多羽(オオバ)くんへの手紙 ─6─
貴代先生の実習期間が終わった。
私は運動神経が絶望的だったので、貴代先生が多羽に話していたらと思うと暗澹たる気持ちになった。
どうか私のことなど全く忘れていてほしい。
そんな気分とは裏腹に皆夏休み前のフワフワした空気が漂っていた。
私への多羽いじりも一段落した頃だった。
***
羽田家は両親、中2の私、小5の弟の伊織、小3の妹の賀子の5人家族だ。
子どもたちはその日の学校での出来事や友達の話などを、我先にと両親に話すような家庭だった。
伊織や賀子が喋りまくった後、私もその日のことなど色々話したように思う。
この時の母の言葉以外、何の話をしたか全く覚えていない。
「あんたの話はあっちゃこっちゃ飛ぶな。ちょっとおかしいんちゃう」
階段を踏み外した時のように心臓がドクンとした。
え?おかしいって何?頭がってこと?
母の顔から見たことのない冷たい何かが見て取れたのは気の所為か。
小学生の2人は支離滅裂な話でも構わないが、中学生にもなってみっともないということだろうか。
色々な考えが頭の中でグルグルと渦巻いていた。
子どもの頃誰しも一度は思ったことがあるのではないだろうか。
私は本当にこの家の子だろうか。
本当の両親がどこかにいるのではないだろうか。
ごく幼い頃にぼんやりと灯っていた小さな炎が、久しぶりにボワっと辺りを照らした。
自分にはドラマティックな何かがある、という青春病だったかもしれない。
しかし、自分の子が一生懸命話したことに対してあのような表情をする親がいるのだろうか。
一体自分はどこの子なんだ。
誕生日や血液型も本当なんだろうか。
名前は誰がつけてくれたんだろう。
そういえば母子手帳を見たことがない。
あの炎がまた大きくなった。
いつもは笑いを押し殺しながら聴いていた深夜のラジオもこの日ばかりは全く頭に入ってこなかった。
この炎が小さな灯りに戻るまで
夜が明けないでほしい
ゆらゆらと揺れながら
着地する場所が見つかるまでこのままでいたい
自分は誰なんだろう
羽田水澄という名前が何だか宙ぶらりんで可哀想に思えてくる
もうすぐ朝が容赦なくやって来てしまう
多羽はまだ寝ているだろうな
✳✳✳
あぁ、また朝が来てしまう
今だって時々こんな風に思っている
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