音楽を知らない指揮者が奏でる音楽
今日は仕事上他部署の一回り上の先輩と過ごした。
先輩は今の会社に相当な不満を持っている。
話を少し掘り下げてみると、現場の業務量が膨大になっているが、そこへの人的、予算的配慮が無いのに仕事が減らず、更に現場に仕事量を減らせと文句が飛んできて不満が溜まって仕方ないと、年収をあと2、3百万上げてくれるなら考えてもいいが割に合わない、と言う話だった。
結局上は本当に必要なことが何かをマネジメントする気が無いと言うことのようだ。
可視化できないが本当に大切な部分への配慮がなく、目に付きやすい、結果が出た(と思える)のが分かりやすい部分にしか人も予算も出さない。
恐らくそれ自体は世界的にも極めてありふれた話だと思う。
俺はこの話をしている時、ふと某日本の有名指揮者がベルリン・フィルで振ったショス5、特に第4楽章を思い出した。
ただただ速い、騒がしい、それでいて軽く、薄い。
軽やかさみたいなものではない。いや、ショス5で軽いとかそもそもおかしいが。
なんか、曲への、指揮への、オケへの愛が全く感じられず、利己的な雰囲気だけが残ったものだ。
自分の為だけの音楽。
自室で一人で弾くのならそれでいいのだが、
公にやるような演奏ではない。
そんな演奏を思い出しながら、更に今の政府や各地の首長の軽々しさも思い浮かんだ。
彼等は自分に自信がない。だから国民や公務員等(オケ)との対話を拒否し、
自分のやり方を押し付ける。
他人の価値観を受け入れ、それを昇華させる度量がない。
だからただただ対話もなく強く、速く、と言う拙速な仕事になる。
緩徐楽章すらその調子で聴く者を飽きさせる。
いや、今の観衆はそう言う雑な音楽が好きなのかも知れない。
ラルゴ、ピアニッシモを楽しむことはできず、ただただプレスト、フォルティッシモばかりを求める。
なんか子供の頃の俺みたいだなと懐かしい気持ちになる。
緩徐楽章の良さに気づけるまでは長かった。
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