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Codaのわたしが、夢中になった吹奏楽。

「あの子のご両親、耳が不自由だから…」
と、言われるのが嫌だった。

「お母さん耳聞こえないのに、ピアノに通ってるの?」
と、言われるのも嫌だった。

家でピアノを弾けば「これはどんな音?」と母親に聞かれた。「ドだよ」と答えても「それはどんな音?」と聞かれる。そんな答え、小学校低学年のわたしは持ち合わせていない。もう音楽は辞めよう、と思っていたわたしが小学校4年生の頃に出会ったのが吹奏楽だった。そして、コンクール出場経験も無いまま全国大会に出場する高校に入学した。高校見学の最中、偶然足を運んだ定期演奏会で「これだ!」と思ってしまったから。

プロのように揃った、まるでCDを聴いているかのような演奏から一転 (この時点では「無理だ辞めよう実力が足りない!」と思っていた) キラキラした衣装に身を包み、歌い踊り楽器を振り回す等の演出を加えて演奏している様子を見て「これなら耳の聞こえない人にも音楽を届けることが出来る」と確信したのだ。そして受験、合格、入学、入部した。

楽しかった。日々の練習も、演奏会も、遠征も、合宿も、コンクールも。3年生になると副部長になった。しかも演出担当。あのとき見た演出を、まさか自分が創る立場になるなんて想像していなかった。目まぐるしく過ぎる日々の中、遠征のバスで隣にいた先生に「何を目指しているの?」的なことを聞かれ「わたし、耳の聞こえない人に音楽を届けたいんです」と答えた。突然のことに先生は驚いた表情をしながらも笑って「音楽は耳で聴くものだけじゃないよ」と言ってくれた。

そして迎えた引退、定期演奏会では最前列で拍手をする両親が居た。嬉しかった。

どんなに練習しても、結果を「金賞」と文字で見ることしか出来ない。演奏は聴けない。なのに朝から晩まで、休みなく吹奏楽の為に学校に行く娘を見て、きっと親不孝だと思っただろう。わたし自身も、そんな両親から逃げる思いで吹奏楽をしていた時もあった。でも、吹奏楽を通して得たものは大きく、今でも活かされていると感じている。楽しかったなあ、吹奏楽。

#部活の思い出

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