たとえば。
たとえば、あなたに翼があったなら、あなたは今日どこへ飛んで行くだろう?
行きたい場所がある人、ここに行きたい、が浮かんだ人は、
少しステキな日常を暮らしているのかもしれない。
私は、今日翼があったなら、北欧へ行ってみたくなった。
今朝、ChatGPTのニュースを見た。
海外では、禁止をする国が多い。
日本は、受け入れつつ仲良くしていく姿勢だと、記者が報道していた。
北欧は使用しないのだそうだ。
正直、新しい時代の潮流に辟易している。
そうじゃない日もあるのだけれど、今朝は受け入れられる気分ではなかったようで
良い変わり方をしているものもあれば、そんな変化欲しくないな、だって疲れちゃうじゃない、と思うものもある。
みんなはどう感じているのだろうか?
一番、記者の言葉で「疲れ」を感じたのは、AI開発者のことを、
「金の卵」
と呼んだことだった。
得も言われぬ恐怖に襲われるのは何故だろう。
人は鳥類ではないから?人類のアイデンティが下がった比喩に聞こえたから?
未来の市場の変動や、自分の今の居場所の不安定さを急に目の当たりにさせられたから?
私たちは、キンザザ惑星に住んでいるような気がする。
映画の最後の一言は印象的で、
「上下のない世界で何を基準に生きていけばいい?」
とは、まさしく我々の弱さを表していると感じた当時。
でも、いかりや長介さんも言ってた。
人は、弱いままで良いんです。って。
弱いこと、は、なくならないでいてくれるだろうか?
理不尽な上下じゃなくて、脳を休ませる余白が、ただ存在していてほしい。
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