モノアイ
みなさんの身の回りにもないだろうか?
理由もないが普段何気なく持ち歩いているモノ
古くて壊れていても何故だか使い続けているモノ
不思議と必要としているその間に合うモノ
私は思う。
そこには確かに物愛(モノアイ)が存在しているということを。
私はモノを手入れすることが好きだ。
モノが持つ本来の力を存分に発揮出来るように準備しておきたいのだ。
壊れたら直し、足らなければ満たす。
そういった事を繰り返しているとモノは確かに呼応してくれる。
必要な状況になるとモノが教えてくれる。
「ワタシヲ使エ」と。
私はこれを物愛(モノアイ)と呼んでいる。
私は、時代劇によくあるお殿様が刀をポンポンと手入れしている
あの場面がたまらなく好きだ。鋭い眼差し。時折見せる悪そうな笑み。
刀に打ち粉をする姿はまさにモノアイである。
以前、煙草を吸っていた時にはジッポライターにこだわった。
オイルを注し、芯を広げ、石を取り替えたりと。
あのちょっと手間がかかるところが所有感を満たしていた。
フタを開けた時の音なんかは、新品の時よりも少し使いこなれた頃の方が、
良い音がするものだ。シュヤッキーンと。
また、財布もそうだ。
数ある金運の一説によれば、三年で買い替えるのが良いとされているが、
私の財布は所有してかれこれ15年以上たつ。
ヌメ革の長財布であり、買った当初は白っぽい肌色の綺麗な革が、今は使用感ありありのクタクタな飴色になっている。またそこがたまらん。
形あるものみな壊れるという。
そう言うヒトはモノをぞんざいに扱う。
壊れたら放置。中には汚れたら気に入らないからポイというヒトもいる。
モノには寿命があってぇ〜ウンタラカンタラと言い訳をする始末。
そう、確かにモノには寿命がある。
仕方のないこともある。
しかし基本的に多くのモノ達はヒトよりも寿命が永いものである。
ヒトがヒトの都合でその寿命を終わらせてはいけないのだ。
壊れたら放置?
いらなくなったら捨てる?
先に興味が無くなるのはヒトの方だ。
モノは違う。
モノには意志がある。
モノはヒトの役に立ちたいのだ。
モノはモノである以上、その役割を果たそうとする。
モノに役割を与えたのはヒトだ。
ならばモノの意志がわかるはずだ。
最期までその意志と向き合うべきではないのか?
思い出してあげてほしい。
必要だから手にした時の事を。
たまにはいいんじゃない?
懐旧的になるのも。
正直言って嬉しいです。今後の活動の励みになりますm(_ _)m