Do-nothingismとコロナ
これも手元に置いてる本なのですが。。。
最近休みの日、朝飯食った後めちゃくちゃ眠くて布団に入りなおしてウトウトウダウダしていることがずいぶん増えてるなと気が付いたので第五章の「虚無主義」に関する部分を見直していた。
この本はいわゆる鬱状態のメカニズムと、それに対する認知行動療法を普通の人が実行できるように落とし込んだノウハウを述べたものの原典的なやつ(たぶん)。いろいろなものを克服したくて、繰り返し読んでは適宜実践しているのだけど。特に5章が個人的に有用。
ここでいう「虚無主義」というのはいわゆる「何もしとうない」状態と、何もできないことに起因して自動的に起こる自己批判および落ち込みを指している。ただ虚無主義っていうとなんか大仰すぎてアナーキズムとかペシミズムみたいな響きがあり、英語の「Do-nothingism」という表現がもっとも当を得ていると思う。
ある行動を起こそうとしたときに共起する「あまりにも目標が大きすぎて打ちひしがれてしまう」とか「物事が最悪の方へ行ってしまうのではないかという期待に打ち負かされてしまう」などの心の動きは自己評価と連動するところがあり、かつ大体は取りこし苦労である。これを克服するにはまず懸念を紙に落として頭の中で無限に膨れ上がる状況を脱する。つづいてその懸念に対して、よりもっともらしい、等身大の合理的な反応を書き下してみる。最後に実際に行動したあと、その懸念に対して実際がどうだったかを書く。これにより取りこし苦労を克服するとともに、自分は自分で決めて行動できるという自己効用感を育てていく。
最近コロナウイルスについては、ワクチン接種により重症化はおおむね防げること、ワクチン+マスクによりそれなりの確度で発症リスクも減らせることが分かってきたのだけど、それでもやっぱり公共の場では前のようにはふるまえない状況が続いている。マスクは相変わらずつけてるし、あまり人が混んでいるとぎょっとしてしまうので、前ほどにはその場を楽しめない。マスクは嫌いだよ。自分の口臭と直面させられるからね。自分の唾液クッサ…♡
(あと最近自分の好きなスーパー銭湯が折からのサウナブームで軒並み混んでるんだわ。いいところは予約制とかになっちゃって気軽に入れないし。)
ただこのことが休みに街に出向くことに対する心理障壁として働いていることに気づいた。どうせ外に出ても100%リラックスはできないのだから家にいろという内なる声が聞こえてきてしまう。
もちろんコロナは単なる快不快ではなく健康リスクでもあるので外出なんかしなくていいよというのはそれなりに合理的なんだけど、かといって全く街に出ずに生きていけるほどの孤独耐性はない。さらに外出しないことによって自己肯定感ガクーなってるならば、そんな内なる声もなんとかうまく処理していったほうがよいと思う。
とりあえずやりたいけどやれない行動について懸念・合理的反応・実行後の評価を書いていくやつを今日はやっている。これにより自分は放置しがちな郵便ポストを覗くことに成功した。ささやか~。
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