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0歳・3歳・5歳の3人の33歳シングルマザーが看護師になるまで
私は現在18歳、16歳、13歳の子供たちのシングルマザーをしています。
職業は看護師、急性期病院の一般病棟で夜勤ありフルタイムで働いています。
子供が3人いてシングルマザー、離婚してから看護学校に行きました!と言うと、結構驚かれることが多いのですが、3人育てる為に私が収入を得ることができるのは看護師かな…と安易に決めてしまったのが正直なところ、それ以外の選択は当時の私にはなく、ならざるを得なかったのです。
そんな話をよかったら聞いて下さいね。
私は33歳でシングルマザーになりました。
当時、子供たちは0歳・3歳・5歳、上二人は保育園児、0歳児は春から入園予定でした。
婚姻期間は6年間、離婚の理由はまあ色々…。
ですが、今、看護師として働き、子供たちを育てるために必要な収入がある今の自分は、離婚しなければこうはなっていなかったので、私にとって離婚は良かったなと思います。
離婚していなかったら、夫の収入に文句を言いながら、パートで忙しく働き、家事と育児に追われて終わっていたかもしれません。
看護師になろうなんてきっと思わなかったし、この年齢で看護師なんてなれるはずがないって諦めていたと思います。
そう考えると、逆に元夫に感謝できるようになりました。
私は准看護師の資格を2年で取得後、看護師資格を取るために3年間学校に通ったのでトータル5年間の学生生活でした。
准看護学校の進学を決めた時、私は末っ子の育児休暇中でした。
0歳の子を抱えていたし、入学試験まで4ヶ月しかないし、まだ大変な時期と思っていたので1年間准看護学校の受験勉強をしてから受験しようと考えていました。
しかし、離婚相談にのってくれる部署が市役所にあり、私の担当になってくれた方が「そんな1年延ばすなんて勿体無い!次の試験を受けなさい。」と喝を入れてくれました。
そこで、目が覚めた私は、4ヶ月後の入学試験に取り組むことになります。
准看護学校の試験は中学卒業レベルの国語と数学でした。とはいえ、長年お勉強なんてしていなかったので、まず過去問集をググって購入、あとは学校の過去問を取り寄せました。
それらを解き始めることから始めました。
子供たちが保育園に行っている間、0歳児が寝ている間が私のお勉強タイムでした。大人になってからの勉強は新鮮なものでした。
一日2時間くらいの勉強時間だったと思います。
ここを頑張れば、私も看護師になれる!子供たちのために、私が自立するんだ!という一心でした。
競争率は3倍ほど、晴れて合格することができました。
0歳児の子の保育園入園と共に、私も准看護学校入学。学校は当時住んでいた自宅の近く、自転車で通える範囲内にありました。
入学してみると、シングルマザーの多いこと!
40名ほどの半分くらいがシングルだったと思います。
そこで仲間意識も生まれ、同じシングルマザーの友達もでき、楽しく学校生活を送ることが出来ました。
1年目は座学、後半から実習が始まりました。
朝は7時半頃保育園に3人送って行き、その足で学校へ通っていました。
保育園児のあるある発熱問題は、当然、我が家にもよくやってきました。保育園児3人いたら誰かしら熱を出すものです。
私はどうしたかと言うと、頼れる身内が近くにいなかったので、素直に元夫、義母に頼ることにしました。
離婚したのに、そこを頼るのかと悩みました。
出来ることなら、頼りたくない。でも、離婚は子供たちにとっては関係ないこと、子供たちにとって、離婚しても父親であり、おばあちゃんであることには変わりないのです。
正直に自分の状況を話し、子供たちが病気の時、面倒を見てもらうことをお願いしたら快く引き受けてくれました。
子供たちも喜んでいました。
また、市が行っている病児保育を利用することもありました。
病児保育、元夫、義母とお願いできるところが3ヶ所あれば何とかなります。
実際何とかなりましたし、3ヶ所ダメなら私が休めば良いのです。
その時は、「私の休み時間にしなさい。ってことだな。」と、看病しながらもありがたく休んで自分の時間にしていました。
そして、准看護師の資格を取得し、看護師資格を取ることを決めました。
看護学校は、自宅から電車と徒歩で片道大体1時間半弱の通学時間がかかるところにしました。
遠い!と思ったけど、その通学時間を勉強時間にしようと考えました。
片道1.5時間ということは、往復3時間です。
3時間も一人の時間を確保できることが、それが通学時間だとしても、私に取ってはとても貴重な時間でした。
そうなると、実習先の病院も必然的に自宅から遠くなります。
それも、「何とかなるでしょ。」と、あまり深く考えずに学校を決めていました。
実際、遠くの実習病院に行く時は朝5時台に家を出なければならなかったのですが、末っ子が0歳から始まった私の学生生活も実習のある看護学生3年生の時には、末っ子は、自分で歩けて、自分でご飯も食べれる5歳になっており、0歳児だった頃と比べれば格段に成長しているわけです。
そんな5歳の末っ子を、保育園のお友達にわけを話して5時過ぎにお家に連れて行かせてもらい、一緒に保育園に登園することをお願いしました。
それでも快く引き受けてくださり、本当にありがたかったです。
看護学生の時には、准看護師の資格を持っているので、准看護師として、クリニックでバイトをしていました。
看護技術の実践もでき、様々な経験を積むことが出来ました。
座学が主の1、2年生の間は学校も毎日ではないので、休みの日にバイトに行っていました。
家計はどうなっていたかと言うと、バイトが時給1800円で大体6〜7万円くらいの収入になっていました。
あとは養育費、児童扶養手当、児童手当でこれも何とかなりました。准看護学校の時は、高等職業訓練給付金を利用していました。
実習のある3年生からはバイトが出来なくなるので、奨学金を借りて生活費に充てました。
また、賃料の安い公営住宅に何度も申し込み、やっとの思いで当選し看護学生1年生の時に引っ越ししました。
贅沢はできなかったけど、子供たちと楽しい思い出を作っておきたいと考え、1〜2年に1回くらいは、私の息抜きも目的に、家族みんなが大好きなディズニーランドやシーに行くこともありました。
子供たちとの時間を出来るだけ優先しつつ、人に頼るときは割り切ってお願いする。そうやって折り合いを付けながら、5年間の学生生活を過ごしていました。
行く先々の実習先には、素敵な看護師さんが必ずいて、勝手にロールモデルにしていました。
どうせなるなら素敵な看護師になりたい!と思うと勉強にも身が入りました。
国試前は子供たちと一緒に21時に寝て、3時に起きて国試の勉強をしていました。看護の勉強は、必ず根拠があるので、知識と知識が繋がるととても面白いことに気が付き、楽しく学ぶことができました。
卒業時は、成績優秀者として表彰していただき、無事卒業、看護師資格を取得することができました。
看護師資格を取得した時、子供たちは5歳、8歳、10歳。看護学生になった時に比べたら、すっかり成長し、子育てのしんどさをあまり感じなくなっていました。
この5年間、子供たちも自分でできる力を自然と身につけてきたのだと思います。良いように考えれば、私自身に余裕がなくて、手を出したくても出せない状況が、子供たちの成長につながったような気がします。
以上、0歳、3歳、5歳のシングルマザーが看護師になるまで…をお伝えしました。
読んでくださる方のお役に立てたら私もとても嬉しいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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