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平成土葬狂想曲2

〈枕経〉

 寺に着くと、住職が迎えてくれた。
「この度はご愁傷さまです」
「ありがとうございます。兼近副住職はおられますか」
「おお、離れでいろいろ悩みながら紙細工を作ってくれてるわ。まぁ、気を落とさずに、やることを一つひとつ頑張りなさい。土葬用の座棺は手配したから。ただもう棺桶屋も倉庫の奥の方に一つ残っているきりで、最後の一個だと言われたわ。私もできることは手伝うけど、土葬は本当に久しぶりやからねえ。そうそう、帰るときは枕屏風を車に積んで兼近と一緒に戻りなさい」
 さすがに菩提寺の住職、こういう時は落ち着いていて頼りになる。まだ悪ガキだったころ、兼近と一緒に散々イタズラをして怒られたこともあるが、今は住職の優しさの一端だったとわかる。
 離れのふすまを開けると、作務衣姿の兼近と寅雄がいた。
「ようやく来たか。結構頑張ってんけど、まだまだやることあるで」
 兼近が手を止めないまま声をかけ、寅雄が声を出さないままペコリと頭を下げる。光界寺は、県庁所在地の大津市とはいえ北の端の端の小さな寺。僧侶は牛込親子の二人だけだ。もちろん状況に応じて、兼近のお袋さんや他の地域から応援を呼ぶのだそうだが。
 床には、さまざまな紙細工が置かれていた。長い半紙をつなぎ合わせたもの、藁束を半紙で巻いたもの、そのほか大きくてうろこのようなものがたくさんついた細長い龍を模したものなど広くはない部屋のあちこちに並べられている。
「これらもできたら全部、お前んち持っていくわ」
「ありがとう。さっき住職に枕屏風も言われた。俺は何を?」
「位牌筒を作ってもらおうか」
 もちろん、そんなものは知らない。聞くと、白木の位牌にかぶせる筒のようなものなのだそうだ。和紙の半紙を縦長に二つ折りし、そこにカッターナイフで二センチほどのひし形の窓を開けていく。
「うまいうまい。図工の成績悪かったのにな。年月は人間を芸術家にするな」
 切り取った小さな紺色の紙を手渡しながら、軽口をたたく。手渡された紙を、指示通り糊で貼る。さらに、両端に糊付けをして筒状にした。ちょうどこれをかぶせると、開けた穴からところどころ戒名が見えるような形になる。
 しばらくして、叔父から電話があった。
「制度の面は何とかクリアできたけど、保健所やら何やらがいろいろ言うてきて、これが真野の最後の土葬になりそうやで、あと、お前のお袋さんに代わるわ」
 電話先が母親に代わった。
「いろいろ考えたんやけど、うちの家じゃなくて、光界寺さんで通夜をやらせていただきたいんやけど。うちの広さじゃそんなにたくさん人は入られへん。お父さんもそちらに運ばせてもらうことにできれば」
 兼近に言って、住職につないでもらった。
「最近は、ほとんど自宅でされる方いなくなってきたからな。分かった。それなら、そうさせてもらいましょう。屏風も、紙細工も運ばなくて済みますし。そうと決まれば、本堂の準備を手伝ってくれるかな」
 快く受けてもらえたが、式の全体も見えないため若干不安だ。幼馴染の兼近も住職から聞かされているのだろうが、はたして土葬の式を通してやったことがあるのか。
 バタバタ準備をするうちに葬儀社の車が届いた。また、叔父もうちの車を運転して母親を連れてきてくれた。一度、自宅へ送って近所に伝えた後、こちらに来たのだそうだ。
 普通なら、ここで棺桶に入れられて持ってこられるのだが、土葬の場合は座棺という特殊な棺桶なので、今回は担架のようなもので運ばれてきた。本堂に延べられた立派な布団に寝かされて周囲にドライアイスが設置された。同じような掛布団が掛けられる。
 霊安室で見たように、膝が折り曲げられているため、そこだけ布団が大きく盛り上がっている。
「これ、このままでいいんですか」
 寝かされた親父の枕元に阿弥陀如来が描かれた少し低い丈の屏風が置かれた。先程言っていた枕屏風だろう。それを整えながら、住職が教えてくれた。
「死後硬直が起こる前に、ひざを折ってあげるのは最後の親孝行と言われているんや。後で分かるわ」
 そう言って、準備を整えた。すると、後ろから声をかけられた。
「先ほどは失礼しました」
 オールバックで黒縁の眼鏡をかけた男が声をかけてきた。
「猫田です」と名乗る。
「いいえ。こちらこそ失礼しました」
「土葬で進める覚悟はお済みですね」
「よろしくお願いします」
 しばらくすると、近所の人と親戚が集まってきた。妻の羊子と娘の文己あやきも一緒だ。
「家香典お持ちしました」
 米を一升差し出した。妻の羊子は、母と仲が良く、こういう風習にも知識があるのだろう。恥ずかしい話だが、家香典が何を指すのかもわからなかった。そのあと、母からの依頼で羊子が光界寺の受付で家香典の受け付けをすることになった。
 住職が、枕経を上げた。
 しめやかな雰囲気の中で、野太いがよく通る声が本堂を満たした。改めて住職の実力を知る。兼近もこのような声を出せるようになるのだろうか。
あるいは自身の親父にあげてもらっていると思うから、心に沁みるのか。
 長い経が終わり、こちらに向き直った。
「猪飼君は同級生で、いわば幼馴染でした。ちょうどウチの息子と隆君が子どもの頃からの付き合いの通り。彼は土葬を希望しています。おそらくこの在所で最後の土葬になるのではないかと思います。全国的なことは伝え聞くばかりですが、こちらもほとんど火葬になってしまいました。一説では99・9%ともいうそうです。火葬を国が推奨したことはありません。しかも、他の宗教の方々の中には、教義上土葬が必須な宗教があるにもかかわらず。
 私は、彼が土葬を選んだ理由がおぼろげながらわかります。猪飼君は、現実主義者で特に死後のことなど話したことはありませんでしたが、私たちの中学の先生が土葬を選ばれたことではないか、と思います。その先生は還暦を迎える前に亡くなられました。ちょうど私が今の息子くらいの頃のことで、今から四半世紀ほど前でしょうか。その時の家族の六斎念仏の声は、今でも私の心臓を掴んで放しません。その光景が死を間近にして心のうちによみがえったのではないか、そう思います。
 ですから、彼の意を汲み弔いに必要なことで私にできることはしようと思います。そもそも土葬の場合は、僧侶を必要としない場面もあります。そこも含めてもしかすると、これが近畿最後の土葬かもしれません。
 本来の、浄土宗の僧侶としての枠を逸脱しての話になってしまいました。この辺で枕経の挨拶を終えます」
 ぽたりと正座の上の握りこぶしの甲に水が落ちた。雨漏りかと思って上を見て気が付いた。自身の涙だった。父親が亡くなったのだと、今、身体からだが理解したのだ。
 続いて、タライが持ち込まれ逆さ湯が張られる。
 逆さ湯とは、普段お湯に水を入れて温度を調整するところを、水にお湯を入れて調整をするもののこと。
 寅雄が手伝おうとして、母に止められた。
「寅雄ちゃん、あかんよ。湯かんは女性の仕事だから」
 その言葉通り、率先して女性ばかりが父の遺体をタライに座らせ、お湯で体を洗っていく。老女から娘まで、様々な年の頃の女ばかりがそれぞれ体を洗い、おろしたてのバスタオルで拭き、白装束に着替えさせた。娘の文己も恐る恐る手伝っている。
 気が付くと、本堂に座棺が持ち込まれ、その中に遺骸となった父が座らされた。
「足を延ばしたままだと、死後硬直の関係で、この縦長の棺桶に入れられないんや。誰だって、昨日まで生きていた人の足を折ってしまうことには抵抗がある。だから、亡くなってすぐに足を曲げるのは、最後の親孝行やと言われるんや」
 住職がこちらを見てポツリと言った。
 

〈頭者を誰に〉

 通夜は、光界寺で行われることになったのだが、ご近所の人の手も借りて葬具を作らねばならなかったから、昨日はこちらに泊まらせてもらって作業を続けていた。ところが、いくつか葬具の作り方が分からない。
「幡の作り方が分からんのや」
 幡とは、先頭の方で龍の頭を模した竿の先から吊るす半紙を長く継ぎ足したものだ。
「住職は?」
「それがうろ覚えでな、知り合いに聞いてもらっているんやけど、真野独特のものあるしなぁ……」
 そのとき、ヌッと顔を出してきた男がいる。猫田だ。黒のスーツ、ネクタイ、黒髪だと、名前の通り黒猫のようだ。確か、昨日の搬送の道具類を取りに来ていた。
「ご住職を呼んでいただいて、筆と墨の用意もお願いします」
 そう口にして、腕まくりをし、手際よく半紙を縦に四枚継いだ。その上から二枚目と三枚目の端にポケットから出した鉛筆で線を描く。そして、一番下は、三本の長い切れ込みを入れ、それでできた細長い先を尖った形に切るように描き込んだ。
「同じものを四つお願いします」
 私と寅雄が見よう見まねで作るが、「丁寧でない」「貼り合わせが甘い」など、さんざん叱られながら他の三つを作った。兼近が、鉛筆の線を参考に切れ込みを入れている。そうこうしているうちに作務衣姿の住職が来た。
「住職、『諸行無常』『是正滅法』『生滅滅巳』『寂滅為楽』とお願いします」
「おう。若いのによく知っとるの」
 気圧されながらも、住職は乾いた幡にそれらの文字を書き込んでいく。さすがに、筆文字の運びは力強く、下書きもなしに見事に仕上がった。
「これは大幡なので、後は小幡も必要ですね。後は天蓋と……」
 寅雄や、親戚の助けもあって、本堂の隅に寄せた葬具は、使いどころの分からないものも含め次々とできあがった。ただし、猫田のかなり厳しい指導の上だが。めどが立つと満足げに去っていった。
 
 その日の昼に、母親が寺に駆け込んできた。
「ご住職いはるかい?」
「自宅にいると思うけど」
 ざわつく本堂で後ろから近所のおばさんが母に声をかけた。
「慌ててどうされたん」
「辰巳先生が、ぎっくり腰で倒れてしまわれて。今日の六斎念仏のうたい手、誰に音頭取ってもらおう」
 母は、かなり焦っているようで、白いものが交じった髪がかなり乱れている。
 皆が母に声をかけ、候補を挙げるものの、亡くなっていたり、すでに高齢で足腰が立たなかったり。少しざわついた雰囲気を気取ったのか、住職が本堂にやってきた。
「どうされた?」
「辰巳さんが、今日の音頭が取れない状態に……」
 辰巳さんは、地域活動の中心人物で、お盆の棚経でも率先して取り組まれていた方だ。もちろん、今回のような土葬も何度か経験されているという。
「彼女の師匠に当たる方、あの、ほら何と言ったかな」
「真野川の傍の田んぼを作られている、お婆さんの」
 来ている年齢層が高いこともあってか、「ほら」とか「あの」の連続でなかなか人名が出てこない。5人目くらいでようやく出た。
「馬渕さんだ!」
 声がそろったので、通夜前のお寺の本堂にもかかわらず少し雰囲気が柔らかくなった。
「連絡先、誰か知っている?」
「携帯電話なんて持っているわけないよ」
「私、馬渕さん家の電話番号、アドレス帳にあるよ」
 皆が額を寄せ合って、老眼鏡を引っ張り出しながら携帯電話でかけている。しかし、漏れ聞こえる呼び出し音は鳴り続けて誰も受話器を取る気配はない。
「どなたなんですか?」
 気になって聞いてみる。
「ああ、猪飼の坊ちゃん。馬渕さんをご存じない? 堅田駅に行く途中の農機具小屋の前でよく一服してなさるでしょ」
 あの人だ。
「分かりました。話をしてきます」
 光界寺を出ようとして、母親に呼びとめられた。
「馬渕さんが迷われたら、このメモを」
 母がいつも使っている備忘録から一葉、ページをちぎって渡された。
「これは?」
「観音講の御詠歌の出だし」
 メモをポケットに突っ込んで、通いなれた道を原付バイクで走る。
 いつも通り、変わらぬ場所でタバコをふかす老婆がいた。近くにバイクを止めて、目礼をした。
「猪飼さんとこの長男さんじゃな。この度はご愁傷さまで」
 見た目に反して、しっかりとした物言い、口調で驚かされた。声も年の割に張りがある。
「あの、ありがとうございます。実はお願いがあって参りました」
 ゆっくりと紫煙を吹き出して、うなずく。目を見て言葉をつないだ。
「六斎念仏の音頭を取っていただける頭者がいらっしゃらないんです」
「わたしにできるかね」
 見たところ、体躯は細く、タバコ臭い野良着はあちこちがほつれ、上着のボタンは取れかけている。しかし、人は見た目ではない。だから、ポケットから出したメモに視線を落として、こう投げかけた。
「補陀落や 岸打つ波は……」
 老人のまばらなまつ毛の下の瞳が少し大きくなった。一息おいて、歯の抜けた口からこう言葉が紡がれた。
「三熊野の――か」
 しっかりした声だ。メモを見て、六斎念仏の冒頭の節回しをうろ覚えで口にしたに過ぎない。しかし、この言葉は、一番最初の言葉、つまり頭者の文句だ。
「最後の頭者は、旦那の時だった。その時に、辰巳に継いだんよ。以来、ここで旦那の好きな銘柄を線香代わりに吹かしている」
「光界寺の住職は、これが近畿最後の土葬になるかもとおっしゃってました。辰巳さんはとても務められる体調ではありません。馬渕さん、どうか最後の頭者をお願いできませんか」
 フィルターぎりぎりまで吸ったハイライトを、ポケット灰皿に押し付けた。両目を閉じて、肺の奥から残りの紫煙を吹き出して頷いた。
「分かった。あんたの家に行けばいいかね」
「いえ、通夜は光界寺さんで行うんです。ですから、夕方にお寺へお願いできますか」
〈続く〉
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