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京都・おばあちゃんの銭湯 大黒湯

今週は京都に滞在していた。
宿泊先ではシャワーのみだったので、銭湯に毎日通った。

京都の銭湯で有名な梅湯から徒歩3分の場所だったので、梅湯に毎日のように通った。だが、定休日の木曜にはどこに行こうかとGoogleマップで見ると、その次に近そうな大黒湯というところに行った。

自転車で行けば、まぁ5分程度。清水五条駅のちょっと北にある。
これがまた何とも面白いところだった。人に話すにもちょっと話さない内容かもしれないので、文字にして書こうと思う。

梅湯はいい銭湯である。
あそこに行った誰もが銭湯好きはもちろん、外国人観光客もよかった!と言う。今回、たまたま出会った韓国人の22歳の女の子もそう言っていた。

ただ、私にはどこか、銭湯らしくないような気もしている。銭湯らしいというと、主観が入り混じっているけれども、どこか汚いようなところもあって、おばあちゃんが多い印象。
そして、地元の人が集まっていて、時々話している感じ。
梅湯は、そういう意味で私の中では銭湯っぽくない。いいところなのは間違いない。言い換えれば、ある意味で梅湯は新しい銭湯の概念をつくっているような感じがする。
梅湯の入り口付近では、ドーム型のおもちゃが音楽を鳴らしていて、入るとこれまたガンガン系の音楽がかかっている。
壁一面に何かしらポスターやら注意書きやらがあって、必ず視界にメッセージが入り込む。
元気な銭湯である。若い人も多い。

初めて来たときは、なんて素敵なところなんだ…!と思ったが、毎日来ていると、なんとなくこの若い元気な場所を離れて、もう少し落ち着きたくなってくるような、おばあちゃん的銭湯が懐かしくなる。梅湯は観光客だから楽しめるような気もする。

梅湯が定休日だった昨日、大黒湯に訪れて、あぁこれこそが私の思う銭湯だった、と気づいた。
地元の人が来ていて、どこか汚いというか古いところがあって、?と思うことがいくつかある。んん?と思うことが今まで訪れた京都の銭湯の中では最強だったので、ここに書き記しておきたい。

京都は銭湯が多い。
だいたい490円で入れて、サウナがあったりなかったりする。東京では、サウナは別料金のようだが、京都では払う必要はない。ちなみに福井なんかの田舎では、300円というところも少なくない。
私が田舎に住む友達に一緒にスーパー銭湯に行こうと誘って、700円前後だったのだが、彼女から高いと言われた。

それはさておき、まぁ高くも安すぎもない料金で、旅行者も地元民も気軽に入れる。梅湯なんかは、立地や知名度から観光客が多いが、ほとんどの銭湯は、地元の年配者が多い。

何度も言うが、大黒湯はやはりおばあちゃんだらけの銭湯だった。たまに若い女性もいたが、ほとんどがおばあちゃん。

入ると、向かって左側の1人がけソファやマッサージチェアが置かれたスペースで外国人(欧米人)の年配の女性が1人、バスタオルを身にまとった状態で座っていた。

番台では、うとうと眠りながらも料金を受け取ってお釣りを手渡すおばあちゃんがいた。
いらっしゃいと言って、私がお金を出す間に寝始めて、コックリしだし、お金を渡すとまた目を覚ましてお釣りを出してくれた。
差し出されたお釣りは、どうやら前の料金の450円のよう。今は490円に上がったんじゃなかったのかな?それともここでは450円のままなのだろうか…そんなことを考えながら、お釣りのお金を財布に入れている間に、また番台のおばあちゃんはコックリしだす。
いったい、おばあちゃんはどんだけ寝ないでこの仕事をやっているんだろうか。

コロナ禍に営業時間が変わった銭湯も多いので、何時までやっていますか?と聞いてみると、1時まで、と言う(また一時的に目を覚まして)
以前、三条の銭湯に行ったときは番台でLINEの会話に夢中になっていて、客のことなど気づかないおばあちゃんもいたが、今回見たおばあちゃんに悪い気はしなかった。

その後、いそいそと服を脱いで銭湯に入ると、これはこれは素晴らしいタイルアートがあった。
なんか、ヨーロッパのアルプスのような絵が描かれている。山と湖と白鳥だったかな?そんな絵があって、サウナのドアもそこに続いている。まるで、その木製のドアもまた、アルプスなのか北欧なのかわからないが、そこに続く美しい空間のようだ。
これは素晴らしいタイルで、私がこれまでに見た銭湯の中ではいちばん好きかもしれない、と思うほどだった。銭湯のタイルを現代アートの空間としてとらえ直した場所としては、直島の銭湯や京都・梅小路のホテル、ポテルに併設されたぽて湯なんかがある(ちなみにぽて湯の料金は490円ではなく、600円くらいだった)
そんな場所に匹敵するくらい、あるいはその古めかしい雰囲気がそのまま素敵なくらい、そのタイルアートは素晴らしかった。

どこらへんが大黒湯の大黒なのかというと、脱衣所からの浴場の出入り口に大黒さんが置いてある。大黒さんとアルプスとのつながりはよくわからないが、とにかく大黒湯のタイルは素晴らしい。柚子湯(その日は冬至だったので)やらジェットバスやら、ひと通り入って身体を温めた後、サウナに入ることにした。

私が入ろうとする前に、さっき番台近くの出入り口付近で見た欧米人のおばあちゃんらしき人が先に入った。
なぜかサウナ入り口付近に置いてあるマットを全部持って入る。
私がサウナ室に入ると、なぜか無言でマットを渡された。これは一体なんなんだろう…?と思ったが、とりあえず受け取ってお尻の下に敷く。
そのおばあちゃんは、やはりマットを全部持って行った。なぜマットを手渡すのか?よくわからないが入った人に一つずつ手渡すようだ。自分が全部持って入って、誰かが入ってきたところで必ず渡す。

その欧米人のおばあちゃんはしばらくすると、浴場から出て行って視界から見えなくなった。
今度は別のおばあちゃんに出会う。
また、柚子湯に入っていると、白髪の割と目力が強めのおばあちゃんが無言・無表情で横に入ってきた。
連れでもない他人が一緒にこの小さな風呂に一緒に居合わせることは少ない。皆、なんとなく避けるようにして、誰かが出たら自分が入って、という感じである。

私が出ればよかったのだろうが、彼女が入ってきたところで出る隙もなく、そのまま一緒に入った。
見る人によってはちょっとこわいおばあさんだった。私はひとまず、彼女に笑顔的なものを向けるようにした。でもそのおばあさんはただ無言、無表情で柚子湯に入っていた。

私もまぁいいか、と2人並んで入ったまま。とりあえず、何事もなく、柚子湯を終えた。

2回目のサウナには、あのおばあちゃんはいなかった。

身体が温まってきたところで、浴室を出ると、あの欧米人のおばあちゃんがソファに座っていた。脱衣所に入ってきたときと全く同じ格好と雰囲気で、時間がその時にタイムスリップしたかのようだった。
しかし、番台のおばあちゃんはいなくなっていた。

そして、ハッとするようなことが起きる。
どうやら番台はおじさんに代わっていて、男湯と女湯を遮るはずのカーテンが来たときよりも開き気味になっている。男湯から出入りする人は、女湯の脱衣所を覗こうと思えば、できるくらいだった。
番台のおじさんはこちら側を一瞬見てすぐに目を逸らした。
裸の私は、これはやばいな…とバスタオルを体に巻いて、ソファのおばあちゃんの近くに行った。その辺りには、間仕切りがあるため、見えなくなっていた。そこで着替えた。

この欧米人おばあちゃんは、しばらくソファで休んだ後、またサウナに入って、あのマットを配るのだろうか。

そして、番台のおじさんはおばあちゃんばかりだから、まぁここに立っていてもいいだろうという感じなのだろうか。

何とも不思議な銭湯だった。

番台でコックリと寝続けるおばあちゃん、素晴らしいタイルアートの向こうにあるサウナ室でサウナマットを手渡すおばあちゃん、そして柚子湯に一緒に入る無言で無表情のおばあさん。
またこの大黒湯に行くと、このおばあちゃんたちに会えるだろうか。

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