GOTO停止派は経済破綻派


経済ってもんを世の中本当に分かってない。

いや、マクロ経済学だなんて話をしたいんじゃない。

常識の話をしたいんだ。

誰かが金を使ってくれるから経済は回るって言う子供にも分かる話だ。

働いてる人ならサービス提供先が潰れたら仕事がなくなるなんてのも分かる話だろ?

子供も小遣いが減るのは親の稼ぎ次第だってのも分かる。

本当にそれだけの話なんだよ。

寧ろそんな当たり前を阻害してるのが倹約主義的文化だ。

これは儒教的な影響も仏教的な影響もある。

儒教は利を軽んじ、義を説く。

君子は義に喩りて小人は利に喩る

だが一方で、過度に利を蔑むことも否定する。

原思、これが宰たり、これに粟九百を与う。辞す。子曰わく、毋かれ、以て爾が隣里郷党に与えんか。

即ち、原思さんを粟九百で雇うと言ったが、彼はもらい過ぎだと辞退しようとした。それに対して孔子が「だったら隣近所に分けてやれ」と言っている。

または仏教においても執着そのものを取払おうと言う教義でもあり、

清貧を尊ぶ風潮が長く根付いているのもあり、

経済

と言われると利益を貪ることと勘違いされがちだ。

しかし、この経済と言う語が明治時代に日本で誕生(エコノミーの和訳)した時、そこに込められた意味は漢籍から抽出されたが、

世を経(おさ)め民を済(すく)う

と言うものだ。

儒仏が警告を鳴らしたのは汎ゆる利、欲ではなく、度を超した利、欲だと考えればいい。

結局人々は衣食足りて礼節を知るのだから。

貧すれば鈍するのだから。

人々の生きる基盤。その中の重要な一つが経済だ。

それをコロナと言う季節性インフル未満のウイルスの為に犠牲にしてきた人災こそ、

経済被害の原因だ。

そしてその原因達は、失ったものを取り戻そうと言う試みに対して、

奪った、いや、失わせた(純粋な全体の損失、喪失)張本人でありながら、不公平を理由に更に痛めつけようと、失わせようとしている。

彼等は不公正、不平等を問題視するが、全体が貧しくなることは問題視しない。


このような価値観こそ、奴隷道徳と言うものだ。底辺へ底辺へと導く。破滅へと導く。

平等主義の行き着く先、奴隷道徳の行き着く先、

それは全体的貧困と、平等、道徳の名のもとに張り巡らされる監視の世界。

俺のような保守的な自由主義者が最も忌み嫌う不公正、不公平な悪平等社会。

この今の社会を変えることこそ、本当の意味における人類の進歩だろう。

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