米国の墓場。

お次はベトナム戦争証跡博物館へ。インディペンデントパレスから徒歩10分ほど。
敷地内に戦利品のごときに米軍の戦闘機やら戦車やらがものものしく並んでおり、観光客は記念撮影しているが、機銃口の目の前に立つと怖くて泣きそうである。

「独立か、死か」
市民がマンホールに隠れながら米軍の飛行機を撃墜してる映像を見てびっくり。防空壕に隠れろー!じゃなくて、撃ち落とせー!なんだぜ? ベトナム人士気高いなー・・・
私は戦後長らく米軍に接収されていた地域の出身かつ、911以降の米軍の各地での蛮行に怒りを感じて生きてきた人間なので、展示を見ながら薄々ベトナムに畏敬の念を感じてしまっていることに気づく。。
東欧に行った時も思ったけど、日本はアメリカ陣営だから、アメリカにとってどうだったかってものの見方でしかそもそも習わないからね。ベトナムから見た(しかも勝った側なんよ)ベトナム戦争が見れるのは貴重。
だからと言って偏った展示ではなく、すごく淡々と並べられている印象。
勇敢なベトナム軍や村人の抵抗運動、米軍の写真、逃げ惑う人々の写真、捕虜の写真、米軍に殺されてるベトナム人(兵士・民間人)の写真も、ベトナム兵に殺されてる米兵の写真も、、、戦争の悲惨さというか、人間の修羅っぷりというか、、、
ベトナムに落とされた爆弾はWW2の何倍もあり、かかった戦費も何倍もあるのだけれども、これっていわゆる戦後の経済成長の流れのままに鉄鋼業・武器弾薬・航空などに流れていった金と労働の結果でもあり、科学技術の進歩によって枯葉剤のような兵器も開発されて、使われて、歯止めがかからなかった状況だったんだな、と、最近のウクライナ戦争やパレスチナ戦争での兵器や金の流れと比べながら、思う。
共産主義の脅威って、資本家にとって私有財産が接収されることへの脅威だったの?
そしてベトナム軍はベトナム軍で、それこそ竹槍で戦闘機を落とす勢いで使えるものはなんでも兵器にしている。追い詰められるとそこまでやるのか、って感じで。
米軍てそんなにゲリラにならないと勝てないの?
枯葉剤の被害についても大きく展示されていたが、本当にこれは20世紀の人道的な問題であり、戦後のベトナム社会にも、今もこれからも2世、3世へと遺伝的に引き継がれている問題でもあるのだろうし、被害者やその家族だけでなくベトナムの医者や看護婦や福祉関係、社会全体がずっとケアし続けてきたことだと思うけれど、インパクトのある子供の写真だけでなく成長しておじさんになっていくまでのドキュメンタリーみたいなものや社会福祉の過程も展示されていてよかった。
枯葉剤はひどい兵器だけど、戦場で亡くなった人の写真を大量に見た後だと、奇形でも生きてる人たちの写真が生き生きしていたのが少し救いだった。

nikonが協賛していて日本人の戦場カメラマンの人の写真も多くあった。
亡くなったジャーナリストたちの肖像も・・
従軍カメラマンめちゃくちゃ多かったんだなー
ベトナム戦争は初めてカラーテレビで戦況が逐一報道され、世論が与えた影響も大きいものでした。そこからマスコミ対策も戦術に組み込まれていくのだけど・・報道と戦争については今の情報統制やフェイクニュース、AI画像も含めて今後を色々憂うことではあります。敵の戦力を削ぐために反戦運動に資金提供するのも、ソーシャルメディアや世論を乗っ取ることも含めて、戦略でもあるからね。。

なんだかソ連も崩壊して久しく、ベトナムは戦勝国で、今も社会主義で、続いていて・・・
パラレルワールドにいるような不思議な感じを纏ったまま、博物館を後にするのだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?