見出し画像

【三国志を語りたい】徐栄 〜若き曹操、孫堅に立ちはだかる董卓軍最強の武将〜

前回の次回予告にて董卓軍最強の武将をご紹介!ということで、誰もが呂布を想像すると思われます。

確かに呂布は最強の武人で、力は三国志最強でしょう。
ただしかし、時は三国時代、1人の力量よりも重要なのは傭兵術。
その点において董卓軍最強なのは徐栄だと思います。

徐栄さんの何がすごいか、それはとにかく戦術の勘が冴え渡っていて、判断が的確なんです。
その力は新進気鋭の曹操、孫堅の軍勢をも強打し、両者は無様に敗走させるほどのものでした。

董卓は何進の招集で中央に進出して、どさくさに紛れて政権を牛耳ることに成功します。
そして、あろうことか少帝を廃して献帝を擁立して、王朝を意のままにしてしまいました。

袁紹を中心に董卓に対して反旗を掲げますが、悲しきかな烏合の衆、誰もが董卓を恐れて動こうとしない中、若き曹操が動きます。

自らの手勢で董卓軍と一戦仕掛けます。
曹操は黄巾族との戦いで手柄はあるものの戦争のキャリアとしては、まだまだ戦上手の評価は得られていないのが実情です。

そして不運にも董卓軍の中でも最強の徐栄の軍が駐留、見回りをしている時にぶつかってしまったと思われます。

徐栄としても謎の軍隊との折衝に不気味さはあったのでしょうが、機を見るに敏な徐栄は曹操軍に対して速攻を仕掛けます。

おそらく兵の質も練度も徐栄の軍が凌駕していたのでしょう。
強烈な先制パンチを喰らった曹操軍は壊滅、曹操も急死に一生を得て、戦端から逃れることになりました。
(曹操はこの後、黄巾族、袁術、陶謙、呂布、袁紹と軒並み強者達を打ち破っていくことになりますが、この敗北によって強くなったのかもしれませんね。)


董卓軍と最初に一戦交えたのは曹操、ですが董卓軍に初めて勝利したのは孫堅です。

董卓が太師を名乗った191年に孫堅は董卓打倒の兵を進めます。

董卓が曹操を破った功がある徐栄に大軍を与えて布陣させます。
ここでも徐栄は董卓の期待に応えます。

電光石火の速さで孫堅の陣を急襲、その速さに孫堅は反応できずに一瞬で軍が崩壊し、包囲されてしまいます。
孫堅も命からがら脱出して一命を取り留めましたが、またもや董卓軍の大勝利に董卓軍は湧くのでした。
(が、孫堅はすぐに体勢を立て直してもう一度董卓軍と再戦、今度は胡軫、呂布との戦いになるが、これを打ち破って初勝利をもぎ取ったのです。)


これらの活躍を見ると徐栄は相当戦上手で、この瞬間三国時代最強の武将だったのではと思います。

ただ時代は残酷です。

徐栄もまた時代の中に取り残されてしまいます。

徐栄は董卓が誅殺された後、王允の元で李傕、郭汜らの大軍と戦い命を落としてしまいます。
徐栄はその後の曹操、孫堅の活躍を見ればわかるとおり、傑物だったと言えます。
歴史にifがあればその後の活躍も見てみたい、そう思わせる武将ですね。

さて、次回は何を書こうか、というところですが、そろそろ三国時代の主人公、曹操を書きたいと思っております。
彼が如何にして台頭したのか、彼はどんな行動理念を持っていたのか、これからは曹操から目が離せません。


なぜ、こんなに面白いのか?読めばわかる。

三国志
宮城谷昌光
文集文庫

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?