精神薬漬けから完全復活までの道のり的なやつ❤️④気付き→断薬
精神薬漬けから完全復活までの道のり的なやつ❤️③長い長い混沌とした生活はこちら
生活はぶっ壊れて、ヤク漬けで常に意識も朦朧としてる間に「知らぬ間に」離婚していましたw実家に帰ることになりました。
その頃の私。ぶっくぶくに太っていましたw
学生の頃から体重はあまり変わらず、42〜43kgだったんですけどね。
これも向精神薬の副作用によくあるんですが、「体重増加」。
その頃はめちゃめちゃ太ることで有名なジプレキサを服薬していたんです。ジプレキサの添付文書はこちら
2009〜2010年頃。
ぶくぶく太って、58kgになっていました。
満腹中枢がやられるというか…食べても食べても満たされないんですよ。
食べた気にもならない。味もわからないし、ただただ口にモノを運ぶだけ。
しかも料理をするなんてことが全くできなくなっている状態なので、コンビニ弁当、お菓子、冷凍食品、コンビニのパンなどのジャンクフードばかり食べる。
で、代謝機能も落ちているので、ただただ不健康にデブるw
で、実家に居てもただ引きこもって寝ているだけなので、スポーツジムに通ってダイエットすることにしたんです。
有酸素運動30分、筋トレ2時間、その後有酸素運動30分、お風呂で半身浴1時間というメニュー。合計4時間。食事制限ももちろんしました。
毎日通って、4ヶ月で18kg落としましたw
これはね、ヤク中でフラフラの時期に本当によくやったと思いますwwww
この経験は、実際減断薬する時にも活かせました。
私、やっぱり根性あるわという思いと、結果を出せたことが自信になって、減断薬のめちゃめちゃ苦しい時を乗り越えられました❤️
それから私は、離婚もしてしまったようだし、生活費を稼がなきゃならないのと、やっぱりどこかで、身体と心がボロボロになっている実感があったので、
「自分の健康を取り戻したい」
「他の人も癒したいし健康にしたい」
と思って、アロマテラピーを学び、自分のサロンをOPENさせました。
かと言って、きちんとした事業計画があるわけでもなく、生きていく選択肢を極端に狭めた状態で、「病気の私が今できることを思う存分やって、ダメだったら死ねばいい」と思いながら立ち上げたものでした。
それでも何とか経営を軌道に乗せようと、身体も心もさらにボロボロにしながら必死にFacebookを使って営業をしていました。
その時たまたま東京DDクリニック、内海聡医師の記事が目に留まりました。
衝撃的な内容でした。
私が今まで信用という認識も無くなるほどに信用し、頼っていた精神医学が全くのデタラメで、向精神薬が覚醒剤同様のものだったなんて。
今まで自分の病気のせいだと思っていた症状が全てクスリの副作用によるものだったなんて。
知った時には声を上げて泣きました。
それほど、この12年間に失ったものは大きかったわけです。
天地がひっくり返ると言っても大袈裟ではない内容ですぐに丸ごと信じられるわけもなく、、とにかく、内海医師の記事やブログ、著書をむさぼり読み始めました。
今まで自分が信じてしまっていた事実とは正反対の事実を徹底的に知ろうと思いました。
今現在、向精神薬の薬害に苦しんでいる方には、精神医学の嘘をまず知るのにこちらの3冊は基本!とにかく読んでみて、今の自分の現実に当てはめて検証してみる。実際自分に起きている現実に直面してみることをお勧めします❤️
市民人権擁護の会の小倉謙さん、米田倫康さんのこちらの著書もオススメ❤️
知れば知るほど思い当たることばかりでした。
盲目的に精神医学を信じていたのでは見えてこない事実ですが、今までの自分の症状は、全てクスリの添付文書に書いてある事ばかりでした。
生きたかったのに死にたくなった理由。
実際に死にたい気持ちを行動に移してしまった理由。
どんどん頭が混乱していった理由。
どんどんまともな生活ができなくなっていった理由。
何より、長年治らなかった理由が自分で調べたらすぐに分かりました。
薬害だったわけです。
それで、断薬する事を決断しました。
私は、内海医師の経営する東京DDクリニックを受診することを決めました。
当時、まだ抗不安薬、睡眠薬、抗てんかん薬等合計7錠を服薬しており、自分だけでは乗り越えられないと考えました。またこのまま自宅にいたのでは自分の本質的な問題に取り組むことができないと思い、同じく内海医師が経営する茨城県にある福祉施設・(株)創想を利用しようと決めました。
同時にサロンを閉店し、仕事を整理して、親を説得しました。
創想は障害者福祉施設です。精神病は薬害であるという認識の元、自分の力で自分の人生を取り戻せるような支援を行う施設です。全国から減断薬目的で入居する方がいます。
私はこの時初めて、精神障害者3級を取得し、精神障害者としてこの施設を利用しました。
役所での手続きは母と一緒に行きました。
私は、自分で気がつかないうちに「精神障害者」と呼ばれる人になってしまっていたことに、その時に初めて直面したわけです。
なんとしてでも生きてやる。生きて復活してやる。
そう思いました。
2014年4月に東京DDクリニックを初受診、6月に創想のグループホームに入居し、本格的に減断薬に取り組むことにしました。
つづく…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?