ、と。

好きな監督、俳優
日本では横浜聡子監督の骨太い可笑しみがたまらん。
俳優はスティーブ・ブシェミで!

何故映画を見るのか?
自分は、まだ見たことないものを見たくて映画を見てるんかなあ、と思いますね。

映画ってなんだろう?
映画ってなんだろうって言うと、監督が「俺の言いたいことを言うよ‼︎視覚とか音とか全部盛りの総力戦で‼︎」ってやってできた尺のある映像だと思ってる。(同じようなテーマや雰囲気の映画でも、もっといい塩梅で見せてるやつあんのかなー、って期待してしまう)


戦争映画

み:三好
T:Mis.T
ゆ:ゆず
い:今井

私たちにとっての戦争映画

T「お疲れ様です!今回は、メンバーが集まってのっけからウクライナの状況を見てしまうといつもの映画会にする気分じゃないよねー、ってテンションになってます。というわけで、皆がどのように戦争映画を見てきたか?って話題でいきましょう」

い「一人一本、自分のおすすめの戦争映画をあげていこうか」

「戦争は上から降ってくる」

ゆ「戦争映画と言われて思い出すのは、前回も触れたのだけど、小学校の体育館で見た『火垂るの墓』だね。もちろん怖かったし、戦争は絶対にしてはいけないよ、という平和学習の文脈だった。
 今、ふと思いついたのだけど、この映画は戦争映画ではあるけど、登場人物が直接的な暴力で死ぬというわけではないのが不思議だね。『はだしのゲン』などでは「あからさまに戦火に呑まれて登場人物が死ぬ」けど、『火垂るの墓』はそうではない、ということね。
 市民の視点から見ると、戦争は「上から降ってくる」という面があるよね。もちろんそれを小学生に見せ、「戦争は絶対にしてはいけない」と伝える教育のあり方は、大事だと思う。その上で、さらに言うと、広島で育った身としては、絶対平和主義の延長として、政治的な課題も考えられるように、接続されたらいいなと思う。
 いろんな意味で「史実」を見せ、追体験させる方法として、映画はやはり力があるね。
 小学生のとき、全校生徒が体育館に集められて、みんなで見たというのは、やはり印象深いね」

「戦争映画を見て、悲惨さを深く実感したことはあまりない。」

T「平和学習やと、私はひめゆり部隊の演劇を見て、怖いと思ったな。でも、中学の修学旅行で沖縄に行って避難場所として使われたガマ(洞窟)に入った体験の方が強烈だった。正直…映像とか演劇とかフィクションよりよっぽど強烈で。戦争映画を見て、悲惨さを深く実感したことはあまりないのが正直なところ。
 逆に銃後の暮らしとして、ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』でも『エル・スール』でも子供が成長していくときにスペインの内戦直後の時代が重なって、作中に逃亡兵らしき男が出てくる。まだ少女である主人公は、彼が逃亡兵とは多分分かってなくて、弱ってるようだから食べ物を分けたりして嬉しそうに接するシーンがあるのね。子供が、戦争というものをはっきり認識せずに、子供の目から戦争を感じ取る様子が印象的だったよ。
『この世界の片隅に』も、銃後で案外と市民がしぶとく生きている話でしたが、私は、(戦場を映す映画よりは)そういう個々人の感覚を取り上げる方が実感を持って受け止められたなあ」

「『ハウルの動く城』の戦争はまたバカが何かやってるぐらいの認識」

い「意外と兵士が戦死する映画って見ないかな。歴史が好きで文学部に入ったけど、2014年がWW1から100年目だったので大学入ったらWW1の戦場跡地に行こうと決めてたんだよね。ヴェルダン要塞とかに行ったら当時の施設がボンボン残ってた。100年前って時代感覚的には結構近いと思っていて、ここで戦争が繰り広げられていたんだなっていうのがリアルな感じで伝わってきた。WW1は殺戮能力が高くなってグロい資料が多く残ってるんだよね。同じく戦場で、『ハウルの動く城』の舞台にもなったコルマールにも行ってきた。作中ではソフィーは空爆されてる地域に住んでいるけど、それがこのコルマール。当時はハウルがかっこいいなって感じで普通にラブストーリーとして見ていたけど、今見たら背景でずっと戦争が続いているのが面白かった。単に恋愛を盛り上げる吊橋効果の小道具としてではなくて。総動員令があっても意外と日常は続いてて、民衆は強かに生活している。作中に登場するキャラクターたちもはっきりと反戦的な立場を主張するわけでもなく、またバカが何かやってるぐらいの認識。この対比が面白かった」

「戦場と銃後が曖昧になっているところで人々が日常生活を送っている」

み「ぼくは3本まとめていこうかな」

T「数で攻める!三好君!笑」

み「なかなか選べないなぁ。とりあえず、まずは『ガザの美容室』。これは、大雑把にあらすじを言うと、パレスチナのガザ地区が舞台で、美容室で髪を切っていたら、突然表で戦闘が始まるという話。普通はそんなことが起こると髪を切るのをやめると思うけど、このお話だと、その後も女性たちはひたすら髪を切り続けるんだよね。これは銃後と戦場の狭間をインパクトある形で描いた作品だといえると思う。
 あと、似たような系譜だと『とうもろこしの島』っていう作品。これは、ジョージアでの内戦を舞台にしていて、川の両岸で敵同士が銃を向けあうなか、老人と孫の少女が、中州に種を蒔いて苗を育てる話。ずっと周囲では戦争が続いているけど、二人は淡々と耕していて、土地を捨てるつもりはないまま話は続いていく」

い「これはノンフィクション?」

み「映画自体はフィクションだけど、物語を強く出しているわけではなく、実際の戦闘地域の空気を再現することに努めているから、かなりノンフィクション的な話だね。
 最後が『草原の実験』ってやつ。オチがネタバレなので言えないけど、ロシアの辺境にある草原のど真ん中に家があって、そこで生活を送っている人の話。一応、ボーイミーツガールでお話が展開されていて、そんな銃後の世界だっていつだって戦争になり得るっていうのを描いているんだよね。基本的に、自分の中で印象に残った戦争映画は大体、戦場と銃後が曖昧になっているところで人々が日常生活を送っているやつだね。実際に戦争になったときのリアルさが伝わってくる」

T「仕事は仕事で続くからね。戦争があっても、それでも日常生活は残っている。非常事態でも、もう一つの視点(日常の視点)は残っている」

い「戦争の中にあっても、日常生活が続いているリアルかぁ」

「戦場と銃後の『間』の方が、自分達にはリアルという感じ。上から説教してくるのには構えちゃうな」

み「戦場と銃後の間がリアリティとしてはしっくりくるなぁ。実際に戦場に行って闘うという話よりは、そっちのほうが自分達にはリアルという感じ。上から説教してくるのには構えちゃうな」

T「上から説教とか、銃後の視点っていう話が出たけどさー。逆に俯瞰的なメディアっていうとニュース、ドキュメンタリーとかになっちゃうのかな?そういう、人間の目線を排した映画で、かつ人に大きい影響力で戦争を伝えられたフィクション映画ってあるのかな」

み「スターウォーズなんかも戦争映画で、しかも複数の立場を偏りなく説明している分、俯瞰している作品でもあるね」

い「たしかに、ぼくもエピソードⅢは好きなんだけど」
 
み「自分もあの民主主義が瓦解する流れは好きだなぁ。新三部作(プリクエル・トリロジー)では、ジョージ・ルーカスが議会制民主主義からどうやったら独裁政治や戦争が出てくるのかっていうのを表現していて、ジェダイの評議会なんかは現在の安保理みたいな感じだよね」

い「実際に歴史的にあった出来事を神話化して描くことで、感情に訴える説教臭さが消えて、普遍的な人類史の構造として伝わってくるって感じなのかな」

み「人類が今まで繰り返してきた過ちが今ある危機と紐づけられることによって、一大サーガの中に批評性が収まって、押し付けがましさがなくなるんだよね。
 複数の立場を描いているという流れだと『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』なんかもそんな感じだね。日本とアメリカの硫黄島での戦闘を二つの視点から描いていて、一方のプロパガンダ映画じゃなくって、説教臭くなく戦争を大局的に伝えているいい映画だと思うよ。
 一方で、シリアの映画『それでも僕は帰る シリア 若者たちが求め続けたふるさと』なんかは、ドキュメンタリーだけど、だからこそ、逆にすごく主観的だった。思想を織り込ませる余地がなくリアルに描かれている。
 何個かシリアのドキュメンタリーをまとめて見たからこの作品だったか確かじゃないけど、私たちはこの建物を出たら銃で撃たれますっていう状況、「我々のリアル」を極限まで撮っている。厳しい、シビアな世界が一時間くらいの映像にまとめられていて、観客側としても真剣に対峙しなければならないと思わせる内容だった。基本、シリア関連のものは外国から機材を大量に持ち込んで取材みたいなことができなくて予算が少ないからそうなるんだろうね。それ以上のリアリティはないだろうという感じが伝わってくる」

T「リアルといえば、高校の世界史で、WW1以降は映像資料が出てくるのが記憶に残ってるわ。それより前は教科書の文章や図版、写真だけで歴史をイメージしてたから。人や物がちゃんと動いてるのを見ると、戦争は実際に起ったことなんだな、って実感が湧いたよ。解像度でいうなら、私は教科書<映像<銃後の順番で高い、という感じかな〜」

「戦争のリアリティ」と、「メディアのリアリティ」は互いに影響する

ゆ「結局、フィクションとは何かという話に行き着きそうだね」

ゆ「フィクションで描かれる、いわゆる”リアリティ”って危ういよね。「リアルだなぁ」っていう”ほめ言葉”は、ふつうは「フィクションであるという前提で、どこかしらリアリティを持ってる」という意味なんじゃないかな。
 逆に現実であるはずの、最近流れてくるウクライナ関連のニュースも、新聞やウェブサイトで文章で見ると、文法自体はいつも通りの冷静さで、「ニュースの定型文」みたいな表現に感じてしまうときもあるんだよね。冷静に伝えることはもちろん重要だけど、そうなると、むしろリアルさは薄いと感じてしまうのかもね。
 一方で、フィクションであることによる利点もあると思う。たとえば、シンゴジラみたいな「完全なるフィクション」によって、「国際的な危機に対する原爆の使用」といった過激な話題を、シミュレーション的に描ける」

み「ちょっと違うかもしれないけど、シミュレーションとしてのフィクションを考えると、日本では実写よりアニメのほうがコストが低くて、リアルな世界を表現できてるかもね」

ゆ「おもしろいのは、『シン・エヴァンゲリオン』のドキュメンタリーで見たんだけど、アニメをつくるために、物質的な模型を作ってるんだよね。模型をきちんと用意して、いろんな角度から眺めては、配置を変えてた。結局、物質的なモノって便利なんだね。
 話を戻すと、なんだか〈戦争のリアリティ〉と〈メディアのリアリティ〉との交錯、みたいなことを考えさせられるなぁ。
〈戦争のリアリティ〉っていうのは、たとえば、「現実の戦争にどれだけリアリティがあるだろうか」とかね。論じ方に注意が必要だけれど、主権国家間の戦争は主体が ”国家” なので、ひとりひとりの国民との距離はあるだろうし。
 それで〈戦争のリアリティ〉って考えてみれば、それはほとんど「メディア」によって感じるものじゃないかな。特に、銃後の市民にとっては、メディアから得る「戦争が起きています」という情報がその大部分を占めるわけだからね」

み「だからこそ、メディアが何をどうやって表現しているかということに注意していかなかればならないよね」

ゆ「そうだよね。一般に〈メディアのリアリティ〉に関して考えて見るのも面白い。たとえば、映画は現実を素材にしつつ物語を作り上げているわけだけど、そうして作られたフィクションの物語を見て、現実の人間は何かを感じる。分かりやすい例としては、風刺作品かな。フィクションであることで、現実を風刺できる。
 そんな感じで「フィクションから何かを感じてしまった人々」が、次の現実を形作っていくわけだよね。つまり、〈現実とされている物事〉と〈フィクションとされている物事〉とは分けられているけど、互いに影響し合うんだよね」

T「フィクションなら、現実にない話をガチガチに構築できるからかえって筋は通ってたり、理解しやすいかもね。本当は、本物の戦争の方が、フィクションよりとんでもない、理解出来ないものなんじゃないか、思ったりするもん」

ゆ「事実は小説より奇なり、ということかな」

み「『ロスト・ストレイト』というイラン・イラク戦争の映画なんかは物語も(多分)何もなくひたすら泥沼な戦闘を繰り広げていて、もしかしたら現実の戦争には起承転結なんてなくて、Tさんのいう感じかもしれないなとかは思うな」

T「西島大介の漫画『ディエンビエンフー』が好きなんやけど、あれなんかの破茶滅茶で結構残虐なバトル描写を見てもそう思うよ」

ゆ「プラトンが理想国家を語るとき、「詩人を追放する」との意見を出すのは、「子どもを教育するときに、現実になく、正しくない素材を用いたものを教えてはいけない」としたからなんだよね。そう言われると『火垂るの墓』もだめだってことになるね」

T「そんなん言うたかってさ!フィクションの方がわかりやすいのはあるよね笑」

ゆ「そうそう、プラトン(ソクラテス)はダメとは言っても、実際にはそれらを見つつ、子どももしたたかに生きているよね」

い「ある程度は戦争をフィクションとして鑑賞するしかないよね。日常もフィクションの連続で、剥き出しのリアルで生きるのは難しいし、プラトンの言うことは難しいんじゃないかな」

ゆ「プラトンの「現実を教えるためにフィクションを使うな」っていう主張は、他の観点から言うと、模倣ではなく本質(イデア)をつかめ、という意味なんだよね。イデアを何よりも優先してるんだよなぁ。現代の情報社会を見ると、われわれにとっては難しい話だよね

い「当時の歴史や文学は誇張されすぎているからかなあ。ホメロスとかヘロドトスとか」

ゆ「プラトンの時代から「戦争をリアルに伝えねば」という主張もあったかもね。誇張された叙事詩などで、英雄をことさらに持ち上げたりしていたかもしれない。そういったメディアに囲まれた環境だったのかもしれないよね。結局、戦争とメディアとの関係って古くから続いているんだなぁ」

い「現実とイメージとのギャップはプラトンの頃から言われていたってことだね」

い「とはいえ、なぜ殊更に戦争映画はリアリティを問われるのかな

ゆ「歴史認識が大きい問題だからかなぁ」

み「ナチス映画とかを見ればやはりいかに史実を扱うかの難しさはよく分かるよね、『ダンケルク』も白人兵しかいないと批判されてたりもしたし」

い「リアルとは何かと戦争とは何かは切り離せないのかな」

T「学校で教えられる歴史の授業って、戦争の話が大半やからちゃう?それを映像化されたら、これって本当にこんなんだったのかな?とは素朴に疑問に思うよ」

ゆ「戦時も人によってリアリティが変わるだろうね」

T「私なんかは、コロナ始まってからずーっと戦争みたいやなーと思ってるよ。個人の人生のプランが国とか感染症とか、大きなものに振り回されてる感じがさ」

歴史である戦争、個人の体験である戦争。色んな「戦争」の姿がゆるゆる見えてきたぐらいで、この日はお開きとなりました。
そして100年前の戦争のリアリティを知るために、『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド』を鑑賞しました。


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