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教育ニ関スル勅語

明治以降、日本は好戦的な尊皇主義者達が権力を庶民から簒奪し、天皇の権威を錦の御旗に強権を発動し、軍事独裁国家を樹立させた。その中でも特筆すべき彼等の思想を端的に表し、また押し付けに利用したものが教育勅語であり、その中でも最も危険な思想が

國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇 公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(憲法を重んじ、法律に従い、何かあれば正義に従い、勇気を出して公の為に報じよう)

だった。。。

これが戦後の一般的な幕末以降の歴史観と言えるだろう。

だがしかしもうここまでくれば何を言いたいかは分かると思うが、

今公(彼等は公共の福祉と言うワードを用いる)の為に何人たりとも生活を犠牲にしろ!!と強権的に言いふらし、また実践している(でいいよね?まさか寿司屋とか飲み屋とか行ってないよね?)のが、上記の歴史観を否定している筈の戦後民主主義左翼共なのだ。

寧ろ右翼と言われる方々は基本的に違う。

ウイルスには人は罹るものだし、無理に社会を歪めてまで感染を防ごうとするのは人間の限度を超えたおこがましい行為であると考えるし、また今までインフルエンザでコロナ以上に人々が死んできたんだから、これまでと同じ対応でいい、と考えている(その点、コロナ脳になった奴等は本物の保守、右翼ではなかったと断言していい)。

これまで俺は一貫して戦前戦中、そして戦後も、日本が暴走してきた原因を大衆、メディア、専門家の暴走と、無能無力な政治家と言うように捉えてきたが、やはりこの視点は妥当だったと言えるだろう。

本物の右翼はそんな強権的なことはしない。寧ろ人格により指導、いや、背中で語ることを美学とする。

口先だけで対策しろと他人に強要しながら自分はやらない、みたいな日本医師会の中川みたいな人間は心から軽蔑される。

君子は言に訥にして行いに敏ならんと欲す(言うのは控え目で、行動で示す。そうありたい)
君子は其の言之其の行ひに過ぐるを恥づる也(発言が行動より過剰なのは恥だ)

よく論語を引用するが俺が毎回耳が痛くなる言葉を並べて終わる。


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