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動けなかった男と動ける男たち(エッセイ)

朝6時、4階病室のカーテンを開けると、ちょうど目の高さにある近くの電線にすずめが二羽とまっていた。窓を開け、朝の空気を入れる。すずめたちはちゅんちゅんと朝の挨拶をしてきたが、私は心の中でさえ「おはよう」とは言えなかった。

4月27日にあたる一昨晩、私は銭湯で無性にタイルに横たわりたくなった。普段から抱えていた腰痛が悪化したのだ。すぐ脱衣場にあがって、バスタオルで身体を拭いている間も床に寝ころびたかった。急いで銭湯を後にするものの、帰宅中に左脚にしびれを感じるようになった。
その晩、太ももに激痛が走り一睡もできず歩けなくなったので、翌早朝に着の身着のまま、フード付きで腰の隠れる丈のコートを着て、還暦を昨年迎え人生初の救急車で病院に運ばれ即入院となった。

入院初日の昨晩は左脚太ももの痛みでほとんど眠れなかった。10~30分ほどのうたた寝が2、3回。仰向けになると激痛が走るため、ベッドの上半身は45度以上立てて寝る工夫をしたが、それでも眠れなかった。
日中は、歩行器を与えられた。
形はスーパーにあるショッピングカートの前部分を削り、腕を乗せて体重を預けながら歩けるようにした器具だ。
ただし、この歩行器で歩けるのは病室内に限定され、廊下にすら出ることは許されなかった。

21時の消灯時間から4時間経った。この整形外科の4床部屋にいるもう一人の年配者はいびきをかいて寝ている。が、きょうも私は左脚が痛み、寝られない。
仰向けは厳禁で痛い左脚を下にもできず、右向きで上体を起こしたまま寝ようと試みるが、30秒ももたない。きょうも全然だめだ。脚に激痛が走ると、脚を放り出しベッドに腰かけて、「考える人」になって痛みを鎮める。痛みが治まったらまた寝るのを試みるが、そうするとまた激痛が走り、また考える人に。夜中はこの繰り返しできょうも病室のカーテンが白ずんできた。

朝5時半。病室のカーテンを開けると、すずめが電線に一羽とまっていた。
7時の朝食が済み、歩行器を使って病室の洗面所で歯を磨き顔を洗い、髭をシェーバーで剃る。
ベッドに戻るころ、看護師さんが体温や血圧を測りに病室にやってくる。
それが終わると、薬剤師さんがやってきて薬の説明をしてくれる。
きょうも痛みで寝られなかったことを告げ、明日からさらに薬を増やしてもらうことになった。明日からは眠れるかな。
きょうからリハビリも開始。担当は女性の先生だった。
リハビリといっても、まだ脚が痛む状態。歩行器で先生と廊下に出てゆっくりとデイルームを往復するくらいだった。

朝5時。睡眠も小刻みにトータル2時間くらいだったか。病室のカーテンを開けると、外はまだ薄暗くすずめはいなかった。

10時。リハビリ先生がやってきて、症状が良くならない旨を伝える。
軽くマッサージを受け、歩行器で廊下に出ると、先生は「なるべく歩行器にもたれず胸を張って前を向くように」と言われ、そのように歩いてデイルームへ向かう。そこでいくつかストレッチを教えてもらった。

11時、女性の医療スタッフさんが車いすを押しながら私の病床へやって来た。朝、看護師さんが言っていたMRI検査の時間がきたようだ。
歩行器が与えられたにせよ、病室外へひとりで出ることは許されていない。医療スタッフさんに車いすを押してもらいながら、地下にあるMRI検査室へ入った。
男の先生は「ここへ仰向けに寝転がって、動かないでください」と甲高い声で言った。
その仰向けができないのに。
それを伝えると、先生は私にボタンのついた器具を握らせ、苦虫を嚙み潰したように「我慢できなくなったらこのストップボタンを押せば検査は中止できます。でも5、6分で終わりますからね」と説明した。
観念した私は仰向けに寝ると、1秒で左脚太ももに激痛が走った。診察台が移動し、上半身が輪っかの中に入った。どこまで我慢できるだろう。
ジーと音が鳴り続ける。音が止んだ。またジーと音がして、鳴りやむ。
痛くて痛くて我慢の限界だ。
またジーと音がして、鳴りやむ。
これで終わりか。
またジーと音がし始める。
まだか。苦しい。でもボタンを押して中止したら、また次回この苦しみを味わうことになるのか。それは勘弁だ。
何度も音が止まり、無情にもまた鳴り始めるのだった。
もうだめだ。歯を食いしばる。俺も男だ。スポーツで鍛えられた根性をみせる時だ。ストップボタンなんか押すもんか。
音が止み、またジーと音がし始める。
歯を食いしばっていた口が開き、うめき声が耳に入った。
音が止み、また鳴った。
もう・・・
診察台が動き出した。
終わった。勝った。我慢しきった。
診察台から車いすに乗せられる。
目の周りにかいていた汗のしずくが太もものジャージを濡らした。

14時。看護師さんに付き添ってもらい歩行器でシャワールームに入った。
入院後、はじめて30分のシャワーを浴びた。
浴室から脱衣所へあがると、左脚が痛み出した。なんとか服を着て歩行器で廊下へ出た。近くの看護師さんが寄り添ってくれた。でも半歩歩いては休み、半歩進むのが精一杯。歩行器前面に置いた腕に全体重を預けるようにして、頭を垂れながらそろそろと歩いた。
「うまべぐさん、どうしたんですか!」と、うしろから声がした。
「午前中はしっかり歩けてたのに」
その声の主はリハビリ先生だった。
先生にしっかり返事もできず、歩行器を頼りに半歩ずつ病室へ向かうだけだった。
しかし海溝深く沈んだ闇の中、先生の声は上から垂れてきたひとすじの光の糸のようだった。

朝5時。病室のカーテンを開けると、外は小雨が降っていた。電線にすずめはいなかった。
朝の血圧測定で看護師さんにMRIのことを聞かれ、こう言った。
「のたうち回る激痛は天国。激痛でもじっとしてなきゃいけないMRI検査は地獄」
「そんなに大変だったんですか」
「たぶん、あと数分で気が飛んでいったんじゃないかと思います。目の周りに汗をかいたのは人生初です」と感想を漏らした。

朝5時半。歩行器でトイレの帰りに病室のカーテンを開けると、電線にすずめが二羽とまっていた。
きのう病室にいたもうひとりが退院し、4床病室に私一人となり、これで夜中遠慮なくのたうち回れると思ったら、今朝から新入り君が入院してきた。
私が歩行器でトイレに行くときたまたま彼が病室へ入ってきたので軽く会釈した。彼は私より背が低いが、かなり太っていた。年齢も若く、ひょっとしたら30歳台後半かもしれない。病室内のカーテン越しに彼と看護師さんの話を聞いていると、どうやら彼は糖尿病らしい。そこへ医療指導士という人が病室へ入り、話に加わった。
「ジュースは飲みますか?」指導士さんが聞く。
「あまり飲まない」と彼は言った。
「炭酸はどうですか?」指導士さんが続けて質問する。
「炭酸もそんなに飲まない」彼はすぐ答えた。
ウソつけ!と私は心の中で叫んだ。先ほど見た印象があまりにも太っていたので。

前日、シャワー後に脚が痛み出したので、きょうはシャワーの許可が下りなかった。代わりに身体拭きのタオルをもらい、自分で拭いた。

朝5時。歩行器でトイレの帰りに病室のカーテンを開けると、電線にすずめは見当たらなかった。
朝食が終わり、ベッドの上でマッサージしていると、昨日から入院の糖尿君が病室の外からカシャカシャ、レジ袋の音をさせて戻ってきた。
糖尿病患者はいいなあ。自由に動き回ることができて。
それにしても、整形外科の病室に糖尿病患者が入院してくるなんて、糖尿病の病棟が満員なんだろうか。
病室の扉がガラッと開く音がして誰かが入ってきた。
糖尿君のところのカーテンが開く音がした。
女性の声がする。
「今、外出してましたよね?基本的に糖尿病患者さんは外出禁止です。お菓子とか買ってきてませんよね?」
看護師さんのようだ。
「いえ、買ってません」と糖尿君は答えた。
監視されているのかな。怖いな。
でも自由に外に出られるのは羨ましい。私は廊下に出ることすらできないのに。

夕方、聞き覚えのある男性の声がして私のベッドのカーテンを開けた。頭の輝く主治医がやってきたのだった。
「この間のMRI検査なんだけど・・・」
声のトーンが低くなる。
「はい。どうでしたか?」
「一枚目の正面写真はいいんだけど、あとの二枚の写真は微妙にピンボケして細かい神経が見えないんだよね」
主治医が言い終わると私は言葉が出なかった。主治医が続ける。
「なんか、がんばってくれたようなんだけど・・・」
私は声を絞り出す。
「やり直し・・・になるんですか」
「いや、もうあんな我慢はさせないから。痛みが引いたらやってもらうかもしれないけど、現状ではもうMRI検査はやらせないから」
それまで血の気が引いていた私は、顔が熱くなるのを感じた。
「正直、もう二度とやりません。できません。あのがんばりを返してほしいです。後半の微妙にピンボケというのが、必死に我慢した証です」
苦笑いした主治医は二三度うなずいた。

MRI検査が失敗。薬を5種類に増やして飲んでも左脚のすねのしびれと太ももの痛みは引かず、夜眠れない。入院しているのになぜ日増しに痛くなるの。現代医療って、どんな病気でもまず痛みを軽減させるんじゃないの。不安でしかなかった。

朝5時。きょうも歩行器でトイレから戻り、病室のカーテンを開ける。まだ眠っているのか、電線にすずめは見当たらない。
朝食を済ませ、歩行器で病室の洗面所へ移動し、髭剃りと歯磨き、洗顔。
その後ろを同室の糖尿君が通り過ぎる。
また、外へ行くのだろうか。1階にはコンビニもあるからそこへ行くのだろうか。
自由に動ける糖尿病患者と動けない整形外科患者。どちらがいいのだろう。
それにしても糖尿君は食後に歯磨きをしないし、顔も洗わない。
毎日シャワー入れるからそこで洗っているんだろうか。
それに引き換え、3日目まで同室だった70歳代の松葉づえをついた先輩は下げ膳前に歯磨きと排便を済ませるという正反対な人だった。昭和堅気のせっかちな人という印象が残った。

朝6時。病室のカーテンを開けると、電線にすずめが二羽とまっていた。
睡眠時間が5時間とれるようになった。
ベッドの上体を起こし、横向きながらどうやって寝ようか毎晩考えていたが、良い案がひらめいたのだ。ベッドと背中や肩をどうやって接するかと後ろばかり気になっていたが、前方に食事用の小さなテーブルがあるではないか。ベッドに腰かけたまま顔を横に向けながらこのテーブルに突っ伏せば寝られるのではないか。名付けて「授業中居眠り大作戦」。
これが功を奏し、小刻みながらトータルの睡眠時間を増やすことに成功した。

午前中、先生と20分間のリハビリを行う。
このリハビリ先生から、ひとりでも歩行器を使って病室から出ることを許可された。とは言っても、廊下に出てデイルームとの往復だけで、4階フロアから階下へ行くことはまだ許可されなかった。
私は廊下に出てデイルームとの往復自主トレを一日3回やるようにした。
自主トレ後に病室の扉を開けると糖尿君がトイレから出てきて軽く会釈した。ベッドへ戻りデイルームの自動販売機で買ってきた冷たい缶コーヒーのプルタブをプシュッと開ける。冷たいコーヒーが自主トレ後の火照ったのどを通過する。

夕食が運ばれてきた。きょうはカレーライスのごちそうだ。
しかし糖尿君にはどうやらまだ夕食が運ばれてきてないようだ。ネットで調べてみると、糖尿病患者は食事の配膳時間が微妙にずれることがあるらしい。なんでも食前に同室人の食事の音を聴いてから食事を摂ると、体内の代謝がよくなり脂肪を燃焼しやすくして血糖値を上げさせない効果があるらしい。
糖尿君の食事前に必ず看護師が血糖値を測りに来ていたのも血糖値の乱高下を見ていたのか。
ましてやきょうのように食事音に加えてカレーの強烈な匂いを嗅いだら効果てきめんだろう。
まだあった。
私の自主トレ後に缶コーヒーを飲むのもお役に立てているのかもしれない。
プルタブを開ける音はコーヒーやジュース、あるいはビールといった想像を掻き立てよう。
糖尿君に感謝されてもよいレベルかな。
「プルタブとカレーの音と匂いのハーモニー!」

朝6時。病室のカーテンを開け、下を見ると道路がうっすら濡れていた。すずめはいなかった。
まだ仰向けと左脚を下にしては寝られない。
私の診断名は「腰部脊柱管狭窄症」だった。
きょうもリハビリと自主トレ。シャワー使用の許可も出た。

消灯過ぎに病室の外が騒がしい。
ナースコール音がひっきりなしに鳴っている。
どこかの病室でナースコール鬼レンチャンしている人がいるみたいだ。
23時頃には「うるせーコラっ!」という怒号が廊下に鳴り響いた。修羅場か!
眠れない私は痛み分散効果を狙いつつ耳がダンボになっていた。
このナースコール鬼レンチャンは3日間続いた。
私はこれ、病院あるあるだと思っている。まあ、病院のオルゴールみたいなもんさ!

朝5時半。病室のカーテンを開けると、すずめはいなかった。
糖尿君が本日退院するようだ。
医療スタッフさんから薬の名前を覚えさせられていた。

去る者がいれば来る者がいる。
今度は私より年配の糖尿病二号が隣のベッドに入院してきた。
午後、糖尿病二号のもとへ薬剤師さんらしき女性がやってきた。
薬剤師さんが尋ねる。
「たばこは吸ってますか」
「吸ってません」
糖尿病二号が答えた。
すると薬剤師さんが続ける。
「これまでも?」
「きのうまで吸ってました。きょうから吸いません」
「それを『吸ってます』と言うんです」
薬剤師さんのきりっとした口調が病室に響いた。

消灯が過ぎた。
病室の電気は文字通り消されるわけだが、この人ずっとひとりごとをしゃべっている。私は痛みで眠れないのだが、この人は寝ないのだ。
翌日も糖尿病二号は夜中じゅう、ひとりごとをささやいていた。
朝方はもしかしたら寝言なのかもしれないが、とにかくささやく声が止まらなかった。
ナースコール鬼レンチャンはまったく気にならないが、このひとりごとにはまいった。

朝6時。眠い目をこすりながらトイレから戻り病室のカーテンを開けると、すずめが二羽電線にとまっていた。
朝の検診が終わった頃、糖尿病二号のもと男のへリハビリ先生らしき人がやってきた。
「リハビリの手伝いをしにきました」
糖尿病二号は言った。
「リハビリ?あとにしてくんないか?」
この男、なんとリハビリを断った。
リハビリ先生が言う。
「本日午後は多くのリハビリ予定が入ってまして」
「・・・」
糖尿病二号は返事をしない。
リハビリ先生が続ける。
「午前中はお忙しいですか?」
「全然忙しくない」
「・・・」
今度はリハビリ先生が黙ってしまった。
さすがは糖尿病二号。わがままいっぱいな性格をしている。こんな態度をとられたら、そりゃあ誰でも呆れて物も言えない。
「わかりました。お昼過ぎに来ます」
リハビリ先生はため息まじりの声を発した。
「おお」
糖尿病二号は悪びれもせず返事をした。

朝6時。病室のカーテンを開けると、すずめが一羽電線にとまっていた。
糖尿病二号はきょうもリハビリを断った。
夕食後、看護師さんが病室にやってきた。
糖尿病二号に話しかける。
「リハビリしました?」
「運動はしない。投薬で治す」
看護師さんは続けた。
「たばこは止めたんですよね」
「たばこは吸う。一生吸う」
私は隣のベッドで吹き出すのを我慢した。
糖尿病二号が続ける。
「そんなことより、早く全身検査して」
「まず糖尿病を・・・」
「しないなら病院変える。紹介状書いて」

この男は今までよく社会で生きてこられたなあ。
投薬で治す? バカにつける薬はねぇ!

朝6時。眠い目をこすりながら病室のカーテンを開けると、すずめが二羽電線にとまっていた。
私の脚は日中にかぎり、徐々に痛みが軽減してきた。リハビリ先生には歩行器から杖にしてもらった。より一層、廊下を歩き回って自主トレをたのしんだ。

夕食が終わると看護師さんが糖尿病二号のもとへやってきた。
血糖値でも測定しているのか、静かだった。
私は杖をつきながらトイレに行く際、糖尿病二号のカーテンが開いたままで中が丸見えだった。看護師さんが糖尿病二号の右腕を握り測定している傍ら、糖尿病二号はソッポを向き左手で支えているタブレットを見ていた。
私は自分のベッドに戻った。
隣から声がする。
看護師さんが薬について説明する。
丁寧に説明が終わると、糖尿病二号は言った。
「薬の副作用はそうじゃないかもしれないから、ほかの看護婦にも聞いてみる」
看護師さんは二の句を告げられなかった。
私は思った。
このおっさんにかかわるすべての人は不幸になる、と。

数日後、この糖尿病二号は病院側と話し合った結果、ひとりで転院していった。
見舞いに来た人は誰もいなかったように記憶している。
残念な人って、いるんだなあと思った。

朝5時。トイレから戻り病室のカーテンを開けると、すずめはいなかった。
リハビリと鬼の自主トレは効果があったのか、脚の痛みはかなり少なくなってきた。
主治医と相談し、退院日を決めさせてもらった。
自主トレの際の廊下の一番端の窓から見える蕎麦屋を見ては、はやくシャバに出てしょっぱいそばを食べたいと思っていた。

朝6時。カーテンを開けると、すずめは一羽いた。
「おはよう」と心の中でつぶやいた。
昼食後、リハビリ先生がやってきた。
「明日退院なさるそうで、おめでとうございます」
「ありがとうございます。リハビリ先生のおかげです。薬を増やしても日増しに痛みが増していったときは本当に不安でした。でもリハビリ先生はいつも前向きに寄り添ってくださいました。本当にありがとうございました」
私はずっと疑問に思っていたことをリハビリ先生に聞いてみた。
「ナースコール鬼レンチャンする患者さんがいましたけど、看護師さんはその患者さんのもとへ行ってやらないんですか」
リハビリ先生は回答してくれた。
「あれはたぶん、廊下に出ることを禁じられた患者さんが『外に出してくれ』と要求しているんだと思います。なのでいちいち対応しないのでは・・・」
「そうでしたか。私は看護師さんがたくさんいてもなぜ行ってやらないのか不思議に思ってたんですが、そういうことなんですね」
入院中の疑問が晴れた。

朝5時。退院日。カーテンを開けると、すずめは一羽電線にとまっていた。
朝から退院担当看護師さんが来てくれて、説明を受けた。
荷物をカバンに詰め込んで準備が整った。
91才の認知症の父と88才の母が来てくれて、両親が大きなカバンを持ってくれた。
私はノートパソコンなど詰め込んだリュックを背中に杖をついて廊下を歩くと、看護師長さんが「おめでとうございます」と我々のもとへやってきてくれた。
看護師長さんは前を歩く両親を手で示し、私に「ご両親ですか」と尋ねた。
私は「はい。今までお世話になりました」と頭を下げると、看護師長さんは「なんだか、うまべぐさんが一番お元気みたいで、ご両親が退院する絵に見えます」とほほ笑んだ。
会計を済ませ、病院の外に出て、タクシーのところまで歩く。
出迎えた陽ざしに場違いなフード付きで腰の隠れる丈のコートを身に纏った私は両親を先にタクシーに乗せ、病院をあとにした。

#創作大賞2024
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