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イジメられる側に原因はある

なかなか面白い主張だな。

コメ欄ではYouTuberは信頼できないと下記はしたが、完全否定する気はない。

何事も適もなく莫もない。

具体的に中身に入る前に、まさに彼が世間、大衆の嫌いそうな「イジメられる側の原因」について問題提起し(それがまさに原因となった)、それに対して大衆が「お前は分かっていない、世間知らず」と集団でイジメると言う構図が自然に出来たことに、朝倉の主張の一定以上の妥当性、そして面白さを感じるのが大人だろう。

拡大解釈

残念ながら動画そのものはわざわざ見たいと思わないから記事中の発言等から推察していくが、

彼の主張はとても正しいと俺は考えている。

勝手に補足して、被害妄想的な批判を批判したいと思う。

「正直、俺はいじめられる側にも何かの原因はあると思うから、自分を客観的に見て原因を解明して、それを直していくことが大事」

これは本当に重要なことで、イジメられる奴は、そんなこと自分には絶対にできないと信じ込んで、この意見自体を危険思想として封じてくる。

この主張は、原因追究と対策により現状を改善しよう、と言う極めて一般的な主張に過ぎず、それ以上を求めてはいない。

改善しようよ!と言う話であり、

改善しなければならない、改善できない奴はイジメられて当然、

と勝手に拡大解釈するのは自縄自縛になるだけだ。

そしてそんなやり方してたらできることができなくなる。

俯瞰する

そんなやり方は、漫才としてネタにするしかない。

ブラックマヨネーズのネタなんてまさにそれだ。

吉田が悩みを相談し、小杉が答えていくが、吉田は被害妄想をどんどん膨らませて逆ギレしていく漫才スタイル。

一旦嫌なことも何もかも飲み込んでしまえばいい。

それを笑いに昇華できれば、弱みは強みになる。

3時のヒロインは、戦略として大衆に迎合し、メンバー的に容姿ネタこそが王道と言えるにも拘らず、見た目容姿ネタを封印した。戦略的にこれが成功するかは未知数だが、自分達の選択肢を減らしたのは間違いないだろう。

だがそれをネタの洗練、他の強みの強化等に繋げられればいいが果たしてどうなるやら。

とは言え個人(トリオ)の選択、頑張るなら尊重したいし、諦めるならそれも尊重したい。

試行錯誤は権利だから。

強いからイジメから逃れられると言うのは一面的に正しい

朝倉は、

自身の小学生時代、靴を隠した犯人を見つけ出してボコボコにした経験を引き合いに出し、「強かったおかげでいじめられなかった。だから、いじめの対策として強くなることが大事」とも語っていた。

これは確かにある。俺も小学校2年の頃かな?何人かにからかわれたことがあるが、全員に叩いてつねって仕返ししたら"からかい"は止まった。決して俺は体力のある方でもないし、図体も小さかった。

また俺の例より乙武氏を見た方が早いかも知れない。

イジメられる奴等は何も悪くない!論者の被害妄想を蹴飛ばす力を彼は示す。

彼には暴力が不可能だ。

それでも自分に何ができるか、悔しさその他を考えて実践すること、そして恐らくは家族その他に守られることによって、

自己を確立している。

弱さを認める

この話は笑いに昇華する話とも通じるが、イジメられる=弱い、不要、みたいなネガティブなイメージとしか結びつかないと思う。

しかし考え方を少し変えてみてほしい。

人間誰しも弱いのだ。

またそれは認めていい。寧ろ認めた方がいいと俺は思う。だが、弱いと認めるのはゴールではない。スタートだ。

人間誰しも弱い、では自分の強みは何か、相手の弱みは何か、と分析することで自分の可能性を模索できる。ただこれは自分を理解する為の手段であり、「人間には無限の可能性がある論」ではない。

孫氏の兵法的な話だ。

「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し」

自分と相手を理解すれば百回戦ってもあやしい(危ない)戦い方はしない(常に勝つではない。勝つにせよ負けるにせよ意味のある、より優れた終わりが期待できる)し、

自分のことだけ理解して相手のことを知らないのなら、勝ったり負けたりを繰り返すが、

自分も相手も知らないなら、戦うたびに危険なことになる。

ただこれだけだ。

俺はこの「戦い方」を知ってほしいと思う。

善意で殺される

朝倉氏の主張はなるべく誤解を防ごうと言う配慮もある。

朝倉さんは「『いじめられてる人は悪くないんだ』って周りがいうことがダメだと思うんですよね。周りの大人が『いじめられてる人がかわいそう』『いじめられてる人が100%悪くない』って言ってると、いじめられてる人が自分はかわいそうってなって、そこから抜け出せなくなっちゃうと思うんだよね。その環境を周りが作っていると思う」と熱弁した。

これは非常に重要な指摘だ。

人間関係とは双方向的なものだ。孫氏の話でも分かるように、負けるのは単に自分が弱いから、とか相手が強いから、みたいな単純な話ではない。

イジメられる側が強くなればイジメる余地は小さくなる。

これは安全保障問題そのものだ。

日本は軍事力行使は日本国憲法により否定されている。だがそれはアメリカとの日米安全保障条約により、アメリカが行使を代行することにより守られている。

しかし偽善左翼はそのアメリカに守られていると言う事実をひた隠し、平和憲法だけを主張する。

暴力を絶対悪となし、平和的、善良に対処せねばならぬと説く。

そんな彼等の主張は一見すると優しいように見えるが、"有事"の際には、他者に何かされても話し合え、みたいな話だ。当然応援なんてこない。自己責任で、かつ非暴力で対抗しろ、暴力等"邪道"では向かうのは良くない。

そう言っているのだ。これは、俺から見れば手足を縛って海に放り投げる行為にしか見えない。

イジメへの絶対的対処などなくあるのは強く(賢く)なることのみ

俺ならイジメられた場合、選択肢として「逃げる」ことも提示はするが、可能な限り「反撃」を提示したい。現実は、「善人」が助けてくれる場面なんてまず有り得ない。だからこちらが不当にイジメられていると言う主張を行い、その宣言のもと反撃するようにしたい。

その時に、大人の欺瞞は見えてくる。

公正に仲裁したがる大人がいればその人から人生を学べ。

面倒だから「暴力は駄目、イジメられているから仕返しするのは駄目」みたいな薄っぺらい奴を見つけたらそいつは切れ。

「そんな薄っぺらいことを言う人から学ぶことはない」と。

失敗した後

上述したものは全て理想論だ。だが理想論を全く持たぬよりは持った方がいい。

そしてその理想論が埋める面積が広ければ代替手段も提示してくれる。

そして理想論のどれかが失敗したとて、それは仕方のないことだ。

失敗したら次の手を打てばいい。もしイジメが少しでもつらいと思えば、その瞬間から対策を考えた方がいい。

実行せずとも、状況に応じて最終的には殺すくらいの気概があってもいい。まずはどうやって逃げられるか、白日の下に晒せるか、

何が最善かを考えていくのだ。

逃げる選択肢

勿論逃げるのは必要な選択肢だ。だが逃避先が何処かでもまたその後の人生を左右される。

やはり偽善者のもとには逃げこまない方がいい。ただ、本当に辛い時にお前が悪い論を言う人も大変だ。

自分に納得の行く主張を聞くまで色々と聞けばいい。

だから普段から人間観察は怠るな。

あくまでイジメへの対処は、こんな手段が有り得る、と言うものの提示くらいしかない。あとは自分がどう戦うかだ。何事も早期に対策する方がいい。

病気と同じだ。

本人は気づかないが色んな選択肢は存在している。

その、選択肢をたくさん提示してくれる大人を探し、自分もそんな人間になると思えるようになれば、もう怖いものはないだろう。

イジメをなくす方法

とは言え、イジメを理屈上無くす方法もなくはない。それは子供等に暴力を許すことだ。

戦後日本は馬鹿ほど薄っぺらい偽善左翼共が、暴力反対みたいなカルト思想を流行らせてきた。だからイジメられた側は反撃することが理屈上も経験上もできない。

そしてイジメられた側がすがるのはそう言う左翼的、弱者的善だ。

これはもう100%攻撃を食らうか逃げるか、逃げた先で更に追い打ちをかけられるかしかない。

そうではなく、闘うことを覚えねばならない。闘うとは武力攻撃に限らない。勿論、選択肢としては常に持っているべきだ。だが重要なカードだから最後に切れ。ではどんな選択肢があるか、それは嘘をついて欺いたり、人を動かしたりして、他人を巻き込んだりすることだ。勿論口ごたえもいい。善意で人が翻意するなんて思うな。だったら今そこでイジメられているお前は存在し得ない。暴力、金力、政治力、知恵、戦略これ等の不均衡がイジメを生じさせる。何かの力で闘え。教員を脅せ。このままでは自殺すると。ただし忘れてはならないのが、これ等の手段はあくまで自分の身を守る為の手段である、と言うことだ。

専守防衛、非常事態にのみ許された手段だ。

日本国憲法は一切の武力の保持や行使を禁じるが、世界は自衛の戦争を肯定し、侵略戦争を禁じている。

この姿勢でいけ。

上っ面だけの非暴力カルトなんかに騙されるな。

そんなもんでイジメなんかがなくなるならとっくの昔に消滅している。


※この手の話は、万人に共通することはまず無い。誰がやってもそうだ。根本的に不可能だ。だから具体例に対して違う例を持ち出して反論するようなことはやめよう。本気で悩んでるなら直接相談しよう。万人向けのものは効果が極めて薄い。

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