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多羽(オオバ)くんへの手紙─26

(2,244字)

体育祭が終わり、2学期も折り返し地点だ。
冬の制服だけでは少し肌寒い季節になり、受験生がピリピリし始める時期に差し掛かってきていた。
母から「浮ついて」などと言われたが、私の成績は一向に下がることはなく常に学年の上位五指には入っていただろう。
元々さほど努力せずとも勉強は出来たし、することも苦にならない。
「浮ついていようがいまいが関係ない」という母に対するメッセージだった。


***


2時限目の後の20分休憩の時だった。
私とおしゃべりをしようと近付いてきたおリンに、教室後ろのドアの外から野口先生が手招きをしていた。

「小牧、ちょっと職員室来てくれる?」
「ミスミン、ごめん行ってくるわ。多分高校のことやと思う。」

母親とおリンの希望がなかなか折り合いがつかないらしく、
リンの志望校選びは難航していた。

リンが出ていくのと入れ違いで、後ろのドアから戸澤コザワを含む数人の不良が何やら話しながら入ってきた。

羽田ハタ、聞いたってや。こいつ前に小石にボコられてんで。」
戸澤コザワを指さしながら不良の1人が話し掛けてくる。

「ボコられた?あの顔にバンドエイド貼ってた時?」
あの日は遅刻しそうになったからよく覚えていた。

「そうそう。あれな、俺らが止めてなかったらこいつもっとボコボコにされててんで、小石に。」
他の不良たちが揶揄カラカいながら笑いをコラえていた。
戸澤コザワはいじめられているのではなく「愛すべきいじられキャラ」だ。

「うるさいわい。そやから今度、これでやったるんじゃ。」
バツの悪そうな顔をした戸澤コザワが持っていたのは警棒だった。
当時流行っていた不良漫画で登場人物が使っていた伸びるタイプのもので、欲しがる男子も多かった。

小石くんは素手で喧嘩をする子だ。
戸澤コザワがいくら「ヘタレ」でも、素手の相手に道具を使って喧嘩をしようとする性根ショウネが私は気に食わなかった。

「小石くんは素手やろ?警棒なんか使うん?何よそれ。ダッサ。それでやられたらもっとダサいやん。」



口は災いの元。後悔先に立たず。



普段はヘラヘラしている戸澤コザワの顔つきが変わった。
「おい、羽田ハタ。何や、お前。もっぺん言うてみぃ。」
女の子にケナされてカチンと来たのだろう。

「道具使うのなんかダサい言うてんねん。」
「お前、ちょお廊下出ぇや。」

マズい展開だと思ったが引き下がれない所まで来てしまっていた。

「上等やわ、このシャバゾウ

きっと殴られるだろうが謝るつもりはない。
自分は間違ったことは言っていないという気持ちだけでその場に立っていた。

コザっち、女にも負けるんちゃうんか、などと囃す不良仲間の声も聞こえ、
戸澤コザワの神経をより一層逆撫でしたのかもしれない。

戸澤コザワが手を振り上げる。
勢いよく啖呵を切ったくせに思わず目を瞑ってしまう。

「待て待て!コザっち!待てって。アカンて。もぉー、お前なぁ、女に手ぇ上げるなんか最低やぞ。」


近くで見ていたのだろうか。
多羽オオバが割って入ってきていた。

「お前もシャバゾウはあかんて。」

父に似た、私を諭すような「女の子がシャバゾウなんか言うたらあかん」と言いたげなあの微かな笑顔。

私はこの時、女の子として致命的なミスを侵したと直感した。

戸澤コザワに「ごめん」、多羽オオバには「ありがとう」とはよ言わなあかん、と気はいているのに口は固く閉じられたまま開かない。

──「意固地な子」
母からいつも言われていたのに。──


ジョーダン冗談やぁ〜ん。」
いつものヘラヘラした顔付きに戻った戸澤コザワはそれだけ言うと何処かへ行ってしまった。
戸澤コザワの方がよほど可愛気がある。

その場は収まったが心の中はモヤモヤしたままで、今日という日を朝からやり直したい気分だった。
ずっと仏頂面をしているわけにもいかず、多羽オオバや他の人たちへの慣れない愛想笑いが、尚更気持ちを疲弊させた。


✳✳✳


気にしていたのは恐らく私の方だけだっただろうが、戸澤コザワとは何となく気不味キマズく、近付かないようにしていた。
以前ならおリン戸澤コザワが話しているところへ混ざったりしていたが、そうすることも避けた。
本当は「ごめん」と謝りたかったのに、戸澤コザワとわざわざ話すことも無い、別にいいやなどと投げ遣りな気持ちになっていた。


✳✳✳


羽田ハタ、これお前の。ずっと借りたままやったわ。」
戸澤コザワが持って来たのは私のコンパスだった。
そういえば数学か何かの授業で貸したっけ。
いくら探しても無いはずだ。

「これ探しとってん。借りパクされるとこやったわ。戸澤コザワ、ちょっとここ、机に手ぇ出して。」

机に出された戸澤コザワの手の甲目がけて、コンパスの針を刺そうと手を振り上げた。

「ちょっとー!何よ、お前。怖いのぉ!」
戸澤コザワが慌てて手を引っ込める。

ジョーダン冗談やぁ〜ん。」
今ならこんなに簡単に言えるのに。
あの時も戸澤コザワの真似をして言えばよかったのだ。
あれほどあった胸のつかえは、するりとどこかへ行ってしまった。


J・O・D・AN
J・O・D・AN

呆れるほどアホな戸澤コザワが武田鉄矢の真似をしている。
笑ってやらないつもりが思わず吹き出してしまった。



27に続く…