政治家の使い方
やはり政界にはまともな議員は彼くらいしかいないようだ。
彼は他の議員と違って本をたくさん読んで日々勉強している。
彼も当初はコロナ脳側にいた。昨年のブログなんかを見れば分かるが、俺も彼がまだコロナ脳側にいたころはやきもきしていた。
しかし、小林よしのり氏の『コロナ論』シリーズを読まれてしっかりと変わられた。
やはり人間、変わるべき時に変われてこそ真価が分かるものだ。
君子豹変す
さて、彼の主張はどれもこれもご尤もなことであり、ツッコミどころはない。
敢えて言うなら、政治家が、今実質コロナ脳内でたぶーと化している小林よしのり氏の名前を評価する形で出したことくらいか。
その意味では、小林よしのり氏とウイルス学者の宮沢孝幸・京都大学准教授の対談集『コロナ脳 日本人はデマに殺される』(小学館新書)は内容が濃く、多くの疑問への答えを示唆するものでした。
(超蛇足、宮沢先生の単著、漸く読み終わりました。思った以上にスケールの大きな話で勉強になりました。尾身やら二木やら岡田やらには到底書ける内容では無いですね)
と、とりあえず宣伝しておく。
さて、そろそろ本題に入ろう。
石破茂議員の紹介も本題の一つだが、本題はあくまで「政治家の使い方」だ。
コメント欄を導入とする。
その意見を政治の場で言ってくれ。「以上の意見を党の部会で発言し、菅総理にも直接伝えました」ならいいけど、単にこういう記事でつぶやくだけなら政治家ではなく評論家だ。
政治の場って、石破が部会で言って何になるのだろうか?
石破がメディアに出ずに、部会で言えばどうにかなるのか?そもそも発言の機会は与えられるのか?
それこそ発言しても「そんな意見、誰が聞くか!また石破か!」と一蹴されて終わるだろ。
だからメディアで発言する。そこで我々のような人間が賛意を示す。
そうすれば政治の場でも、「ほら、有権者はこう考えている」と示せ、説得力を持つのだ。
そう言う、言動の総合こそが、個人の政治であり、代議士の仕事の中でも有意義な仕事だ。
勿論、それすら手段の一つに過ぎないが、これを繰り返し、世論を味方にしながら世論を指導する力を手にすれば、政権内で権力を確保できるし、行く行くは総理大臣にもなれる。
これは風が吹けば桶屋が儲かる的な話よりもリアリズムのあるセオリーだと言えよう。
勿論、煽ったはいいが、ただ世論に迎合するだけになれば、民主党政権や小池百合子のようになる。そこは懸念せねばなるまい。
石破茂は何時でも正論を遅過ぎる頃に言う。要は責任は取らないで事情が明確に成るまで待ってしゃべるだけ。政治家でもリーダーでも無い。ワイドショーのコメンテーターでしかない。
こうやって「正論」を正論としながら批判するってことは、正論だとは分かっているが、その正論には反対、少なくとも正論を通すことより正論を言う奴を封じることを選択する、と言うことになるのが分からない馬鹿は案外多い。
彼等は政治家を使って国を動かすと言うことが理解できない。その癖思うように国が動かないからと癇癪起こしてまた政治家に絶望する。
もう、こんな幼稚なマネはやめようよいい加減。
お前の言ってることって、蓮舫と何が違うの?
我々にとって政治とは政治課題にどう対処するか、と言うのが本当の目的であり、その為の手段として政治家を選び、彼等に議論させ、法律を作らせている(実際には閣法が多く、国会は追認だらけだが)のだ。政治家の選出、即ち選挙は国民の意見表明の一つの発露とは言えるが、それだけでなく、普段からこうやって監視して行けばこそ、政治家は意見を表明できるようになる。SNSのメリットとはここだろう。テレビや新聞は、世論調査と言う手段しかないが、SNSはより具体的に声を届けることも、そして政治家もレスポンスができる。
そうやって法律を、政治をダイナミックに動かして行こうと思った方が遥かにメリットは多いだろ。
少なくとも、何をしてもケチつけてる奴等には何も動かす力はない。
何がてきるか、何をすべきかを考え、発信しよう。
小姑精神では国も嫁も良くなる訳がない。恨みしか生まない。
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