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【パレット上の戦火】 第14話

「オルゴールの世界」


辺りには、悲しい空気が漂っていた。

そんな悲しい空気を打ち消すかのように、ンシアはアコースティックギターを持ってきて、歌を口ずさみ始めた。
曲は『Radiohead』の【No Surprises】だった。ンシアの歌声は透明で澄んでいて、無機質な空間がオルゴールの中になったようだった。研究員とVEXメンバーたちは時を忘れて、ンシアの歌とギターの音色に耳を傾けていた。

A heart that’s full up like a landfill
ゴミだめのようなハート
A job that slowly kills you
君を静かに殺していく仕事
Bruises that won’t heal
傷は癒える様子もなく
You look so tired, unhappy
君は疲れ果てて不幸に見えるよ
Bring down the government
政府を打ち倒そうか
They don’t, they don’t speak for us
あいつらは俺らと話し合わないし
I’ll take a quiet life
静かな人生を送ろう
A handshake of carbon monoxide
一酸化炭素と仲良くしてさ
And no alarms and no surprises
何の不安も驚きもいらない
No alarms and no surprises
心配も苦しみもうんざりだ
No alarms and no surprises
何の不安も驚きもいらない
Silent, silent
ただ静かにいさせてくれ

そして、ンシアが歌を歌い終わると、余韻に浸る間もなく、研究員たちは現実に引き戻された。なぜなら、研究員の一人が血統解析の結果を持ってきたからである。
研究員たちは、人類の子孫を残すために、人間の遺伝情報を解析して、最適化された繁殖モデルを割り出そうとしていた。それは、月でつがいになる2人を決めるための、決定的な調査結果になるはずだった。

しかし、ジェシカはそれを見もせずに手に取ると、机に置いてあったライターで、その紙に火をつけた。

「何をする!」と田中が叫ぶが、すぐにジェシカは、
「こんなもの、なんの役に立つっていうの!」
と、一喝した。
「私たちにだって、人間の尊厳ぐらいはある! こんな結果、どうだっていい! 生まれた土地だって育った言語だって私には選べない。それで遺伝子の優劣を決める? 馬鹿にしてるにもほどがある! 私たちだって、一人一人の人間よ…… 誰とつがいになるのなんて、決められるのは嫌だ!虫唾が走る!」

全員が黙っていた。彼女と、皆が同意見だったようだ。
誰もが、手を出さず、紙が燃えるのを見守っていた。

「言い過ぎた… 虫唾が走るなんて言ったら、私とペアになる人が可哀想ね。みんなが浄化を経験して、今は一緒に戦っているのだから、そういう言い方は、少し乱暴だったかもしれない。」
モリスが、「いいんだ。誰もそんなことは、望んじゃいないんだ。研究員たちが血統分析を行ったのも、つがいを決めるためではなく、どうすれば人類という種を残せるか、最善の策を考えた結果なんだ。
ヴァーリアントだって、環境破壊がなかったら、侵略して来なかったかもしれない。それらは全て自分たちに責任があるわけじゃなくて、先祖代々、人間社会を維持するために行ってきたことなんだ。」
ンシアも、「私も、そう思う。だって私たちに全て責任があるわけじゃないもの。誰かをパートナーに選ぶことも、私たちの限られた選択肢の中の、1つにすぎない。」と言った。

皆が一様に意見を語る中、風浦は黙っていた。彼自身は、娘を生かすための手段があるなら、たとえVEXのメンバーを犠牲にしても、構わないぐらいの気持ちでいたからだ。
しかし、一同を見ていて彼が感じたのは、メンバーの絆の深さだった。

静かに目を閉じると、先ほどの歌が脳裏に焼き付いているのを感じた。優しさと、安らぎと、懐かしさ。それらが絆を繋いでいるような。

風浦は顔を上げ、ンシア、ジェシカとその弟のライアン、モリス、トリスらを眼に映して、呟いた。
「生き残った奴が、ロケットに乗ればいい。」
そして、続けてライアンに話しかけた。
「ライアン、花のことは頼んだ。」
「何で僕に?僕には、花ちゃんを守るなんて無理だよ……」
「大丈夫。強くなるんだ。」
「僕が強く……?」
「そうなれば、花だけじゃなく、ジェシカを守ることだってできる。」

風浦は、不安そうな瞳のライアンの肩を、ポンと軽く叩いた。ライアンが纏っていたケープが、ふわりと揺れた。

「そうか、僕が強くなって、姉ちゃんも花ちゃんも守る……」
そう呟くと、ライアンは静かに頷いた。

「花、パパのこと待ってるからね……パパ、ちゃんと帰ってきてね……」
「ああ。必ず帰ってくるよ。」と、風浦は優しく答えた。

「もう12時だ。こんな夜中まで起きていたら、お腹が空くだろう。夜食でも食べよう。」と、モリスが言った。

そこで、一同はモリスの作った天丼を食べることにした。


艶やかな衣に包まれた海老が揚げられ、天丼として出されるのを、一同は垂涎しながら待ち望んでいた。

「いただきます!」

一同は、タレをかけてむしゃぶりついた。プリプリした海老の肉質が、口の中で弾ける。

「ああ、美味い!」
「美味しいね!」

皆口々に、そう言い合って食べた。深夜の天丼は、背徳的だった。お腹いっぱい食べると、皆が食器を片付け、自室に戻っていった。


トリスは、妻の凛花と自室で語らっていた。
「いよいよ決戦になるな…」とトリス。
「大丈夫よ。必ず帰って来れるわ。」と凛花は、シンプルな部屋の中で、故郷のオーストラリアのゴールドコーストのビーチで、二人で撮った写真を見つめながら言った。
トリスも、凛花が見つめていた写真に目をやり、
「いつかまた、あのビーチで二人で写真を撮りたいな。」
と言って、二人はしんみりとした気持ちに浸っていた。


一方、モリスの部屋では、モリスがジャーマンシェパードのヴァンを撫でながら、
「この時間が、永遠に続けばいいのにな。」
と、呟いた。
ヴァンは吠えることもなく、静かにキュイーンとモリスにすり寄り、まるでモリスの気持ちをわかっているかのような様子だった。


また、ジェシカ姉弟の部屋では、ジェシカが、
「ライアン、ハグさせてよ」
と言い、ライアンを抱きしめた。
「大丈夫。私たちが敵を倒せば、このまま生き延びることもできるはずよ。」と、ジェシカが言うと、ライアンは、
「ジェシカ姉ちゃんを信じる。僕はもう怖くない。」
と、半分強がりながら返事をし、姉のジェシカの額に軽くキスをした。
ジェシカは、
「ライアン、強くなったね。父さんと母さんにライアンの成長した、この姿を見せたかったな…」
と、ハグをしながら呟いた。

風浦はベッドで、すやすやと寝息を立てて、愛らしく眠っている花を、薄暗い照明の中で眺めながら、小さな声で話しかけた。
「ライアンと一緒に、いい子で基地で待っていてくれ。きっと大丈夫だから。」
そう寝ている花に諭すように呟くと、花が偶然寝返りを打ち、風浦の言葉に答えたような気がして、風浦はふふっと微笑み、タオルケットをかけ直して寝顔をしばらく眺めていた。


ンシアだけは、VEX本部に残って窓の外を眺め、退廃した都市の上に広がる満点の星空を見て、黄昏れていた。
なんとなくンシアのことが気掛かりで、風浦は再び本部に戻ってきて、ンシアの隣に腰かけた。

「君の歌を聴いた時に、俺の中の遠い記憶にある、とても大切な何かを、思い出したような気がしたんだ。」
「遠い記憶? まるで、この星たちのように遠い場所にある記憶なの?」
「ああ。でも、それが何だったのかが、よくわからないんだ。」
「今日は、よく喋るのね。」

ンシアは、血統分析の結果でささくれ立っていた心が、穏やかになっていくのを感じた。
空には星たちが輝き、現実の悲しみから逃れたような、オルゴールの音の煌めきにも似た、満天の星空のもとで二人は佇んでいた。

歌詞・和訳は以下参照 
https://aanii.net/no-surprises/


文:夜田わけい
イラスト:巽たくあん




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