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【香炉庵】<前編>時代に合わせて進化するやさしい和菓子


NEW PORTのインタビュー企画、地元横浜で愛される有名店を取材する第3回目は、元町の和菓子店「香炉庵」へ伺いました。2004年の元町本店創業以来、現在ではそごう横浜店、新横浜店、東京駅グランスタ店を展開するなど今や地元民を超えて愛されている「香炉庵」。ふわふわのどらやきやカラフルな生菓子からは想像できない“攻め”の展望をたっぷりと聞いてきました。

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今回取材に応じてくださったのは、常務取締役の齋藤雅也さん。和菓子職人であり社長(実弟)をサポートするようになって約4年。前編では「香炉庵」の成り立ちについてお聞きしました。

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--2004年創業の「「香炉庵」はどのようにして誕生したのでしょうか?

「「香炉庵」は弟である齋藤知也が代表として立ち上げました。実は私たちは男3兄弟で、今は次男の私と三男の社長が携わっています。父も母も生家が商売をやっていて、小さい頃から客商売が身近でした。母は専業主婦として、結婚する前からお茶やお花の師範を取得しています。息子たちには毎日料理を手づくりするなど、人をもてなすことが大好きな人。今も好き嫌いなく食べることができることができたのも母親のおかげ。香炉庵を運営するにあたって、幼少期の母親の手づくり料理の影響が大きいと感じています。

父はサラリーマンでしたが、47,8歳の頃に香炉づくりに夢中になり、今では500個近くをつくりあげるという職人気質なところもあります。弟は大学進学を志していましたが、ふと見かけた和菓子の美しさに心惹かれ、日本菓子製菓学校に入学。10年間4つの店舗で修行し、29歳で独立して創業したのが「香炉庵」です。」

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--横浜、元町を創業の地に選ばれた理由は何ですか?

「生まれも育ちも横浜なので、横浜でとは思っていました。なかでも元町は日本有数の商店街であり、洋の風情漂う街。当時和菓子店はほとんどなかったので、洋と和のコラボレーションは良いのではと。当時は1階に喫茶もあり、創業間もない頃は母がいきいきとおもてなしをしていたのも思い出です。」

--当時、常務は別の会社で働かれていたんですよね。どんなきっかけで香炉庵へ?

「大学卒業後、サービス業の企業に就職して主に法人営業を担当していました。40歳を過ぎて香炉庵の事業が大きくなってきた頃、そろそろ好きな仕事をしようと思い始めて、45歳の時に入社しました。

入社前から社長とは月1回会って、最近の業況や「こういう事業をやりたい」などの夢を語っていたんです。新しいことへのチャレンジ意欲が湧いてきて、香炉庵のいい商品がありながらもどう輝かせるかや商品の良さをどう伝えるかはまだまだできることがあると思ったので、活かしてあげたいなという思いが決め手になり香炉庵に入りました。」

--実際に一緒に仕事をするようになって、どんな変化がありましたか?

「私が入ってからより一層社業について話をするようになりました。社長は開発・製造・店舗運営を、私が広報や営業、マーケティングを主に担当しています。たとえば、社長が持っている和菓子の情報力や開発力をどのようにして活かしお客様に魅力を伝えるのかを考えるのかを私が担当します。お客様に伝えるプロデューサー的な役割でもっともっと香炉庵を輝かせたいなと。お互い香炉庵の文化を理解しているからこそわかりあえていることも多いと思います。何か判断する時は「香炉庵として活きるのか」が共通の判断軸になっていますね。」

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【後編】では、看板商品・黒糖どらやきのこだわり、各種新聞にも掲載された“百人一首最中”の誕生秘話に迫ります。

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「香炉庵」のどらやきやおこわを自宅で楽しめるデリバリーは、NEW PORTのこちらのページより注文可能です。

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