見出し画像

ume,をつくるきっかけになった、3つの出会い

こんにちは、梅守志歩です。

心がくじけそうになったときに思い出すことが人生の中でいくつかありました。それはume,をつくるきっかけにもなったものです。

今日は、そんな3つの大きな出会いについて、お話したいと思います。

奈良の田舎がとても嫌いだった、25歳までの私

今振り返ると、学生時代は考えることがとても少なかったように思います。
中高一貫校から、そのまま大学へ進学。特にこれといった特技もなく、向上心もないような学生時代を過ごしました。

ただ、前の記事でも書いた通り、病気がちの姉妹のこともあり、将来は「幸せな家族をたくさんつくりたい」というイメージだけ持っていました。

そんな想いを胸に、不動産ポータルサイトを運営する会社に就職。トップセールスや社長賞、全社MVPの受賞など、その時なりに必死にやってきたと思える結果を残し、満3年で退職します。

画像10

もともと社会人1年目の時から、両親には

「3年で奈良の家業である寿司メーカーへ戻ってきてほしい」

と言われていました。

かなりの反発をしながら(当時は)本当に嫌々、
もうほんと―――に嫌々、奈良へ戻ってきました。

25歳の私は、いま思えば相当な頭でっかちだったと思います。
大企業の一端を担わせていただいたというだけなのにも関わらず、自分の能力を過信していました。

奈良の田舎の生活リズムの遅さや、
自分の一日の営業の中で扱う金額の低さに、
どこか奈良や田舎を馬鹿にして、
本当に今すぐやめて東京で働きたい!!そんなことばかりを考えていたのです。

画像8

「いまいる環境の中で最大限たのしむこと」。薬師寺僧侶がくれた、考え方を変えることば

「もう本当に、やってられない!こんな会社、今すぐやめさせてくれ!」

毎日のようにこんな会話を繰り広げながら、家業の寿司製造メーカー(umemori.co.jp)で働いていた私。そんな中でお取引先の寺院・薬師寺の僧侶、村上定運(じょううん)さんに出会いました。

画像11

年齢も近い定運さんが言った言葉が、腐っていた私の思考回路を大きく変えていったのです。

「いまは、いましかないんだから、
僕は、いまいる環境の中で最大限たのしむことを、
いつも考えながら仕事をしているよ」

家業以上に千年以上の歴史のある寺に生まれ、生まれながらにしてほぼ絶対の人生の選択肢を決められているお寺の息子さんに比べれば、私の悩みなんてとてもちっぽけ。こんな年も近いのに、こんな風に考えて生きている人がいるのか!と、とっても衝撃だったことを覚えています。

このことばをきっかけに「奈良で生きる」という現実に向き合おうと決めました。

じゃあどうしたら、自分の人生が楽しくなるのか?

という思考をしはじめたときに出会った、2つのものが
いまume, が建っている山添村への道をつくってくれました。

画像7

星野道夫「旅をする木」との出会い

ずーーっとくすぶりながら仕事をしていた私のことを見かねた友人が気分転換にこの本読んでみたら?と、ふいに貸してくれた本。

それが、星野道夫さんの「旅をする木」という本でした。


私にとって、いまやこの本はバイブル。どこになにが書いてあるのかが、だいたいわかるぐらいに何度も何度も読んだ本です。

その中にある「もう一つの時間」という章が、いまの私の自然感や感覚を作ってくれているので少しだけご紹介したいと思います。

東京で編集の仕事をしていた星野道夫さんの友人が1週間のアラスカの舟旅を経験し、広大な海と、その中では小さなクジラの存在、そしてブリーフィングという、ただ意味もなくクジラが飛びあがる瞬間を見て、帰った後に言った言葉です。

「何がよかったって?
それはね、私が東京であわただしく働いている時、
その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海で
クジラが飛び上がっているかもしれない、
それを知ったこと」
「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、
もう一つの時間が、確実に、ゆったりと流れている。
日々の暮らしのなかで、
心の片隅にそのことを意識できるかどうか、
それは、天と地の差ほどおおきい。」

この一遍が、私のこころを捉えました。

それまでは大阪市内の梅田の隣駅という都会に住んでいた私が、
いつからか自然とともに生活すること、
そのリズムを暮らしの中に染み込ますことを夢見るようになりました。

画像9

オフィスキャンプ東吉野での「変な」お兄さんたちとの出会い

「自然のたくさんある場所で生活がしたい」

そんなことを考え始めた26歳ごろ。

身近にいた方々に、まだなにも思想もイメージもない私が
「こんな風な暮らしができたらいいな~」
「田舎で野菜とか育てたりしたいな~」
など、ふわふわとしたイメージをお話していた矢先、

きっとイメージに近い場所があるよ!と連れてきてもらったのが、同じ奈良県の東吉野村という場所にあるOPENしたての「オフィスキャンプ東吉野」でした。

画像2


いまでこそ、リモートワークやワーケーション、二拠点居住などが認識できる言葉になってきましたが、当時は「若者が田舎に移住する」なんてことは、意味が分からない、あいつはなにを目指しているんだ?と友人にもよく言われたことを覚えています。

その中で、一番衝撃だったのはプロダクトデザイナー・菅野大門さんとの出会いでした。

彼は当時、すでに1児の父。それにも関わらず目の前に流れている川のほとりに落ちている流木を拾って売って、それを生活費の足しにしながら生きていたのです。

画像3

▲菅野大門さんが手がけるプロダクト「tumi-isi」。バランス感覚を養う多面性の木製ブロックは吉野杉の調達から加工、デザインまでを奈良県内で行っています。

あまりにも衝撃的でした。
そのお話を聞いて「企業に所属して、お給料をいただいて賃金を得る」という私がそれまでもっていた、生きるための方程式がガラガラと崩れ去ります。

もっともっと、自由に自分の人生を考えていいんだ!
どんな形でも、生きていく方法があるんだ!!

と大きなパラダイムシフトが起きたことを覚えています。

画像3

そこからの決断は早いものでした。

「自然の中で、もっと自由に自分の人生を、
自分で選択しながら楽しく生きる方法」

を模索し、あれよあれよという前に、山添村にたどり着き
念願の村暮らしがスタートしたのです。

ただ、住むことを続けた先にあった、これから先の未来のこと

移住当初の1年間は、山添村で単純に「住む」ことをしていました。

星がきれいだな、
時期によって庭の花が変わるんだな、
わ!となりのおばちゃんが野菜をくれた!!うれしい!

ただそんなことが、楽しくって嬉しくって。

画像4

ただ、いいことがたくさんある中で、
村に存在するたくさんの厳しい現状を知りました。

「このおじいちゃんが死んだら、村の伝統工芸が潰えてしまう」
「このおばあちゃんのレシピが絶品だけど、だれも同じものが作れない」

挙げたらキリがありません。

一つひとつが、本当に価値ある工芸品や料理手法なのにも関わらず、

お金にならない、
興味を持つ人が少ない、

などの理由でどんどんとなくなっていく現状。

これって、本当にこのままでいいんだろうか?
私にできることは何かなにのだろうか?
そんなことを日々考えるようになります。

画像5

私は、オフィスキャンプ東吉野で出会ったお兄さんのようにデザイナーでもなければ、クリエイティブな仕事をしているわけでもない。

でも、企画をしたり営業をしたり、観光に関することであれば、いままでの自分の知識でもできるかもしれない。

そうすれば、この潰えようとしている村の魅力・資源をもしかしたら残せるかもしれない。

画像6

僧侶の友達のことばがきっかけで「奈良で生きていこう」と思うようになり、
自然に身を委ねた生活に憧れ、
自分で人生を切り開いていけることに気づかせてもらったから、
山添村に出会うことができ、自然の美しさや豊かさに出会うことができました。
そこから、苦節3年。

これらのきっかけや出会い、それ以外にもたくさんの助言やお力添えをいただきume, yamazoeが立ち上がったのです。

静かに、淡々と。この場所で生きていく。
それを支えてくれている3つ出会いに感謝しながら、
今日もこの場所で過ごしていきます。

・・・

ume, yamazoe HP
ume,での滞在を思い浮かべられるような写真をたくさん載せています。ぜひこちらも覗いてみてくださいね。ご予約もHPから承っています。
https://www.ume-yamazoe.com

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?