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平成土葬狂想曲1

〈あらすじ〉

 平成7年の6月、父を亡くした猪飼隆は、遺言で土葬を頼まれる。しかし、近在ではしばらく土葬を行ったことはなく、しきたりなどが全く分からない。幼馴染の副住職兼近や後輩の寅雄の力を借りて、父親の土葬をかなえようと奔走するのだが……。

〈土葬にしてくれ〉

たかし、……すまんが俺の……遺骸からだは土葬に……してくれ」
――途切れ途切れの声でそう言って、親父の意識は混濁した。母が、病院の ベッドに横たわる父の右手を握って泣き声を上げた。
 つながれた機器からはまだ電子音が続いており、意識はないものの生きている――生かされているという方が正しいか――ようだ。入院生活も二か月を超えた。
 2人で病室を出て母に声をかけた。
「母さんどうする? 今晩は俺も一緒に泊まろうか」
 琵琶湖大橋病院のリノリウムの床は、非常口の緑の光を反射している。
「いや、ええわ。隆は家に帰って万一の準備をしてもらえるかい。あと、親戚にも連絡回してくれる。子安の叔父さんに言えば大体何とかしてくれるわ」
 子安の叔父さんというのは、母の弟にあたる人で、滋賀県の大津市役所堅田支所に長年勤めている。同じ町内に住んでいるので、頼りがいもある。
「土葬、というのは」
「どうやろうね、うちの在所からはしばらく出てないわ。光界寺さんのボンがあんたの幼馴染やろ」
「ああ、牛込兼近か。聞いてみるわ」
 自宅へ戻り、最近購入したワイヤレス電話であちこちに連絡をする。こういう状況に、黒電話ではと近くの電気屋で購入したのだ。電話に出た子安の叔父は、「そうか、もう義兄さんもそんな状態か。土葬ね、調べてみるわ。ちょっと前まではあったから大丈夫だと思うけど。あとな、土葬とはいっても、具体的な遺体の移動はやっぱり葬儀社に頼まんと。猫田という男がいるから、今度連絡先を教えるわ」といつもの調子だった。これで制度面はクリアできたと思う。
 問題は牛込だ、というか儀式面だった。こちらは、携帯に電話してみた。
「悪いな兼近、今ちょっと時間いいか」
「今、お寺の駐車場に着くから、このまま聞くわ」
「親父が、もうすぐこと切れる」
「そうか、それはご愁傷さまやな。うちで葬儀を上げさせてもらうことになるんやろうけど……」
 さえぎるように言葉を継いだ。
「その、土葬が希望なんだ」
「土葬⁉ 焼かずに埋めるあの! 平成も7年を過ぎたこのご時世に?」
 40年を超える付き合いの幼馴染は、若干口が悪い。それを差し引いてもいい奴なのだが。
「そう。そこまで含めてお願いしたいんだ」
 しばらく、沈黙が続く。しゃべりの牛込にしてはこれまでの付き合いで初めてくらい珍しいことだ。
「住職に聞いてみるけど、まずはうたい手やで。他にも諸々人手はいるけど……寅雄に頼むか」
 住職とは、もちろん牛込の親父さんのことだ。
 寅雄というのは、我々の高校の2年後輩で190センチくらいある大男だ。牛込とは対照的に無口なのだが、手先が器用で体力もある。ウマが合うのか我々と行動を共にすることが多い。定職にはつかず、土木の現場や不定期に牛込の寺の寺男てらおとこなどをしている。
 ついこの間まで、今年の初めに起きた神戸の震災の復旧ボランティアに行っていたところだ。
「うたい手というのが分からんが、母親に聞いてみるわ」
「知ってはるわ、というか、多分参加してはったで」
 電話を切って、再度あちこちに連絡をし始めた。
 
 翌日、勤務先の京都ビューホテルに母親から電話があったのは、おおむね客のチェックアウトが終わった十一時過ぎだった。親父の具合がやはり、どうもよくない。今夜が山だと言う。
 バックオフィスにいる上長の兎束うづかの元へ向かう。ノックして入ると、部長は電話中だった。どうも得意先の旅行業者らしい、顎で、座ることを指示して、数分の世間話の後に折り畳み式の携帯電話をポケットに入れた。
「いよいよか」
「ええ、先ほど母から連絡がありまして」
「わかった。今日は、もうこのまま上がってくれ。忌引きになるようなら連絡を頼む。最後に父親孝行をしてやれよ」
 そう言って、分厚い掌で数度肩を叩かれた。兎束部長には、こうなることを伝えてあったため、受け入れは意外に早く、自分が欠けた場合の代わりのシフトはすでに練り上げられてあった。そもそも、京都の宿泊業の書き入れ時である6月は終わりを告げようとしている。
 河原町通りを通って、三条大橋を渡る。川辺には初夏を楽しむ男女が均等に間を開けて座っていた。長い間地上を走っていた京阪電車も、数年後には地下鉄に乗り入れるそうだ、地上のホームで立ち食いの天かすうどんを食べるのが楽しみだったのだが、あと何度食べられるだろうか。
 

〈死出の旅路〉

 JR湖西線の堅田駅で降りて、駅裏に預けている原付で琵琶湖大橋病院へ向かう。この2か月間通いなれた道のりだ。
 湖西を南北に縦断する国道161号を通った方が、病院へ行きやすいことは分かっているが、いつもの癖で線路西側の裏道を通る。右手奥、高架線路の向こうに数年前にできたびわ湖タワーの大観覧車が見える。
 1分も走ると視野の左側は広い田園風景となった。ゴールデンウィークに植えられた苗が、青々としたじゅうたんのように広がっている。その向こうに滋賀県と京都の間にそびえる比良山地が見えた。
 途中で、農機具小屋の前を通る。腰を下ろしてタバコをすいつけている老婆がいた。いつ通っても、低い椅子に腰を掛けてぼんやりと紫煙をふかしているような気がする。恐らくは、その奥に広がる田圃や畑の管理のためなのだろうが、思えば、遅番の出勤時には必ずここにいる気がする。というか、高校生の頃から見覚えがあることに気が付いて、妖怪然としたたたずまいに少し背筋が少し冷えた。
 病院の受付に着き、ベテランの看護師に声をかける。
「連絡をいただいた、猪飼ですが」
「あぁ。急ぎ病室へどうぞ」
 いつもの病室へ行くと、母と、子安の叔父がいた。ベッドの上の親父は、昏睡状態だった。そばに立つ医師が目礼を返す。しばらくすると、機器の数字が動き、周囲が少し慌ただしくなる。沈痛な面持ちの医師が機器を見てチラリと腕時計に目をやる。
「1995年6月28日14時35分、ご臨終です」
 母が泣き崩れる。叔父も深く肩を落とした。近く訪れることは分かっていたが、いざその時になるとショックだ。だが、長男としてやらなければならないこともある。特に、遺言は「土葬」とのことだったが、それをどうすればよいのか。
 叔父と二人で、勤務先を含むあちらこちらに電話をしたのち、3件目に電話をかけたのは牛込宛だった。
「今ほど、親父が亡くなった。通夜は、今晩か」
「それは、ご愁傷さま。土葬いうんは変わらんねんな」
「家族への最後の言葉だったから」
「分かった。土葬の場合、通夜は必ず翌日や。準備する物は昨日の晩から寅雄に手配してもらいつつある。落ち着いたら、お前もうちの寺に来い。あと、うたい手については聞いてくれたか?」
「いや、まだや。聞いてみる」
 病室へ戻って、母に声をかけた。先ほどよりはずいぶんと落ち着いているようだ。
「母さん、ちょっといいか」
 老眼鏡をかけ、手元のメモに何やら書きつけていた。覗くと、葬儀に関するもののようだ。仏教用語なのか、「補陀落ふだらく」と言う字が見えた。短い時間だが、気丈に前を向こうという気概が伝わる。
「光界寺さんに連絡してくれたんやね」
 正確には息子の携帯へ直接連絡したのだが、ここで正確性はそれほど求められてはいないだろう。
「そう。それでな、うたい手の準備が必要だと」
「そうか。辰巳さん、まだお元気かな」
「『うたい手』って何のこと?」
 母親は、老眼鏡を下げてこちらに視線をやり、幾度か瞬きをした。
「8月14日の棚経知らんか?」
 大津市真野では、お盆の最中の葉月14日に、鉦と太鼓をにぎやかに叩きながら玄関で念仏を唱える。これを棚経といって、もしその年に新たな死者が出ていた場合は、仏壇の前で少し長めに六斎念仏を唱える。
「知ってるけど、あれの事?」
「そう。まぁ、かなり念入りにお唱えするけどね。その、音頭を取る人と、鉦と太鼓を叩く人を用意せにゃ。喪主は私が務めるし、うたい手は連絡してみるけど、あんた、お寺に行ってできることをしてきなさい。ここは私と叔父さんに任せて」
「これ」
 出がけに叔父が名刺を一枚くれた。そこには『蓬莱葬儀社 猫田』とある。
「こないだ言うてた葬儀社の人や。懇意にしてはいるけど、結構口うるさい奴やからあんまり気にせんでな。今、土葬の連絡しといてくれんか」
 病室を出て、バイクのヘルメットを出して、携帯電話で名刺の番号にかける。数コールでハスキーな声の男が電話口に出た。
「蓬莱葬儀社、猫田です」
「お世話になります。猪飼ですが、叔父の子安の紹介でお電話させていただきました」
「ありがとうございます。この度は、ご愁傷さまです」
 少し日常的なやり取りをして、切り出した。
「今回、土葬にしてほしいというのが親父の願いでして」
 しばらく沈黙があった。携帯の電波が悪くなったのかと液晶画面を見るが、アンテナは三本立っている。
「喪主は、どなたが?」
「母が務めることになりました」
「承知しました。本来私から申し上げるべきことではありませんが、土葬はお勧めしません」
 少し鼻白む。普通そういうことを口にするだろうか。制度か何かが難しいのだろうか、いや、それは叔父が何とかすると言っていたような気がする。
「それはどういう意味でしょう?」
「誤解を恐れずに言えば、火葬の方が楽だからです」
「楽だからというのは、おかしいんじゃありませんか」
「お気を悪くされたのなら、申し訳ありませんが、土葬と言うのは、一族皆で故人を送り出す儀式なのです……」
「いや、親父の遺言ですので、土葬でお願いします!」
 猫田はまだ話していたが、強引にそう言って電話を切った。そのままバイクにまたがる気にならず、頭を冷やすためにも、病院の地下へ向かった。
父親の遺体が、霊安室に運ばれていたからだ。土葬ということで、病院側も慌てたそうだが、珍しいながらもないことではないので、死亡診断書の発行を待っているところなのだそうだ。
 地下の霊安室に入り、枕元に線香を立てた。手を合わせて冥福を祈る。長い闘病の最後に苦しまなかったことが救いだ。気が付くと、父の脚が立膝になっていた。少し不思議に思いつつも、深々と頭を下げて光界寺へ向かうことにした。

  〈続く〉
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