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《祝祭》の音楽―数年ぶりのオーケストラ本番を終えて

あの最高にひりついた感覚をなんと表現すればよいのだろう。
踊りだしたくなる感覚。
いや、私はあの瞬間たしかに踊り、熱狂し、感情の渦の中に没入していた。

私がやっていたのは音楽で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
でもそれは確かに私がこの数年、心から待ちわびていたものに違いなかったのだ。

2020年、春の予感とともに私たちのもとにやってきたのが、あの疫病であった。
最初は多くの人が3週間ほど様子を見ればいいだろうと思っていたはずだ。
今思えば、あまりに楽観視しすぎていた。

それぞれがこの2、3年のなかで失ってきたものがあっただろう。
あの年、大学の学部生として最後の年を過ごしていた私にとってそれは、大学への登校の機会、そして音楽活動であった。

所属するオーケストラ団体の演奏会はすべて取りやめとなった。
最高のプログラムだと本番に向けて胸を高鳴らせていたオーケストラサークルの引退公演も、2度と行われることなく練習半ばにして中止が決まった。

その後私は大学院進学の都合上、それまで住んでいた首都圏を離れることとなり、ある地方都市へと移住した。
2021年になってもコロナ禍はいまだ消えず、どこかで演奏活動をしたいと思いつつも「また中止になってしまうのでは…」という考えが頭をよぎると、慣れない土地での多忙な生活も相まって、なかなか参加に踏み切ることができなかった。

しかしながら、学部生時代に所属していた団体の演奏会予定を目にしたとき。
ほとんど迷いなく参加の決断を下した。

それが某管弦楽団の演奏会である。
演奏会のプログラムと、そこにつけられていたテーマはどこまでも熱く、私の好みであった。

以前所属していたということはつまり首都圏のオーケストラ団体で、当然のことながら本番会場も練習場所も東京近郊であった。
私が住んでいる場所から新幹線を使って1時間半から2時間ほど。
その距離と交通費をかけてもかまわないと即座に思えたほどに魅力的だったのだ。

なかでも心がひかれたのが、伊福部昭の「SF交響ファンタジー第1番」。
日本人であれば、それどころか海外の人にもよく知られているであろう、あの『ゴジラ』の音楽を手掛けた作曲家であり、まさしくその『ゴジラ』を含む映画の楽曲から構成されている作品だ。

力強く重厚な低音。
美しい祈りのようなメロディー。
すべてを断つような激しい金管楽器の響き。

どこをとっても心ゆさぶられる音楽だ。
もちろん演奏会のプログラムに組み込まれていたほかの3曲も好きな曲であるしそれぞれの魅力を同じように語ることもできる。
しかし、舞台で演奏する只中にいたいと強烈に思ったのがこの「SF交響ファンタジー第1番」であった。

本番当日、演奏会の第1曲目をかざるこの曲と、私は舞台中央に近い弦楽器最前列の位置で対峙していた。
演奏している最中にどんなことを考えていたかはおぼろげにしか覚えていない。
ただただ、楽しかった。

曲を演奏する「当事者」としてこの場にいれること。
約2年半ぶりに体感する本番特有の緊張感と熱量。
この曲がただひたすらに好きでたまらないという想い。

そういったものが交錯し、熱狂の渦のなかに自らを進んで投げ込んでいった。
気づけば弓の毛は切れ、体は汗ばみ、そして曲は終わりを迎えようとしていた。
演奏会のたびに「このままどうか終わらないでほしい」という瞬間が訪れるが、このときはいっそう強くそれを感じていたと思う。

それでも時は無常なもので、否応なく演奏は進み、そして譜面の最後の一音までたどりつく。

あのときの達成感と昂揚感は、本当に計り知れないものだった。

その後も演奏会は進行していく。
2曲目、3曲目、そして4曲目。

すべてが終わり充足感に包まれる。
これだから音楽はやめられない、と強く強く思った。

私はきっとこれからもオーケストラの演奏者として舞台に立ち続けるだろう。
あの祭りのような忘我状態を再び味わいたいがために。


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